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小さな手大きな手

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2016年07月02週
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 10年余り前、「母の友」で紹介されていた絵本「こうちゃん」(酒井駒子絵、河出書房)で「こうちゃん、灰いろの空から降ってくる粉雪のような、音立てて炉にもえる明るい火のような、そんなすなおなことばを、もう、わたしたちは、わすれてしまったのでしょうか」などの言葉に出会い、作者の須賀敦子のファンになりました。「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「トリエステの坂道」などを手当たり次第に読むことになりました。「ユルスナールの靴」がきっかけで、マルグリット・ユルスナールの作品の世界にも関心を持つようにもなりました。カラヴァッジョも、須賀敦子が「聖マタイの召命」について書いている文章から、他のカラヴァッジョの作品の世界への関心を広げることにもつながりました。いずれの場合も、著者(須賀敦子)の対象(人物)に向かう時の「価値観を共有(している、しようとする)」が静かな説得力が迫ってくるからのように思えます。
 そんな須賀敦子の、特設コーナーが書店に「永劫回帰」のタイトルで設けられていて、その中に、あまり読んだことのなかった「翻訳書」も並べられていました。その中の一冊が「供述書によるとペレイラは・・・」(アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳、白水Uブックス)です。小説の舞台は、1930年代のリスボンで、ペレイラは「ぱっとしない日刊紙『リシュボア』(リスボン)」の文芸欄編集者です。事件現場などを担当する仕事を、バリバリ頑張っていた時もありますが、今は、甘党で大食の結果、肥満で心臓も悪い、すべて受け身で消極的に生きています。本のタイトルも展開も「供述によるとペレイラは・・・」となっているのも、うながされ問われてはじめて語り出す、文字通りペレイラの「供述」によって物語が展開されるからです。
 だからと言って、ペレイラはすべてにおいてぼんやり過ごしている訳ではありません。彼なりのアンテナが、世界と世界の状況に張りめぐらされているのは、「ぱっとしない」とは言え、一人の生きた人間の感覚を失わない日々を生きているからです。金使いであっても、人間の観察であってもペレイラはぼんやり流されて生きている訳ではありません。そして、「できるかぎりのことは、する」のです。「体制派の編集部長がいて、体制は警察は言論統制という武器をもっている、なにしろポルトガルでは、だれもみな口に猿ぐつわをはめられていて、自由に意見をいうことができない」のだから、じぶんはロドリゴ・ダ・フォンセカ街のみすぼらしい小部屋で、喘息やみの扇風機を相手に、警察のまわし者らしい女管理に監視されて毎日をすごしている、ペレイラは、そんなことのすべてを夫人にぶちまけたかった。だがそうはしないで、彼はこれだけ言った。できるかぎりのことは、するつもりです」。「自由に意見をいうことのできない」ポルトガルで、ペレイラは、「友人」の虐殺事件の当事者を告発する記事を自分の署名入りで発表することで、自分の「できるかぎりのことは、する」のです。
 7月3日の新聞(朝日新聞)の「2016参院選、焦点区の攻防➅」の、「焦点区」は「沖縄(改選数1)」で、見出しの「米軍基地の島、かみ合わぬ論議」で争っているのは、「金城竜郎/52/諸新幸福実現党」「島尻安伊子/51、自現②/沖縄北方相」「伊波洋一/64/元宣湾市長」です。「米軍基地の移設問題に直面する沖縄選挙区(改選数1)。公示前に女性殺害・遺棄事件で元米兵が逮捕され、県内は衝撃に包まれた。だが、閣僚の自民現職はあえて基地を語らず、無所属の新顔も身内に温度差を抱える日米同盟の負の側面にさらされる基地の島で、議論はかみ合わない」「基地問題を避けようとして逃れられない島尻氏。強調するほど足元が揺らぐ伊波氏。県議の一人は『どっちもねじれている。基地ゆえのジレンマさ』と話す」(以上、朝日新聞)。選挙中に新聞は、特に「公平」であることが求められますから、たぶんこんな記事の構成になりました。「両陣営」はと言えば「どっちもねじれている。基地ゆえのジレンマさ」とは言いながら、「できるかぎりのことは、する」のです。一方の陣営は7月10日の参院選の投票日を前に、沖縄で繰り返される海兵隊員による事件・事故の対策として、「米軍属の範囲限定/日米合意」を発表しています。「岸田文雄外相に中谷元・防衛相は5日、ケネディ駐日大使、ドーラン在日米軍司令官と東京都内で会談し、日米地位協定の軍属の範囲を4分類に限り、狭めることで合意した」(7月6日、朝日新聞)。3月、5月と米海兵隊員・元海兵隊員(軍属)によって相次いだ事件のあと、沖縄の人たちが求めているのは、「米海兵隊撤退」です。参院選投票日前のこの「合意」は、「あえて基地を語らず」ではなく、米軍基地の可否は論外であって、基地の現実と存在は決して踏み込まない日米の、沖縄の人たちに対する結論の通告です。「閣僚の自民現職」が沖縄の人たちに求めているのは、繰り返される事件・事故の基地問題を避け「暮らしを良くする」です。地位協定の、軍属限定の改定は避けなくてもです。
 「無所属の新顔」はと言えば、「ねじれ」に足元を揺さぶられながら、「基地はもういらない」をゆずれません。そんな、「無所属の新顔」の「私設応援団」の「わんから・市民の会」の要請もあって、「応援ストラップ」を作ることで、ささやかですが、しかし「できるかぎりのことは、する」の応援をしています。そのストラップ約200個が「完売になりました!がんばっています」との便りが、沖縄から届いています。
 「供述によるとペレイラは・・・」の、須賀敦子の「訳者あとがき」は、以下のように始まります。

 いくつかの政治の腐敗が明るみに出て、経済的な行きづまりを増幅させたうえに、とんでもない人物がイタリアの政権をになうことになった。その結果、あっという間に右翼勢力が票を伸ばし、二十世紀前半の(ドイツや日本とおなじように)イタリアを醜くつまずかせた忌まわしい政治思想を、いつ国民が(もちろん、この前とおなじように、それとは気づかないで)選択してもおかしくない、と思わせる状況が、一部のイタリア人たちに衝撃をあたえた。つい二、三年まえのことである。

タブッキが、イタリアのその時の状況を「できるかぎりのことは、する」作品を書くことで生き、その「できるかぎりのことは、する」を引き受けて、作品を翻訳し、あとがきを書いているのが須賀敦子です。前掲の新聞は、何やら中立を装ってしまうのではなく、沖縄で繰り返される理不尽を、「できるかぎりのことは、する」でえぐれなくはないのですが。
アベ政治を許さない! height=1
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