日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2005年10月01週
height=1
 映画「エレニの旅」(テオ・アンゲロプロス監督)を見ました。170分の映画の最後のあたりで、主人公エレニの双子の息子がギリシア内戦の政府軍と反乱軍に分かれて闘う戦場で再会した時に、どちらかがかけた声“アデルフォス”(・・・というギリシア語だったと思う)が耳に残りました。アデルフォスは“兄弟”を指すギリシア語です。アデルフォスは新約聖書で繰り返し使われます。いわゆる兄弟を意味する場合と、信仰(志)を同じくする仲間の意味でも使われます。「イエスは彼らに答えて言われた、『わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか』」(マルコ福音書3章33節)。「兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることである」(ローマ人への手紙10章1節)。
 「エレニの旅」の主人公エレニの双子の息子は、ギリシア内戦の政府軍と反乱軍に分かれて闘い2人とも死んでしまいます。というような映画で、ハタと気が付いたのは、ギリシア語で書かれている新約聖書や、たまに読むギリシア神話、ギリシア悲劇(喜劇)のギリシアは少しばかり知っているのに、それとは別の、それから後のギリシアのことはほぼ全く知らないことです。
 「エレニの旅」は、「・・・1919年頃、ギリシアのテサロニキ湾岸のあれた草野に、東をめざして歩きつづける人々がいる。ロシアのオデッサに移民として行き、革命の勃発に赤軍のオデッサ入場で、命からがら逃げてきた逆難民のギリシア人たちだ」(映画「エレニの旅」パンフレット)。この“テサロニキ”は、新約聖書でパウロの最初の書簡と言われる「テサロニケ人への第一の手紙」の冒頭の「・・・パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ」で書かれているのと同じギリシアの地名です。
 で、ギリシア神話や新約聖書とは別の、それから後のほぼ全く知らないギリシアのことを少し調べ、ギリシア神話を読み直したりしています。ギリシアについての記述は、手元の年表(世界史年表・河出書房新社)ではローマが地中海世界を制覇する紀元前200年頃から見あたらなくなります。その後ギリシア、及びそれに関連する事項が出てくるのは、16世紀中頃です。「・・・1569年、キュプロス島がトルコに占領される」(前掲、世界史年表)。「・・・ヘラス(ギリシア)は古代の栄光の時代を開いた後、およそ2000年にわたって歴史から消えていた。アレキサンダー大王によって東方ヘレニズム世界に拡散され、ついでローマ帝国に呑みこまれ、その分裂後はビザンツ帝国の正教的風土のふところに溶け込むが、16世紀半ばからは異教徒オスマン・トルコの支配するところとなった。その消滅したヘラスが再びヨーロッパ周辺の地政図に浮上するのは19世紀になってからのことだ」(「慟哭のエレニ/アンゲロプロスの“ギリシア”」西谷修、UP、8月号)。
 “古代の栄光の時代”のギリシアと、“消滅した”ギリシアは、全く別のものだった訳ではありません。古代の栄光の時代の“神話”が伝えるギリシアは、血で血を洗うトロイアとの戦争の勝者にはなりましたが、「・・・こうして雄大な大遠征は、トロイアの廃墟と、生き残った英雄、それに捕らわれたトロイアの女たちを満載した数隻の船のほかは何も残らなかった。生存者たちは嵐で散り散りになり、さまざまの長い苦難を経てのち、ようやくギリシアの沿岸にたどりついた。しかしそこでも、真の幸福が待っていたのは、ほんのわずかな英雄にすぎなかった」(「ギリシア・ローマ神話?」白水社)という結果になります。人というものを洗いざらい描き尽くした“神話”は、歴史から消えたとは言えその後の“ギリシア”の歴史とそこで生きる人のことも既に余すところなく描き尽くしていたのです。アンゲロプロスの「エレニの旅」が、そのことを証言します。と証言されているのは、決してギリシアだけのことではありません。
 たとえば、「エレニの旅」には、エレニの夫で双子の子どもたちの父、沖縄で死んだアレクシスのことが描かれます。「・・・ケラマ島。太平洋沖縄の25マイル西の小さな島。・・・この誰も知らない島で、黄色い川の泥のなかを銃をかついで進んでいる。もうすぐ6万の兵が死を覚悟で出撃する。オキナワは地獄だ」(“アレクシスの手紙”、前掲映画パンフレット)。実際の沖縄は、13万人の米兵が出撃し2万人が死んで、日本兵・軍属が9万人、沖縄住民13万人が死んだ正真正銘の“地獄”でした。“ケラマ島”は、正確には慶良間諸島で、中でも渡嘉敷島、座間味島で起こった“オキナワは地獄だ”が、そこで起こってしまった「集団自決」です。

height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.