「2人のリーダーが同じ演台に立ち、真珠湾攻撃の生存者の前で跪いて話す姿は感動的だった」とハワイ選出の下院議員で日系4世のコリーン・ハナブサ氏が言う太平洋戦争の「慰霊の儀式」で、昨年8月「オバマ氏は広島で謝罪」しなかったように「安倍氏も真珠湾で謝罪」しませんでした(2016年12月29日、朝日新聞)。その真珠湾攻撃の慰霊の儀式の新聞は2人のリーダーの演説と別に2人のインタビュー記事を掲載しています。日本の戦争は、1931年の満州事変から始まっていましたが、真珠湾攻撃はその戦争を拡大し、戦争に巻き込まれた国々の人々の途方もない犠牲を強いることになりました。そうして戦争をした2つの国の2人のリーダーの演説、2人の日本人のインタビュー記事に目を通して、日本人のリーダーの演説、日本人のインタビュー記事は米国のリーダー、オバマのそれとは少なからず違っているように読めました。
国と国が争うことになる戦争が、例えば「慰霊の儀式」のようなものが営まれる時、そこで「慰霊」されるのは、その戦争の犠牲になった一人一人です。オバマ演説は、当事者、犠牲になった人たちのことが軸になっているように読めました。「…この真珠湾攻撃は神聖な場所です。今も涙を流している海に花輪を手向け、花束を投げ入れる時、私たちは、永遠に天国に召された2400人を超える愛国者のことを思い出します。私たちを見守ってくれる父親、夫、妻、そして娘たちのことです」。演説の言葉が、「今も涙を流している海」となるのは、戦争が奪った一人の命への想像力が働いているからです。そして、「永遠に天国に召された2400人を超える愛国者のことを思い出す」のは、誇りを持って、一人一人を愛国者として語り得るからです。
オバマ演説は、「あの12月の夜明け、この上ない楽園のようでした。海は暖かく、例えられないくらいの青さを称えていました。水兵たちは、食堂で食事をしたり、綺麗な白い短パンやTシャツに着替えて、教会へ向かう準備をしたりしていました」と続きます。戦争が壊すことになったのは、「水兵たち」であったにせよ、何ものにも代え難い日常の生活です。その日常の生活を壊してしまうのが戦争です。オバマ演説は、その日常の生活と、それを壊す戦争を心で受け止め見つめてはいるのです。
オバマ演説は、「永遠に天国に召された2400人を超える愛国者」である水兵たちだけではなく、真珠湾攻撃のそこにいて遭遇した人たちのことにも言及します。「いつもなら食堂で掃除だけをするアフリカ系米国人の給仕」「戦艦ウェストバージニアで砲術の1等兵だったジム・ダウニングのような米国人」「銃弾の嵐に直面しながらも、最後の力を振り絞って燃え盛る飛行機の消火活動を続けたホノルルの消防士ハリー・パン」などです。言及されているのはほんの数人です。国と国の争いである戦争が影響を日常の生活に及ぼし、人の命を奪うことにもなります。そうして、影響を受ける人々をこうして言及するのは、戦争について語るとき、避けてはならないことです。
翻って、日本のリーダーの演説、そして、2人の日本人のインタビュー記事に目を通してみる時に、自分の国が引き起こすことになった戦争の事実を軸にして、それと向かい合っているようには読めません。「…降り注ぐ陽(ひ)の柔らかな光に照らされた青い、静かな入り江。私の後ろに、海の上の白いアリゾナ・メモリアル。あの慰霊の場をオバマ大統領とともに訪れました。そこは、私に沈黙を促す場所でした。5年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と波の音とともに、兵士たちの声が聴こえてきます」。日本のリーダーは、「海底に横たわるアリゾナ」の「兵士たちの声が聴こえてきます」と演説しますが、それが兵士たちの残念無念の声としては聞いていません。何故なら、真珠湾から始まった戦争の自分の国の軍人・兵士たちの名を、彼らが死んだ場所で一人残らず記録し、その兵士たちの声を聴いてきた人たちではないからです。
新聞のインタビューの2人の日本人のインタビューも、自分の国が引き起こすことになった戦争の事実を軸にしてそれを向かい合っているようには読めません。いずれも、生きて死んだ兵士たちの事実がすっぽり抜けたまま、現在の両国の関係を、すべて肯定的に語ってしまうからです。「加害の認識差、訪問が埋めた」(山崎正和)、「展望なき奇襲、倭寇そっくり」(原田正人)。日本のリーダーの演説の空疎なサブタイトルに「平和国家の歩み、これからも貫く」「寛容の心が『和解の力』をもたらせた」にも繋がります。自分の国の戦争が、自分の国の兵士たちを、その最前線で追いつめた事実を見ることなく、空疎な平和、空疎な和解を語って恥じないのです。「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。そして戦後、自由で民主的な国家を造り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いて参りました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は静かな誇りを感じながら、この不動の方針をこれからも貫いて参ります」(2016年12月28日、安倍首相演説、米ハワイ、アリゾナ記念館)。日本が「…戦後70年間に及ぶ平和国家として歩んだ」と演説する日本は、演説の「明日を拓(ひら)く『希望の同盟』のもと、平和ではなく、米国の戦争の一翼をその時々に確実に担ってきました。ベトナム戦争の時にも、イラク戦争の時にも、米軍兵士たちは、沖縄から出撃して行きました。ベトナム戦争のベトナムを爆撃する爆撃線は、直接沖縄から出撃して行きました。
ですから、沖縄の人たちにとって、それは米国の戦争ではなく、平和国家を装った、明らかな日本の戦争でした。戦争の惨禍で、たくさんの島の人たちが犠牲となり、その島の戦後を生き延びてきた沖縄の人たちにとって、一番許し難いのが戦争であり、だからこそ、その戦争の基地であり続ける事を誰よりも自らに突き付け、告発して止みません。その沖縄に、新たな戦争の基地が作られることに反対し、沖縄の人たちの多くが立ち上がり、非暴力のしかし直接行動で訴えています。その訴えを法を政治の力で操り、力づくで抑え込む国のリーダーが、「平和」「和解」と称して語ったのが、2016年12月28日、アリゾナ記念館での演説です。
以下、空疎な「平和」「和解」ではなく、一人の人間の叫びとしての「平和」「和解」を、非暴力で激しく訴えたことを理由に、長期拘留が続く山城博治さんたちの早期釈放を求める訴えと、署名のお願いです。
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