小さな手・大きな手、「昔々ある国・・・」(2005年9月11日)のことでは、“予言”の通りの結果になりました。殿さまはテレビカメラの前では、少なからず神妙にしていましたが、すべてがうまく行き過ぎて、高笑いが押さえられないという感じではあったのです。政治というものが仕組まれてしまう時に、そのことが全くの愚行であっても、いかようにでもなることをまざまざと示して見せてくれたのです。「昔々ある国・・・」で言いたかったのは、全くの愚行とうんと先の未来まで付き合うことになるであろう、ささやかな覚悟と意志表示ではあったのです。最後のところは、メデタシメデタシではなく、昔話の常にならえば“ドントハライ”です。
ドリス・レッシングは「アフガニスタンの風」(原題、THE WIND BLOWS AWAY OUR WORDS、LONDON)を、カッサンドラーのことで書き始めました。ギリシア神話のトロイア王プリアモスの娘カッサンドラーです。ドリス・レッシングが、アフガニスタンを訪ね、アフガニスタンのことを書くにあたって、カッサンドラーで始めたのには理由がありました。既にその時(1987年)、侵攻したソ連とアフガン人たちとの7年におよぶ攻防の結果「アフガニスタンの美しい場所は砂漠と化してしまった。貴重な美術品が豊富にあった古都も爆撃ですべてが失われた。アフガン人の3人に1人がすでに死んだか亡命したかあるいは難民キャンプに入っている。しかも、世界はほとんど無関心のままだ」(前掲書)。アフガン人たちが“大破局”と呼ぶ、ソ連の侵攻による国の破壊、戦争という愚行は、ギリシア神話の時代にも同じ愚行に明け暮れ、その後2000年歴史からは消え、紀元前600年頃からのローマ時代を経て、ずっと人は戦争という愚行に明け暮れてきました。その戦争の残虐と悲惨を、人は避け難いものとして生きることを、カッサンドラーのギリシア神話は描きました。愚行をも生きてしまうこと、それはしかし「数千年人間社会で機能してきたダイナミズム」(「沼地にある森を抜けて」刊行記念インタビュー、梨木香歩、2005年、「波」、9月号)であって、たやすくは覆し得ないのです。ドリス・レッシングが、20世紀のアフガニスタンの残虐な戦争を(・・・アメリカの侵攻により、21世紀のアフガニスタンはより残虐な戦場になっている)カッサンドラーで始めたのは、戦争という愚行の総ては、遠い過去とその物語とに結びつけて見るとき明らかになるものが多くあったからです。アフガニスタンに侵攻した多くのソ連兵が戦場で悲惨な死を遂げていきました。死んだソ連兵の武器を奪い、それを携え戦場に向かったたくさんのアフガン人(ムジャヒデーン)も悲惨な死を遂げました。破壊と敵味方別なく途方もない人の命が奪われていくのが戦争です。
梨木香歩の「沼地のある森を抜けて」(2005年9月、新潮社)を読みました。で、これがまた、ぬか床の卵が孵った“カッサンドラ”が、物語の展開に少なからず影響を持つという具合に描かれるのです。“私”の暗い預言の記憶が、ぬか床の卵から孵ったそのものを、思わず“カッサンドラ”と呼んでしまいます。そうしてぬか床の卵が孵った“カッサンドラ”と“私”は掃き出しの生を、容赦なくぶつけ合います。常にかき混ぜることで、絶えず変化し続けるぬか床、そこで生まれ孵った“カッサンドラ”は生々しい生き物なのです。しかし、そうして生々しく生きていることと、生きにくさとは紙一重です。なのに、人は生きにくささえ受けいれかねません。いいえ、受けいれてしまうのです。人はどんな生きにくさ、愚行であっても生きてしまいます。著者によれば、それは「数千年人間社会で機能していたダイナミズム」ということでもあります。ありますが、少し、なんとか踏みとどまりそれとは別の「・・・全く離れたコンテキストをどう読み込むか、他に道はないのか、一つ一つ、自身に深く問う作業が必要」(前掲インタビュー)ではあるのですが、そうして、なんとか少し物語り始めることは全く不可能という訳ではありません。少し、なんとか少し物語り始める時、遂には、全く別の、たとえば自分の中に眠らされていたもう一人の自分に出会い直す、ということも起こります。
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