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小さな手大きな手

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2016年09月02週
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 9月6日(火)、東村(ひがしそん)高江ヘリパッド工事反対行動で、早朝(午前6時)から一緒に行動していたKさんが、福岡県警機動隊に逮捕されてしまいました。工事現場近くの県道を行き来しながら、工事車両が入ってくるのを警戒しながら、ゆっくり行き来(のろのろ運転!)していて、「今日はこれまで!」の合図で、別の集合場所に移動する途中、大量(約20台の10トンダンプ)に出くわし、うまい具合に最後尾の工事車両と警察車両の間に入り込みました。高江の工事で反対する人たちを強制排除するための手段の一つが、工事車両の前後を、警察車両ではさみ込んでしまうことで、そのうちの一両は、20〜30人の機動隊員が入り込んだ、“かまぼこ”です。その“かまぼこ”が、高江には、千葉、品川、練馬、神奈川、福岡、大阪などのナンバーの車両、およそ40台(500〜800人規模の機動隊員)が送り込まれていると言われます。県道の一車線がこれらの警察車両でふさがれ、工事車両は前後を警察車両に“守られ”更に、“N1ゲート”と呼ばれる工事車両の出入り口の南北200〜300メートルの車両及び人間の“規制”が行われますから、反対行動はなかなか難しいのです。
 で、取られた“作戦”(?)が、“N1ゲート”からかなり南の正門で、たとえば工事関係者の前などに入り込んで、車をゆっくり(のろのろ)運転する反対行動です。6日には、「無理はしない!車外には出ない!」などの注意を受け、Kさんなどとは別の車で、N1ゲート南、米軍北部訓練場正門の前をゆっくり行き来していました、「今日はこれまで!」の合図で、別の集合場所に移動する時に、出くわしたのが前述の大量の工事車両です。しばらく走ったところで、現れた機動隊員が投げ出した大型十字手裏剣を3枚連ねたような道具で車を止められ、有無を言わさず「Uターン」させられました。
 その同じ頃に、工事車両の先頭あたりに出くわして、ゆっくり走っていたKさんが逮捕されてしまったのです。「威力業務妨害」だそうです。で、午後3時頃に、Kさんが留置されている名護警察署に行きました。既に、支援・抗議する人たちが集まり、留置場内まで届く音量の拡声器を使い、交代でKさんを励ましていました。で、そんな人たちの最後くらいに、“友人”の一人としてマイクを握りKさんを励ますことになりました。だいたい、以下のような内容です。
逮捕は不当である。
警察は、ある意味でなんだってできる、絶対権力を持っている。たとえば、高江でだったら、県道の一車線を”規制”と称して、ゲートの前後数百メートルを、通行を止めてしまうこともできるし、走っている車両の前に、”大型十字手裏剣ブロック”を投げ出して、車を止めることもできるが、もちろん、一切おとがめなしである。という、絶対権力者であったとしても、その権力の行使をむやみやたらにすることは許されない。許されるとすれば、法に基づき、公平・平等でなければいけない。もし、警察がその権力の行使の一つとして市民を逮捕・拘束などする場合はなおのこと、公平・平等でなくてはいけない。
ところが、警察が高江で行っていることは、公平・平等を著しく逸脱している。東村・高江区の人たちは、そこにヘリパッドを建設することを望んでいない。その意志をはっきり示している。沖縄の人たちも、山原(やんばる)の森を壊して新たに米軍基地を作ることを望んでいないし、その意志を示している。そうして望まない工事を強行し、反対行動を、たとえば県道の通行を警察車両で埋めつくし有無を言わせない“力”で規制している。その時に、工事車両の前をゆっくり走行したりする反対の意志表示する人たちを規制するだけではなく逮捕・拘束するのは、権力者の権力の濫用以外のなにものでもない。
 警察権力は、なんだってできる。しかい、だからこそ、法で約束された社会では、その権力者・警察こそが法のもとで、公平・平等でなくてはならない。そこで生活する人たちが認めない工事を、国が強行する時に、県道の一車線を封鎖し、更にもう一車線を規制するのは、法のもとで、公平・平等であるべき警察の役割を著しく逸脱している。
 反対の意志表示として、車をゆっくり走らせている(のろのろ運転とも言うが!)だけなのに、「威力業務妨害」だとするのは、まったくもって不当である。
 留置されているKさん、あなたが拘束されているのは、全く不当であり、許されることではない。頑張って欲しい。
 辺野古、そして高江ではあくまで個人として基地建設反対に参加し、挨拶などはひかえてきました。“友人”のKさんの逮捕ということでもあり、マイクを握らせてもらうことになりました。
