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2016年02月04週
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 2月25日、座り込みに参加していた辺野古を少し早めに(午後2時頃)出て、佐喜眞美術館に立ち寄ることにしました。「ケーテ・コルヴィッツ 草間彌生 浜田知明展」、中でもケーテ・コルヴィッツの作品を見る為です。
 佐喜眞美術館は、日本で有数のケーテ・コルヴィッツを所蔵する美術館で、今回は「戦争」第1集〜第6集も展示されていました。「戦争」を見たのは、たぶん1992年の伊丹市立美術館以来です。今回の佐喜眞美術館の展示で、「戦争」と並んで展示されていたのが「母はその余剰を与える」「ふたりのこどもとおしゃべりをするふたりの女」「家族」でした。6枚の「戦争」と3枚の母子(だと思う)は、並べて展示されていることで戦争の「惨状や恐怖」と「平和」を際立って訴える力を持っていました。ケーテ・コルヴィッツの「戦争」など、中国でケーテ・コルヴィッツの作品を紹介したのが魯迅です。「(15)『戦争』(Schlchtfeld)同上の第6幅、(1907年作)原寸41×53cm、農民たちは打ち負かされた。戦場に残されたものは何であったか?もうほとんど見分けもつかない。ただぼんやりと野を遍く包んだ闇夜のなかに屍体の横たわっているのが見える。一人の婦人が、籠灯で彼女の労働にみちた筋ばった手が一つの屍体の下顎に触れているのを照らし出している。光線はこの小さな塊に集中している。この塊は、きっと彼女の子供であろう。そしてこの場所はたぶん彼女が先ほど鋤を手伝ったところだろう。だが今日流れているのは汗ではなくて鮮血なのだ」(「魯迅美術論集、下巻」張望編、小野田耕三郎訳 未来社)。「…彼女の労働にみちた筋ばった手」も「…一つの屍体の下顎に触れている」も「この小さな塊」も「この塊はきっと彼女の子供であろう」の一つ一つが、ケーテ・コルヴィッツの魂と手によって確かに描かれていることを、魯迅は短い文章で適確に指摘しているように思えます。佐喜眞美術館で「戦争」の隣りに展示されている3枚の母子の平和が、戦争の「惨状や恐怖」を更に訴える力になっています。ケーテ・コルヴィッツの1枚1枚、6枚の「戦争」は、その真只中で「惨状や恐怖」を見てしまった人間による人間の戦争の描写なのです。
 「戦争」を目の当たりにして、改めてそれらのことに気付き確信することになったのは、ちょうどスベトラーナ・アレクシエーヴィッチを読んでいたからです。「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争、白ロシアの子どもたちの証言」そして「チェルノブイリの祈り」などです(いずれも岩波現代文庫)。「チェルノブイリの祈り」以外は、2015年のノーベル文学賞で話題になるまでは、目にすることはありませんでした。スベトラーナ・アレクシエーヴィッチが、前掲の3冊などで描写するのは、たとえば次のような戦争です。「…悪は善よりずっと多様で、人を引きつける。ますます深く戦争の無限世界に身をひたすと、ほかはすべて色あせて、さらにあたりまえのことになってしまう。戦争の世界は大きく恐ろしく獰猛だ。」(「戦争は女の顔をしていない」)。「…この本の語り手たちはその心配もいりませんでした。惨状や恐怖を飾り立てたり理想化することなどできないじゃありませんか。誰がこの本の主人公なのか、と言う質問にこう答えましょう。『焼き尽くされ、一斉射撃をあびた子供時代、爆弾や弾丸、飢餓や恐怖、父親を失うことによっても、死に追いやられたあの子供時代です』と」(「ボタン穴から見た戦争、白ロシアの子供たちの証言」)。
 今までに、見たこともあり、魯迅の文章でも知っていた、ケーテ・コルヴィッツの「戦争」ですが、そこに描写されている、うつむく「女たち」の顔の皺(髪)の陰影が、そのまま戦争の「惨状や恐怖」、その人たちの魂の底まで写し出しているのです。それらのことに、改めて気付き確信することになったのが、スベトラーナ・アレクシエーヴィッチの3冊の「証言」(女たちと子どもたちの証言)です。それは、「悪は善よりずっと多様で、人を引きつける。ますます深く戦争の無限世界に身をひたす」人間たちの戦争です。
 2月25日は佐喜眞美術館に立ち寄る為、読谷のTさんを訪ねた後、米軍嘉手納基地に沿って国道58号線を宜野湾に向かうことになりました。久しぶりの米軍嘉手納基地です。30年以上前、初めて沖縄を訪ねた時に、至るところに鉄条網を張り巡らし、英文と日本文の注書きで、外からの侵入を拒む米軍基地に驚き、強い違和感を覚えました。沖縄を訪ねる度に、違和感であったものが薄らいで行ったように思います。しかし、久しぶりに米軍嘉手納基地に沿って車を走らせて、基地の外に向け上段に3段の鉄条網が張られているフェンスの、すぐ向こう側のきれいに刈りそろえられた米軍兵士住宅(だと思う)の庭の木から木へ、ハンモックが張られていたりしているのを見て、改めて違和感を覚えました。そんな、フェンスの内の日常と、フェンスの外の日常は、同じ日常でありながら明らかに分断されています。決して交わることのない日常で、そこに働いている強制力が米軍基地の側から外に向かって張られているフェンスです。そのフェンスの内からも外からもお互いの日常は丸見えです。しかし、お互いに丸見えの日常の生活でありながら、交わることはあり得ないのです。いつだって出入りができるフェンスの内側(米軍と米軍家族)と決して立ち入ることのできないフェンスの外側(沖縄の人たち)です。このフェンスの内側の自由気ままに振る舞う人たちにとって「外(沖縄)」は「植民地」そのものです。同じであるはずの人間が、自らが圧倒的優位であることに何一つ傷みを感じなくても済むとすれば、「植民地」以外のなにものでもなくなります。スベトラーナ・アレクシエーヴィッチの「…悪は善よりずっと多様で、人を引きつける」は、どこか遠くではなく、沖縄で今成り立っていることになります。
 と、国道58号線を基地沿いに車を走らせている上空を、F15C戦闘機(スマホ情報・たぶん?)3機が轟音を響かせながら編隊飛行をしていました。











        
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