日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2005年10月04週
height=1
 ずっと気になっていた、加藤健一の一人芝居「審判」を京都で見ました。原作も同時に読みました。(「審判」バリー・コリンズ、青井陽治訳、劇書房。第二次大戦末期のポーランドで起こった事実をもとにしたこの戯曲の訳者あとがきで、「・・・面白くて一気に読んだが、終わったら、“その本”が家にあると思うだけでも嫌で・・・」と書いてあって、佐川一政が自分の“パリ人肉食”のことを書いた本で同じように感じたのを思い出した。)
 もともとが難しいテーマの芝居で、一人で演じるところがもう一つ大変な芝居です。「・・・第二次大戦中、南ポーランド、カトワイス国境の聖ピョートル・ラビノヴィッチ修道院において、5月23日から7月22日までに起こったこと・・・。捕虜となって地下室に閉じ込められたまま置き去りにされ、水も食料も与えられず・・・11日目、『生存のための作戦』・・・順番に自らの肉体を放棄して、仲間の食糧として提供する・・・そして60日目、・・・生存者は2人、ルービン少佐とヴァホフ大尉、・・・ルービンは完全に“発狂”し、ヴァホフは奇跡的にも“正気”であった(「審判」パンフレット)。そのヴァホフが証言席に立って、陪審者に審判を問い延々と喋り続けるのが一人芝居の「審判」です。
 「審判」は一人の役者以外、装置も無いに等しい舞台で、25000語2時間30分語り続ける難しい芝居です。ただの物語として語ってしまえば、観客は白けるか退屈してしまいます。だからと言って、ただの事実ではなくそのことと向かい合い、如何に演じきれるか、役者であることが徹底して問われる芝居です。びっしりしゃべりづめの原作を、声の高い低い、速い遅い、叫びやうめき、舞台の上での小さな動作で、過去のこととなった飢餓、取り返しのつかない人肉食のことを、主人公ヴァホフの現在で役者は演じなくてはならないのです。加藤健一は、この難しい芝居を十分に演じていたように思えました。
 時を同じくして、「千三忌」(せんぞうき、簾内敬司、岩波書店)を読みました。千三はアジア太平洋戦争のパプアニューギニアで、戦争の飢餓で死んだ農民兵士高橋千三のことです。(“千三忌”とは、戦没農民兵士高橋千三を悼み、母せきの手で建立された路傍の墓碑に集う、今も続く年忌だそうです。前掲書)。戦争の食糧の供給基地でもあった“北の僻地”から、“北支”の戦場を経て、千三が連れて行かれたのはパプアニューギニアでした。「・・・作戦参加総数35万人以上、生存帰還者約13万人」と言われる、パプアニューギニア作戦の日本兵の死者の多くは、戦病死と餓死でした。(「パプアニューギニア地域における旧日本陸海軍部隊の第二次大戦間の諸作戦」、田中兼五郎、日本パプアニューギニア友好協会)。「千三忌」には、マラリアと飢餓に苦しみながらなお闘って死んで行く兵士たちのこと、マラリアと飢餓に苦しみながら闘わずして死んで行く兵士たちのことが描かれています。そうして描かれ物語った時、どちらかというと本当にそこで起こっていた事実からは遠くなっているように読めなくはありませんでした。「審判」の60日間のようではありませんでしたが、パプアニューギニアでの35万人の日本兵の、マラリヤと飢餓は1942年8月から1945年8月の敗戦後まで続き、戦死、戦病死、飢餓による死者は、22万人を越えることになりました。そこでは何が起こっても不思議ではなかったのです。この時の戦争の戦病死、飢餓による死の事実の多くは語られることがないままです(松尾の父は、パプアニューギニアの生存帰還者の一人です。マラリアが、飢餓がどんなものであったか、何度か断片的に聞く機会はありました。そして必ず“戦争はよくない、戦争より悪いものはない”と口にするのでした)。
 聖書にも戦争と飢餓のことが描かれています。「・・・この後スリアの王ベネハダデはその全軍を集め、上ってきてサマリヤを取り囲んだので、サマリヤに厳しい飢饉が起こった・・・。イスラエルの王が城壁の上を通っていた時、ひとりの女が彼に呼ばわって『わが主、王よ、助けてください』・・・王は女に尋ねた『何事なのですか』。彼女は答えた、『この女はわたしにむかって“あなたの子をください。わたしたちは、きょう食べ、あす、わたしの子を食べましょう”と言いました。それでわたしたちは、わたしの子を煮て食べましたが、次の日に・・・』(列王紀下6章24節~31節)。
 敗戦から60年、人の忘れっぽさと戦争の悲惨をおおい隠すなどの作戦が効を奏し、日本国憲法、憲法9条を変えてしまうなどが、あたりまえのことのように言われるようになりました。しかしこの国がしてきた戦争の恐怖と悲惨は、極限の飢餓を生きて死ぬこと、あるいは飢餓を極限の体験で生き延びざるを得なかったりであったのは、忘れないほうがいいのです。

height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.