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2016年08月04週
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西宮市教育大綱(素案)に対する意見

 国の「地方教育行政法」の改正に基づき、地方公共団体の首長に策定が義務付けられたことで、西宮市は「西宮市教育大綱(素案)」(以下、教育素案)をまとめ、市民からの意見を求めています。以下、市民の一人として「教育素案」についての意見を提出させていただきます。
 「教育素案」を一読し、いわゆる教育理解における根本が安易でかつ子どもという存在がないがしろにされているように思えますので、その全文を引用し、かつ「教育素案」をまとめたとされる関係者・役職についてもそのまま示すことにします。


「教育素案」は、上記のように、子供たちへ、大人たちへとして、それぞれ6項目、7項目を「・・・しよう」という「スローガン」としてかかげ、行政の言葉で大枠としての西宮の教育の「主義・主張」を示します。
 教育が、その成り立ちにおいて持っている難しさを抜きに、行政が行政の立場で行政の言葉で、こうして「教育素案」を語れてしまうのはなぜだろうか。子どもについても子どもの教育についても、今を生きる子どもたちと、その生きた歩みを共にする中で一生懸命考え、一歩一歩を進めていくよりないのが子どもであり教育です。「一人一人の多様な存在」が子どもであり、教育する大人だからです。「教育素案」の前文、そして6項目、7項目の程度で教育が可能だと理解されているのだとすれば、これを作成した人たちは、もう一度教育の難しさと可能性を問うことから始めるべきであるように思えます。
 人間を教育するのは人間です。「教育素案」を作成した一人一人も、ちょっと胸に手を当ててみればすぐ解るように、一人一人が生きてきた歩みは、「前文」や6項目、7項目の多くは、時には遠く、実現もできなかったことのはずです。
 しかし、人間は教えられ学んで生きる生きものです。その場合の教えるは、教える側から教えられる側へ、いくばくかの強制力が働くことをまぬがれない営みです。だからと言って、教える側に、他者に(子どもたちに)対し、強制力を行使するいかなる権利も有していないのは、それを合理的に説明することが難しいからです。(この度の、「教育大綱」の素案は、地方教育行政法という国の法、国家権力による「強制」ですが、もし、人間という生きものの教育の根源に遡るとすれば、どんな強制する力もゆるがざるを得なくなります)。
 理由ははっきりしています。教育を強制する人間が、そもそもあらゆる意味で危なっかしい存在であるからです。
 しかし、人間は教えられ学んで生きる生きものです。その時の、教える側から教えられる側に働く強制力が許されるとすれば、人間と人間社会への洞察を怠らないことであるように思えます。「人間社会は人間固有のものであるが悪を伴う」と見抜いた思想家としてルソーを批評しているのは、レヴィ・ストロースです。(「悲しき熱帯」レヴィ・ストロース、中央公論新社)。
 人間は教えられ学んで生きる生きものです。中でも教える側は「人間社会は人間固有のものであるが悪を伴う」ことの洞察を怠ってはならないのです。西宮市の「教育素案」が、前文、そして6項目、7項目をスローガンとして並べてしまう時、依って立つ根拠を自ら放棄していると言わざるを得ません。 height=1
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