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小さな手大きな手

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2016年02月01週
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他の本を探しに行った書店で、たまたま手にしたのが「ジョンとばななの幸せって何ですか」(ジョン・キム、吉本ばなな、光文社)です。吉本ばななは「ファン」ですが、ジョン・キムは初めて見る名前です。で、少なからず躊躇したものの、ペラペラっとめくった吉本ばななの“まえがき”の中に見つけた文章が気になって買うことになりました。

「ただ、人生を『考える』ことで生き残ってきたふたり(ばななとキム)凄みだけは随所で感じられると思う。
今はみなが『考えないようにしようよ』と言われているような時代だけれど、考えることはこんなにもすごいことで、人生を変えることができるほどの武器なのだということに、読んだ人がちょっとでも気づいてくれたら、これ以上の幸せはないのです」。

 言われている「考える」ことで、誰と向い合うことなのか、同じまえがきの冒頭に書かれています。「私はこのまえがきを、自分の長いまえがき人生の中で最高に力を入れて書いている。いつかこのまえがきがジョン・キムを支える、そんな気がするから」。「考える」ということは、向い合っている誰かの、生きることに(時には死に)、深く関与することなのです。その社会が「考えないようにしようよ」になってしまう時、そこで生きている人たちの生きることが、限りなく軽くと言うか、安易であることを意味します。死ぬことも同様です。
 その「考える」ことで別に吉本ばななが言及していたのが「人生の道しるべ」(宮本輝、吉本ばなな、集英社)の、吉本ばななの「あとがき」です。

  「みんなが本を読まなくなって、日々やたらと忙しく早い回転ばかり求められ、ゆっくりものを眺める時間もなく、短時間のひまつぶしは満ち溢れているこの時代の中では、まるで『深く考えちゃだめだよ』『そうしたら苦しくて損だよ』と言われているような気持ちになることが多い。そういう傾向は私が若い頃からもちろんあったけれど、いまはもう常識になってしまった。でも、それは違うんだと輝先生ははっきりと示している」。

 その「考える」を基本に据えて小説を書く意味と「役割」は、読み手そして読み手であって欲しい人たちに、「生きる」を伝えることです。

 「そうです。70年代に黄金期を迎えた少女マンガの豊かなムードです。あとはボロアパートに貧乏学生が住んでいて、若くて経済的にも貧しいのに子どもを作っちゃうとか。現代文明と縁遠い感じも出しました。まこ(「鳥たち」の主人公の一人)は、親の思想の影響もあって、一般的な家族観を持っていません。どこか、世界の規範からずれています。でも私は、本人の主観で筋が通っているなら、他人に大きな迷惑をかけなければ、多少は常識外れでもいいんだよと言ってあげたかったんです。まこは、人に嫌われることを気にしていなくて、自分だけの信念と理屈を持って生きています。そうした、周囲に同調できない死、なかなか理解されない人のことを肯定するのが、私の小説の役目と思っているんです」。

 こうして語られていることも、「考えないようにしようよ」「深く考えちゃだめよ」となっている時代で「考える」ことを、生きることの根底にすえることとつながるのが、今を生きて書くことの意味と役割なのです。「考えないようにしようよ」「深く考えちゃだめよ」が時代となってしまっている状況で、2016年2月2日の新聞を眺めながら敢えて、いくつかのことで、「考える」に挑戦してみます。

 1.「マイナス金利、影響じわり」
  日本銀行の「マイナス金利政策」の導入決定で、預金金利を引き上げる金融機関が出始めています。で、連動して起こっているのが、住宅金利の引き下げです。「すでに低水準にある住宅ローンの金利もさらに下がる可能性がある」。人間の生活の基本が、衣食住だとして、「住宅」はもちろんとっても大切です。しかし、住宅ローンで手にした持ち家も、いわゆる少子高齢化が進む日本では、特に郊外で空き家が増えています。人間の生活が、幅広い人間の「つながり」で成り立つ基本が崩れてしまっているからです。しかし、「マイナス金利」で住宅ローンは下がります。家は手に入れやすくなります。そうして手に入れた家は、そんなに遠くない将来、空き家になります。「考えてみれば」何かがずれているように思えます。「考える」とすれば、生きて生活することの基本である幅広い人間の「つながり」が追及されない限り、明日はあり得ないのです。マイナス金利に走ってしまうのは何故なのかの、「なぜか?」こそが「考えどころ」なのです。

 2.「高浜3号機 送電開始」
  「…関西電力は1日、高浜原発3号機(福井県高浜町、出力87万キロワット)で発電と送電を始めた。プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使った『プルサーマル発電』で、東日本大震災後の新規制基準下で初めて」という、「高浜3号機送電開始」で、「深く考えちゃだめ」「考えないようにしようよ」が、今までも一貫しているのは、使用済み燃料のことです。原子力発電所を稼働する限り発生する、使用済み燃料という名の放射性物質です。増えるごとはあっても残らせない毒です。「考える」ことにすれば、明らかで現実的なのは、稼働の停止であるにもかかわらずです。

 3.「組み体操八尾市も段数制限、
市教委が方針『ピラミッド』5段まで」
  こうして段数制限が決まった理由について、過去10年間の事故状況を調べたところ、組み体操の練習や本番中に八尾市の36校139人が骨折していたことがわかった」からだそうです。「考える」ことが、人間の営みの基本だとしたら、こうして「わかった」だから「段数制限」となる以前に、そもそも、小中学生の学校の現場は、「考えないようにしようよ」「深く考えちゃだめよ」が蔓延していたとしか考えられません。だって、小中学生の学校が、子どもたちも含め「考える」現場だったとすれば、組み体操を段数で取り組む前に、子どもたちの体作り、その上で骨折にならない程度の段数が優先しているはずです。およそ「考えない」人たちによって、そこは子どもたちの生きた生活の現場ではなくなっているのかも知れません。

 4.新聞以外に、マタイによる福音書20章1〜16節の「ぶどう園の労働者のたとえ」で「考える」ことにします。
  たとえが、「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」と締め括られていますから、それですべてが解釈・理解できなくはありません。そのことの為だけだったら、ここまで労働者の状況が言及されるのは不自然です。その日の仕事にありつくことが難しいはずの人たちが「分断」され「失業」してしまっているのが明らかなのに、その人たちが、批評の対象になっています。不公平なのは、払われた賃金ではなく、働きたくても働けない人たちが現に存在していること、「他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た」「だれもわたしたちを雇ってくれませんから」などが、明らかにしていることです。

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