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2016年08月03週
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 東電福島の事故の原子力発電所の現在の「記録」が「世界で初めて『福島第一原発廃炉の現場』の内実を正面から記録した出版物」としてまとめられたのが「福島第一原発廃炉図鑑」(開沼博編、太田出版)なのだそうです。編集者が、それを「図鑑」としたのは、それを理解しやすくする為の方法・手段(文章はもちろん、図・表など)を駆使し、かつ客観的な評価に耐え得る出版物と自負するからだと考えられますし、そのことを「もうひとつの『はじめに』」で明言しています。
 「言うまでもなく、批評とは何かを否定して潰し再起不能にする作業ではない。存在意義を認められていなかったり、一段下のものと思われていたりするようなものにこそ価値があることを示し、新たな世界観を提示する。その創造的な側面にこそ批評の真髄はある」「3.11以降の思想と向き合ってきた私は、『言葉の空白地帯』や『固定化する言葉』が看過され、むしろ、批評の形をとった否定の言葉が溢れる中で、言葉を生み出す生産性を鈍らせその空白が広がり、固定化され固着する現場ばかりを見てきたように思う。たとえば原発・放射能をめぐる教条主義的な議論がそうであるし、エセ科学に文系学者・文化人が動員され福島差別に加担していることもそう。批評ではなく否定の力しか込められていない言葉が、5年たって状況を改善するどころか悪化させてきた。個人的には当初から警告してきたつもりだったが警告通りにことが進んできたことに打ちひしがれるばかりだった」。
 こうして「図鑑」で、編集者が「批評の言葉や批評的な態度を喚起する試み」として提案するのが「脱魔術化」です。で、「過剰に政治問題化、科学問題化して多くの人が『難しい・面倒くさい』となってしまった問題を、科学的に記述しなおすことになったのが「福島第一原発廃炉図鑑」です。編集するにあたり別の手がかりになったのが「百科全書」です。「18世紀半ばに登場した『百科全書』のように散り散りに存在するばかりになっている情報を体系化し・・・あるテーマにしぼりつつ言葉の空白地帯を埋める形で、『そのテーマについて語るならばこれは知っておきましょう』と知識の枠組みを示す作業」を経て出版されたのが「福島第一原発廃炉図鑑」になります。
 という「図鑑」をざっとながめて、言うところの「知っておきましょう」で、あれこれ言及する「知」が、この程度であるとするなら、「図鑑」及び図鑑の編集者(たち)は知をないがしろにしていると言えなくはありません。で、以下、いくつかの点で「図鑑」を検証することにします。その場合に押さえておきたいのは、「図鑑」が「初めて」「現場」「内実」「正面」「記録」などと自らの批評を定義するにもかかわらず自ら言い切ってしまうことが、そのまま「いつわりの知」になってしまっているかも知れないことへの危惧です。
 原子力発電は、ウランの核分裂によって発生するエネルギーで水を沸騰させタービンを回して発電する技術です。同時に、発生する放射性物質(放射能の毒)を完全に閉じ込めることが絶対条件であるのも、原子力発電であり要求される技術です。「放射能の毒を完全に閉じ込める」ことが条件になるのは、この毒が環境中に放出された場合、消去することも解毒するとも難しい毒だからです。放出された毒のプルームは極めて短い時間に拡散し、広い地域を汚染してしまいます。東電福島の事故では、事故の原子炉に隣接する、大熊・双葉両町に加え、浪江町、飯舘村などが、全町・村域が消去の難しい放射能の毒で汚染され帰還困難区域になり、事故から5年以上経った今でも全住民が避難しています。
 消去することも解毒することもできない放射能の毒に人体などが汚染されるのが「被曝」で、それは、人間のDNAの結合に関係するエネルギーの数千・数万倍の放射線のエネルギーが人体に影響を及ぼすことを意味します。「被曝」のことも「図鑑」は言及していますが低線量であることを理由に、影響をほとんど認めていません。しかし、そうして評価する「知識」は、本来「百科全書」的なものが依って立とうとした知識の、本来のありようからは外れているように思えます。低線量だから影響を認められないとするのではなく、時間をかけ、更に幅広い情報によって見極める発想こそが、「百科全書」が提起しよとしたことだからです。もちろん、この場合も、だからすべてが解ってしまうとするなら、それもまた「いつわりの知」になってしまいます。「図鑑」が「百科全書」的なものも踏みにじり、更に、より「いつわりの知」になってしまっているのは、放射能について及び、それを環境中に放出させてしまった東電福島の炉心溶融事故の事実を「図鑑」編集の根底に据えないからです。起こってしまったのは消去することも解毒することもできない毒が、環境中に放出された事故でありその事実です。その事実はどんな意味でも取り返しがつきません。なぜなら、放射能の毒は消去も解毒もできないからです。
