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2016年11月03週
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2月に津島佑子が亡くなった後、残された原稿を津島香以(長女)が刊行した「狩りの時代」は、主人公の絵美子が成長する中で出会った出来事、出会った人たちの物語です。その軸となる人物の一人が、15歳で亡くなった障害のある兄耕一郎です。物語は、繰り返し、別の兄たちが「夏の朝」、通過する列車を見るために走った日のことに戻ります。「ドイツの青年使節」「ヒトラー・ユーゲント」の乗った列車です。ヒトラーが、絶対の権力を握り、すべてのことを行使し得たのは、親衛隊という絶対信奉・服従する組織を持っていたからで、その青少組織がヒトラー・ユーゲントです。ヒトラーを、絶対信奉・服従する若者たちで「白人のアーリア人種」であることが条件でした。「白人のアーリア人種」以外は下等な人間であって、中でもユダヤ人・シンティロマ(ジプシー)、そして障害者が人間以下、抹殺の対象でしたが、ヒトラーの元でそれを実行する中心が親衛隊で、ヒトラー・ユーゲントはその候補者たちでした。それは同時に、大半のドイツ人たちがヒトラーとヒトラー・ユーゲントの支持者であったことを意味します。
1940年ごろのヒトラー・ユーゲントの「山梨県来訪」の時に、喚呼して迎えた兄たち(大半の日本人たち)の物語が「狩りの時代」です。兄たちの一人、耕一郎たち障害者を抹殺の対象としたヒトラー、その青年組織のヒトラー・ユーゲントを喚呼して迎えていたのです。ヒトラー、ヒトラー・ユーゲントを追っかけ兄たちが、その後の自分をどう振り返り、どう精算をして彼らの人生を生きたかを問います。
 「狩りの時代」は、津島佑子が亡くなった後、長女の対馬香以が「『狩りの時代』の発見の経緯」のあとがきを付して刊行されました。亡くなった後、原稿が見つかりあとがきが付された「狩りの時代」は、本人にとってその刊行は不本意だったかも知れません。生きた作品というものは、そんな生きた歴史を経ながら、刊行に至ることもあるのだと思います。ダウン症の息子と生きて亡くした津島佑子にとって、狩られる者たちがいた「狩りの時代」は、生きたテーマがあり、物語はそこから生まれました。「狩りの時代」の、狩る者たちは誰なのかです。物語の、耕一郎の兄たちは、ヒトラー・ユーゲントを喚呼して迎える日本人の中に、すっぽり身を置いていました。ヒトラーによって作り出された「狩りの時代」の狩る人であることを誇りとする「白人のアーリア人種」ヒトラー・ユーゲントを喚呼して迎える自分を誇りとして生きていた日本人です。誰か特別の人だけが、ヒトラーに絶対信奉・服従していたのではなく、人間として生きるそこにある何かを放棄、ないしは見えなくなる時、それは起こってしまうのです。それはたぶん。誰であれ、そこに居る人に身を寄せて生きることをしなくなった時に起こります。
 沖縄の辺野古、高江では、座り込みに集まってきた人たちに、望めば発言したり歌ったりする機会が与えられます。その人たちの所属や発言内容が事前に問われることはありません。求められるのは、そこに参加していることを自分で確かめ、自分の言葉で語る(あるいは歌う)ことです。11月15日、16日にも、たくさんの人たちが発言し歌いました。聞いている人たちはと言えば、反対の座り込みに参加してそこにいる人たち、ALSOKの警備員たち、そして動員され全員がマスク(中にはサングラス)の機動隊員たちです。15日、16日と、自作の唄「地球が回って生んだ種」を歌った若者、ちゃるさんは、歌うに先立って「ここにいるみんな、機動隊員の皆さんも同じ人間だ。解り合えるんだ。」と呼びかけて歌いました。

ちゃるさんが歌い終わるとすぐ、座り込みや発言の場の進行役の大城悟さん(沖縄平和運動センター事務局長)が、(たぶん)そこにいたすべての人たちに向かって、ヒトラー・ナチスの時代のドイツ人たちのことを語り始めました。大城悟さんんたちが、沖縄の戦後を生きてきたのは「同じ人間だ」「解り合えるんだ」という括り方(括られ方)ではなく、同じ人間が解り合えない現実でした。マスクで顔を隠した機動隊員がそこにいて、「力ずくで」「ねじ伏せる」力を、有無を言わせず行使します。そうして、同じ人間であるのに解り合えない時に、解り合えることを「語って願い」「歌って願い」「踊って願い」続けるのが、例えば大城悟さん、沖縄の人たちの辺野古であったり、高江だったりします。じっくりしかし確実に人間というものをえぐりながら生きる人たちです。
70年前、沖縄の人たちは望んだのではない戦争の現場になってしまった沖縄で、およそ20万人、島の人たちの4人に1人が悲惨な戦争で命を失うことになりました。戦争に負けた日本の沖縄の米占領下の沖縄で、生き残ったすべての沖縄の人たちが捕虜になりました。悲惨な戦争の後の沖縄の苦難の中で生きてきた人たちは、自分たちの生き方を選ぶことが許されない中で、少しずつ少しずつ積み重ね、沖縄の人たちしかない道を切り拓いてきました。平和への道を世界に向かって語り、かつ行動することです。どんな代価を貰えるとしても、沖縄に新しい米軍基地を作らせないことです。それは、力づくではない世界への希望であり、だから、力づくの世界への更なる一歩の辺野古新基地、高江ヘリパッド建設は許さない、という固い決意です。そんな沖縄の人たちの意志を明確に示したのが、衆議院選挙、県知事選挙、県議会選挙、参議院選挙の沖縄の人たちの言うところの「民意」です。その民意が踏みにじられて強行される工事に反対して、辺野古・高江に集まる人たちに機動隊員は「任務」でねじ伏せます。「狩りの時代」は、狩られることのあり得る障害の息子と生きて、狩ることに身を任せる人間とは何かを、探りかつ抉り出さずにはおかない、「差別とは何か、人間とは何かという問い」でもあると「狩りの時代」あとがきで、津島香以は書きます。11月16日の高江で、大城悟さんが、ちゃるさんに、座り込みで集まった人たちに、ALSOKに、機動隊員に投げかけた問いです。(大城悟さんの仲間である沖縄平和運動センター議長の山城博治さんは、器物破損などの容疑で逮捕され、弁護士以外の面会が制限された拘束が40日を超えようとしています。大城悟さんは、「これは弾圧だ」と静かに言います)。

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