「能」に少しだけ関心を向けることになったのは多田富雄の「能の見える風景」(藤原書店)に出会ってからです。多田富雄の「免疫の意味論」や「生命の意味論」を読んで、ファンになり、「能に造指が深く、舞台で小鼓を自ら打ち、また『無明の井』『望恨歌』『一石仙人』などの新作能を手がける」という著者の紹介で、「能の見える風景」を読むことになりました。「お能とは異界からの使者たちが現れる場である。フランスの作家ポール・クローデルが『能では何事かが起こるのではなくて、何者かが現れる』という意味のことを言ったのはまさにこのことである。現れるものの正体は、さまざまな意匠をこらした『異界からの使者たち』である」「非業の死を遂げた英雄の亡魂は、自分が殺された顛末を悟り、死んでなお残る恨みと悲しみを舞いに託し、成仏を願うというのが一般である。だから能は幽霊の劇、または魂の惜念の劇ということができる」(前掲「能の見える風景」)。
5月3日~5日、東大安田講堂で開催された、水俣フォーラム主催の「水俣病公式確認60年記念特別講演会」に参加しました。石牟礼道子全集を出版している、藤原書店から届いた案内で知った集会です。水俣病は石牟礼道子の「苦海浄土」などで知っているだけにすぎませんが、日本の歴史の核心の触れる、誰も避けて通れない出来事ないし事件の一つであると理解はしてきました。アイヌ、沖縄、広島・長崎の原爆、東電福島の事故そして水俣病などです。人間が人間の歴史で、その人間を極限まで貶めるというその出来事ないし事件の一つが水俣病です。一日目の講演会で配布されたプログラムの表紙には大きく「祈るべき天に思えど天の病む」と書かれていました。石牟礼道子の句です。そして、一日目のプログラムの冒頭が、石牟礼道子の「新作能『不知火』」の部分上演でした。能舞台ではない、講堂の「檀上」の一部音曲だけの能ですから、本来の能の体はなしていないのでしょうが、「魂を揺り動かすような笛の音が流れ」講堂の「檀上」の能は始まりました。同じように、出演者たちの「魂を揺り動かすような口上」で、一部分とは言え「不知火」は進行して行きました。笛や口上が、「魂を揺り動かす」のは、たぶん出演者たちが魂を揺り動かす人として、そこに登場しているからです。魂を揺り動かす石牟礼道子が「不知火」を書いているからであるのはもちろんです。
「…かの泉のきわにたち、悪液となりて海流に地上のものらを引き込み、雲仙のかたはらの渦の底より煮立てて、妖霊どもを道づれに、わが身もろとも命の水脈をことごとく枯渇させ、生類の世界再度なきよう、海底の却火とならん」
「ここなる浜に惨死せし、うるはしき、猫ども、百獣どもが舞い出ずる前にまずは出で来よ。わが撃つ石の妙音ならば、神猫となって舞い狂へ、胡蝶となって舞ひに舞へ」
人間が人間の歴史で、その人間を極限まで貶めた出来事ないし事件は、石牟礼道子の魂を揺り動かす水俣病が、魂を揺り動かす能の「不知火」になり、魂を揺り動かす笛、口上で演じられることになりました。「ここなる浜に惨死せし」「うるはしき、愛らしき猫ども」の水俣病は、逆立ちに鼻先でくるくる回って血だらけになり「まず茂道で猫が全滅しました」と5月3日杉本肇さんによって報告された「猫ども」です。 以下は、少し長くなった5月3日のアンケート用紙に書いた文章です。
能「不知火」と梅若玄祥さんたちの上演、杉本んの報告「まず茂道で猫が全滅しました」で、水俣病が60年間の命の激しい破壊であり続けるのを、心に刻み続けることになりました。何よりも、60年間水俣病を見つめ、引き受けた人たちが、更にそれを1000年先に伝える言葉なり思想にしてきたからです。その言葉なり思想が、それを受け止める人たちを生み出し続けてきました。
「…どのような悲惨があっても、一人の人間を本質的に傷つけることなどできない。一人の人間を貶めることなど誰にもできない。そのような不思議な確信が蘇ってきて、この確信をもってもう一度世界と対峙してみようという、そういう希望が湧いてきたのだ」(田口ランディ、水俣フォーラムNEWS No.29「教えられたこと」)
「能の中で不知火は…『わが身もろとも命の水脈をことごとく枯渇させ、生類の世界再度なきよう、海底の却火とならん』と怒り狂う。この怒り、この狂いにのたうちまわることがなければ、緒方さんの逆転の思想は生まれなかったにちがいない。」花崎皋平、水俣フォーラムNEWS No.29「まことに一期一会の」)。
阪本理史さんの飯館を中心とした福島の報告で感じるのは、その原発事故の悲惨が1000年先まで続くにもかかわらず、1000年先を見据えた言葉なり思想が生まれるに至ってないことです。飯館村は村の大半の放射線量が10mSv1年前後であるにもかかわらず、2018年には村民の避難が解除されます。双葉町、大熊町などはもちろん、飯館も本来なら消滅する村です。村全体が湧き上がる新緑の春の飯館村を、底なしに汚染してしまったのが、東電福島の事故の放射能です。命のいかなる細部の営みを見逃さず汚染し、破壊する放射能が湧き上がる新緑の春に宿り、村の大地を削り取った数え切れない袋の山の愚行が、言葉にも思想にも、捉え切れないところが福島のもう一つの悲惨です。
100人を超える甲状腺ガンの子どもたちの苦痛とうめき、更にそんな子どもたちが増え続けるであろうにもかかわらず、それをすくい上げる言葉なり思想が生まれないのが福島のもう一つ別の悲惨です。
水俣と福島は繋がっています。しかし、「汚されて怒り狂い、のたうちまわって生きた思想」が福島から生まれない限り、繋がって共生することにはなりにくいように思えます。福島で生きる人たちが、あらゆる意味で奪われた生活の「賠償」を求めるのは当然です。しかし、消滅する町と、たとえば甲状腺ガンの子どもたちの苦痛とうめきの福島は、どんな「賠償」でも償えない「この怒り、この狂い」が言葉なり思想になるところからしか何も始まりもしないのです。
この特別講演会の二日目のタイトルは「地の低きところを這う虫に逢えるなり」、三日目は「われもまた人間のいちになりしや」で、いずれも石牟礼道子さんの文章からです。三日目、講演の奥田愛基(SEALDS)さんは、自分の生きてきた人生を話しながら、タイトルの「われもまた人間のいちになりしや」を「人間として扱われる」と言いかえていました。水俣病を発病し、人間として扱われることなく死んでいった患者さんたちに思いをはせてのことです。
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