 「図鑑」が問題にしているのは「廃炉」ですが、これもまた多くは事故の事実を、敢えて避けているように見えます。もし、万一、溶けた燃料及びその時に溶けた容器などを運び出すことができたとし、それを「廃炉」と言うなら、東電福島の事故理解の根本を見誤っていることになります。繰り返しますが、東電福島の事故は、閉じ込めることが条件である放射性物質が閉じ込められなくなって、環境中に放出させてしまった事故です。今も、放出は続いているし、放出したものを「処理」した放射性物質は、そのまま別の容器に移され東電敷地内に仮置きされています。その処理は、消去することも解毒することもできない毒としてそのまま残っているし残り続けます。
 「図鑑」で言及される、循環冷却設備とその過程で「除去」されるセシウムは、「使用済ベッセル」で保管されその数は増え続けており、セシウムを「除去」した超高濃度の汚染水は、多核種除去設備で多核種を「除去」し、それが「処理カラム」などで保管され増え続けています(注)。除去できないトリチウム汚染水は、90万トンを超えるといわれています。セシウムや多核種が詰め込まれた容器などは、本来は環境中には存在させてはならないのですが、事故で、「特殊原子力施設」となった東電敷地内であれば、例外として許されることになっています。90万トンを超えて増え続けるトリチウムは、水で薄めて海洋に放出させる案が、関係者によって、繰り返し提案されようとしています。
 こうした事実が物語っているのは、もし、万一、溶けた燃料などをとり出すことが可能になったとしても、消去も解毒もできない毒を、環境中の別の場所に移し変えただけだとしたら、それを批評する「知」は「知」には限りがあることの認識です。なのにそれを「百科全書」を借りて、批評するのは詭弁であり、それこそが「百科全書」がその存在において問いかけていることです。「世界で初めて『福島第一原発廃炉の現場』の内実を正面から記録」することがあり得るとすれば、消去することも解毒することもできない放射能の毒による被曝を多くの人たちが避けられなくなった事実です。「廃炉」というなら、それもまた、閉じ込められなくなり消去も解毒もできない放射能の毒との避けることのできなくなった共存の現実であり、避けることのできない被曝です。
 「図鑑」は、事故対策の費用を「廃炉に2兆円、賠償に7.1兆円、除染に3.6兆円。合計で12.5兆円ぐらい」としています。これら費用は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(言賠機構)を通じて国が東電を支援していますが、いずれの費用も大幅に増えることは確実です。増える費用の支援も国が行わざるを得なくなります。事故の当事者は東電であるとしても、それが及ぼす影響は、止まるところを知りませんから、どんな意味でも国は放置することはできないからです。「図鑑」が「百科全書」的な知で批評し明らかにしなくてはならないのは、こうした事実です。
 「はじめに」の「一時は人が住まなくなったその周辺地域がいかなる未来に向かっていくのか」は、「一時は・・・」ではなく、ほぼ半永久的にかつ大量の被曝を余儀なくされる現在であり未来です。そして、使われることになる費用のほぼすべては、ただただ、失われるものを補うことで使いつくされることになります。それは何かの始まりではなく、終わりを引き延ばすだけの働きであるとしてもです。


(注)第二セシウム吸着装置使用済ベッセル及び多核種除去設備の保管容器、処理カラム及びモバイル式処理装置使用済ベッセルを含む使用済ベッセルは、2016年7月28日現在、3232体。「廃炉・汚染水対策チーム会合/事務局会報(第32回)」。 height=1
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