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小さな手大きな手

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2016年06月02週
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 東京銀座4丁目、教文館ビルの6階にあるのが、「ロングセラーを中心とした子どもの本屋」「ナルニア国」です。「ロングセラー」は、時には半世紀を越えて読み継がれてきた子どもの本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」(バートン、福音館)、「かもさんおとおり」(マックロスキー、福音館)、「おさるのじょーじ」(レイ、岩波)、「11ぴきのねこ」(馬場のぼる、こぐま社)などの絵本です。
 ロングセラーの「11ぴきのねこ・シリーズ」(2016年6月現在、420万部)、「わたしのワンピース」(2016年2月現在、165万部)などを発行してきた、こぐま社の佐藤英和さんは「実は出版社として、私がいちばん願っているのは、長く読み継がれる本をつくりたいということなんですけどもね。ロングセラーというのは実はつくることができないんですよ」とおっしゃっています。(「絵本に魅せられて」佐藤英和、こぐま社)。一方、ロングセラーの作者となった西巻茅子さんは、自分の絵本づくりについて「・・・子どもを取り巻く環境の中に、私の絵本が入っているのであれば、やはり心をこめて、魂をこめて、作らなければと思うのである。本当に幼い子どもと共感しあえる世界を、絵本の中に作ろうとすれば、太古から人が持ち続けてきた素朴な感情と素直な人間感を私自身が持ち続けている以外にはないだろうと思う」(前掲「絵本に魅せられて」西巻茅子)。
 「絵本に魅せられて」には、「ロングセラーを中心とした子どもの本屋」「ナルニア国」の「ナルニア国憲章」が紹介されています。
 ・ナルニア国はだれもがくつろげる空間です。なぜなら、すぐれた子どもの本は読む人にやすらぎをもたらしてくれるからです。
 ・ナルニア国は何度も訪れたくなる空間です。なぜなら、ここにはくりかえし読みたくなる命と力にあふれた本が出会いを待っているからです。
 ・ナルニア国は穏やかで満ちたりた空間です。なぜなら、ここには豊かで美しい世界に誘ってくれる本がたくさん揃っているからです。
 ・ナルニア国はこころが自由になれる空間です。なぜなら、ここにある本は私たちの心を解き放ち、どこへでも飛んでゆける、想像力の翼を与えてくれるからです。
 ・ナルニア国は時間も国境も越えられる空間です。なぜなら、ここに選ばれた本は、世界中の小さな人たちから、年を重ねた人たちまでをひきつけ、世代を超えて長く読み継がれていくからです。
 教員・生徒の負担を減らす為、文科省が「中高の部活休養日指針」を作成するのだそうです。「文部科学省は3日、中学と高校の部活動について、休養日を設けるよう学校に求める案を大筋でまとめた。顧問の教員の負担を軽くし、生徒の健康を保つため、過度な活動を適正化するのが狙い。文科省は来年度にもガイドラインをつくり、休養日がどれくらい必要かなどの基準を初めて示す方針だ」(6月4日、朝日新聞)。「2014年公表の国際調査では、中学教員の部活動の指導時間が日本は参加国平均の3倍を上回って最長。文科省は、生徒にとっても部活動以外の多様な体験に影響が出かねないと判断した」「案では休養日を設けるほか、複数の顧問を配置することなどを学校に求める。さらに国の施策として、教員、生徒、保護者を対象に部活動の実態を調査する。◇休養日はどれくらいの日数が適切かなどをスポーツ医学の視点から研究する◇調査の研究の結果を盛り込んだガイドラインをつくる―と明記する方針」(同前、朝日新聞)。部活動は生徒の自主的、自発的な参加で行われるとされていますが、「週6日以上の中学校は5割超。全教員が顧問になるのが原則の中学校は3分の2」である実態は、現場での生徒や教員にとってほぼ避けられない活動であることを意味しています。
 ほぼ強制(義務化)となっている部活の現場に、あまりに過重になっているということで、文科省が「休養日指針」を作るのです。 「休養(日)」は、とっても大切です。古代社会の人たちが「神は第7日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終わって第7日に休まれた。神はその第7日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終わって休まれたからである」と、あえては「第7日に休まれた」「わざを終わって休まれた」としたのは、生きものとしての人間は経験的にそれが必要であることを知っていたからです。その場合の「休み」(休養・日)は、「どれくらい必要かの基準」で示されるようなものではありませんでした。生きものとして人間が、生きていく時の経験から必然的に生まれた、言わば知恵だったのです。
 「休み」「休養」は、「休養日がどれくらい必要かなどの基準」を他の誰かから示されることで、決められたりしないもののはずです。たとえば「部活」は、もともとは「自主的・自発的」だったのだそうですが、すぐれて自主的・自発的であるのが本来の「休み」「休養」です。その、「休み」「休養」を、「どれくらい必要かなどの基準」を示されたりしたら、おちおち休んでいられなくなります。
 前掲の「ナルニア国」は「ロングセラーを中心にした子どもの本屋」です。そこにはいくつかの憲章があります。「ナルニア国はだれもがくつろげる空間です。」「ナルニア国は何度も訪れたくなる空間です」「ナルニア国は穏やかで満ちたりた空間です」「ナルニア国はこころが自由になれる空間です」「ナルニア国は時間も国境も越えられる空間です」。
 「休み」「休養」というものの本来のありようは、「くつろげる」「何度でも訪れたくなる」「穏やかで満ちたりた」「こころが自由になれる」「時間も国境も越えられる」そんな時間であり空間であるはずです。「休養日がどれくらい必要かなどの基準」で、誰かに決めてもらうものではありません。「自主的、自発的」であったはずの部活が、顧問の教員の負担を重くし、生徒に過剰な活動を強いることになっている学校で、部活の「休養日指針」まで作成されてしまうのは、中高の子どもたちの管理が休養日の休養の管理にまで及ぶことを意味します。
 いつだったか、吉本隆明とイヴァン・リンチが対談で学校教育を「通過儀礼だ」と話していたのを覚えています。否定するのでなく、かと言って絶対化するのでない「とりあえず、付き合っておく」が、その場合の2人が了解する学校教育でした。学校教育を、自主・自発であるはずの部活を、管理絶対化し、その管理が「休養日」まで及んでしまうのが昨今の学校らしいのです。


僕が 朝を待つのは
僕の顔が
朝日で輝くからです
僕に自由をください

僕が 友達と出会うのは
僕の名前を
呼んでくれるからです
僕に自由をください

僕が お母さんを好きなのは
僕の物語の
始まりを作った人だからです
僕に自由をください

僕が 今日生きているのは
僕の顔と名前と
物語があるからです
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