 尚、この日の名護警察での“不当逮捕”に対する抗議行動は、そこそこ激しいものにならざるを得ませんでした。何よりも、一人の人間として“市民”としての、最低限の意志表示を有無を言わさずに規制することは決して許すことはできない、警察権力の行使であるとして、「60歳以下は、名護警察の壁を乗り越え、署長に面談を求める」という“ひろじ”さんの合図で、約30人くらいの“若者”が1.5メートルの塀を越え警察敷地内に「乱入」することになりました。(「60歳以下」ではなく、72歳になったところでしたが、若者たちと一緒に“乱入”しました)。警察は「不法侵入だ!」と叫んでいましたが、3回の乱入にも押し出す以外のことはしませんでした。(検察送置されたKさんは、翌日釈放された)。
 7日の、高江の工事阻止、工事車両阻止行動は午前6時N1ゲート前集合でした。6時ちょうどに、N1ゲート南の新川川・高江橋に着くと、橋上の一車線は、集まった人たちの車でうまっていました。7時30分頃に、警察車両が現れるのに合わせて、残りの車がもう一車線上に並び、真ん中をかろうじて一般の車両が通れる状態になりました。そして、警察車両及び機動隊員が動くのに合わせ、真ん中にも車を移動させ、更に、機動隊(東京・警視庁)が規制に動き出すのに合わせ、高江橋のほとんどを、橋げた近くをかろうじて人が通る以外、車で密集させることになりました。7日は、反対で集まった人たちも多く、更にその人たちの事で、N1ゲートまで県道を高江橋で封鎖した為、規制は少なからず難しくなりました。
 そして、午前7時30分から、午後2時まで、“にらみあい”が続くことになったのです。機動隊の先頭で指揮を取っていたのは、40歳台(たぶん)東京警視庁の“大隊長”(帽子に白の太い3本線)で、およそ100人ずつ交代で並ぶ(並んで橋の外へ出さない)のは、警視庁と、大阪府警の機動隊員でした。この両者は、なんとなく雰囲気が違って、大阪府警の中隊長(帽子に白の太い2本線)は、顔つきもなんとなく大阪っぽい、表情にも変化のあるおじさんでした。午前7時30分から、午後2時まで、先頭に立ち続けた“大隊長”は、どんな時にも、表情も姿勢も崩すことはありませんでした。7日の攻防は、なにしろ、6時間以上に及び、更に橋の両側を封鎖され、反対する人たちは閉じ込められる状態でしたから、途中“トイレ休戦”を申し入れることになりました。大隊長は一顧だにしませんでしたが、「ガマンできない!」「人権侵害だ!」と強く迫ったりした結果、トイレには行かせてもらえることになり、軽トラックに乗せた仮設トイレも、近くまで運んでよい、ということになりました。
 そんな中、一度だけ、警視庁機動隊の50人くらいが、密集している車と反対する人たちを強行突破し、橋の反対側に移動しましたが、何の為だかよく解りませんでした。とにかく、集まった人と車びっしりの橋上で、警察の強行手段の一つである“レッカ移動”もないまま、6時間余りのにらみ合いが続くことになったのです。新川川の高江橋は谷底まで50メートル近くあり、2車線の橋の上で事故を避けるということもあったのかもしれませんが、南からの工事車両は完全に止めたのは、この日が初めてのことだったそうです。ただし、東京警視庁の強行突破の時のもみ合いで、一人の女性の足が橋の欄干からとび出すという危ない場面もありました。
 反対側に移った機動隊員は、中でも、3本線の大隊長は、午後2時の“停戦”まで、そこを動かずに6時間余り立ち続けました。が、停戦の後はびっしりの車の間を隊長たち以下、すり抜けるようい引きあげていきました。
 橋の上に車を密集させ、県道をふさいでしまうのは、“違法”に違いありません。そこで生活する人たちが反対する基地建設の強行する為、県道の一車線を警察の車両で埋め、更に、工事車両通行の為に、数百メートルの区間を封鎖するのも“違法”です。
 9月7日の、東村・高江の高江橋の攻防では、県道を6時間余り車が通れなくなったにもかかわらず、6日のように、誰かが逮捕されることはなかったし、逮捕もできませんでした。
 法という約束で成り立っている社会は、国なら国が法を守らなければならないし、その国家の“違法”を、なんだってできてしまう警察の力で強行するとしたら、法による約束の社会は成り立ちようがありません。たぶん、9月7日は、そんなことを許さない一歩を、沖縄の人たちが自分たちの力で示した一日であったようにも思えます。ただし、権力というものは、更なる“強権”で、「法という約束」を、いつだって破りかねないことを、決して忘れてはならないし、沖縄で繰り返してきていることこそがまさしくそれです。

 だからわたしはいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在そのものによってしか代表されえない、と。権力は譲りわたすこともできよう、しかし、意志はそうはできない。
(「社会契約論」ルソ−) height=1
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