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2016年04月01週
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(3月20日の続き)
 ここで、「和解した」とされる「辺野古『代執行裁判』」が、裁判として変則的で、かつ裁判の体をなしていないことについて、いくつかの資料で示すことにします。その場合の参考資料と言うか、多く負うことになったのは「『公定力理論』という『空洞の権威』/辺野古『代執行裁判』に国の主張」(五十嵐敬喜、「世界」4月号、岩波)です。この論文によれば、たとえば「辺野古『代執行裁判』」は、高浜原発訴訟がそれなりに裁判であるような意味で争っている双方の主張を聞く場としての裁判の体を成していないことです。
 翁長雄志沖縄県知事が、前知事の埋め立て承認を取り消したのは、設置した第3者委員会が、前知事の承認が「違法である」としたからです。「委員会はまず『埋め立ての必要性の有無』を論じたうえで、具体的に、1号要件(国土利用計画上の妥当性)、2号要件(環境保護)について、大上段の政治論、すなわち『軍事基地』に関する沖縄県の占領と歴史、その広範な存在、そしてその危険性や反対運動など、文化・経済的な側面の意味や評価などについて大状況論として語るのではなく、あくまで埋立法の範囲内で一つひとつ丁寧な法的解釈を行い、仲井眞前知事の処分(埋め立て承認)には『瑕疵がある』 、つまり違法であるとしたのである」(前掲、「世界」、五十嵐論文)。これに対し、国は「辺野古『代執行裁判』」で以下のように主張します。
 「そもそも、翁長知事の取り消し処分は認められない。仮に認められたとしても、辺野古基地建設は、日本とアメリカの長年の交渉の結果であり、これを中止することは日米双方の国益を害する、辺野古移設はそもそも普天間基地の騒音被害や危険性などを解消するものである、普天間基地の返還はその跡地利用などにより、沖縄県全体の経済性など大きな効果を生み出す、すでに埋め立てには莫大な公費(税金)が投入されていて、埋め立てを中止すれば大きな損害が発生するのに対し、埋め立て中止により海の環境保全の利益は非常に小さく、甚大なものではない。これらの事実は誰が見ても明々白々のことであり、改めて証拠調べ等する必要もなく、裁判所は直ちに国側の勝訴の判決を書ける」。争うに足ることがあり、それが裁判になっているのに、国の主張以外一切聞く必要はないこの「問答無用!」の国の見解です。一方の沖縄県が、当然の裁判の論理(辺野古・大浦湾の埋め立てが違法である)で争うのに対して、国は争いの事実は一切無視し、国の主張は明々白々真理であるから、争う必要もなく、「裁判所は直ちに国側の勝訴の判決を書ける」とするものです。一方が、そこに争うに足る理由を具体的に列挙しているのに、国の利害の方が優先するから、すみやかに、国の主張を認める審判を下せというのが「辺野古『代執行裁判』」となります。そうだとすれば、公平に主張する場で、最終的に裁判所が判断を下す裁判というものが必要でなくなります。「辺野古『代執行裁判』」は国によって、裁判の否定としか言いようのないこととして進められています。
 「辺野古『代執行裁判』」についての、前掲の五十嵐論文の結語は、次のようになっています。
 「辺野古代執行裁判でも、裁判所は大仰な『公定力理論』を撤回させ、公有水面の埋め立ての合法性・正当性の審査に入るべきであり、そこに入れば、裁判所は軍事基地よりもジュゴンの生存に軍配を上げざるを得なくなると、私は信じている。信託の理論は、行政が国民の信頼を裏切った場合には一切を拒否してもよい、という理論である。裁判所が万が一、公定力のような理論で国民の期待を裏切るようであれば、沖縄はそのような状態に入るであろう」。
 結語の「…沖縄はそのような状態に入るであろう」は、他の誰にとってよりも沖縄の人たちにとって厳しい事態であって、この論文の五十嵐敬喜弁護士は、そのことの覚悟を、沖縄の人たちだけではなく、自らの覚悟として語っているに違いありません。
 この覚悟は、同時に自分の覚悟でありたいと願いつつ、この論文を読んでいます。
 「高浜発電所3号機及び同4号機を運転してはならない」とする、この度の大津地裁の判決は、「最高裁は人事を通じて介入してくる」日本の司法が置かれている現実であれば、2014年の福井地裁の運転差し止め判決と同じ「仮処分を取り消す」という決定になる可能性は大いにあります。そのことは許されないとしても、もっと許せないことをまかり通そうとしているのは「辺野古『代執行裁判』」なのです。そんなことが、まかり通るとしている人たちによって、「…われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永久と除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」を、前文とする日本国憲法が改悪されようとしています。 height=1
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