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2017年01月04週
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東電福島の事故からやがて6年を迎えるにあたり、避難解除の動きが本格化しています。「政府は東京電力福島第一原発事故からの復興指針で居住制限、避難指示解除準備区域の避難指示を『遅くとも平成29年3月までに解除する』と明示しており、富岡町以外の避難自治体でも両区域の解除に向けた動きが本格化している」(2017年1月9日、福島民報)。

 1、浪江町は3月の解除を目指し住民懇談会を開催する一方、町議会全体協議会で解除日程を示す。
 2、飯舘村、川俣町山木屋地区は3月31日の解除が決まっている。
 3、南相馬市の避難指示解除準備、居住制限の両区域は、2016年7月に避難解除。
 4、別に、避難解除となった区域は別図の通り。

 避難指示とその区分けはその時の放射線量から年間被曝線量を推定し、以下のようになっていました。

 避難指示解除準備区域、 1〜20m㏜/年
 居住制限区域  20〜50m㏜/年
 帰還困難区域  50m㏜/年以上

 この区分けと放射線量は、国際放射線防護委員会(ICRP)が、「直線しきい値なし」仮設のもと、年間1m㏜を、放射線被曝のリスクを考える場合の基準値としている勧告(ICRP 200年)に基づいており、東電福島の事故では除染によってその値を達成した時の避難解除の目安として設定されました。しかし、除染は実施したものの、放射線量の低減は多くの区域で計画通りとは行きませんでした。除染は、それが付着しているとされる建物の表面を拭いたり、降り注いだとされる土地の表面(約5センチ)を削り取ったりするのですが、沈着するよりは浮遊する放射性物質に対しては、効果的ではありませんでした。また、住宅などの場合、すぐそこの森林などは、住宅から20メートルの範囲の除染に限定されましたから、除染したすぐ後に放射性物質が飛来してしまうということも多くの場合起こってしまいました。又、除染した汚染土壌などの毒は、袋づめされた後も、移動させる場所の確保が間に合わなかった為、除染したすぐ近くに仮置きされ、多くはそのままになっています。毒だから取り除いたのに、その毒がすぐ近くに置いたままになっているのですから、1m㏜/年以下にはなりにくかったのです。
 避難区域を区分けして、決定するにあたって示されていた年間被曝線量は、本格化しているとされる避難解除では、全く話題になっていません。たとえば、1月9日の新聞記事(福島民報)には「避難指示区域の人口と世帯数」が、年間被曝線量によって区分けされたそのまま図示されていますが、そのことは全く言及されることなく、「避難解除の動き本格化」だけが取り上げられています。
ただ、どんなに避難解除の「本格化」でも、放射線量の低減が期待できない場所に住民の帰還は進んでいません。全区が避難区域で、2016年7月に解除された、南相馬市小高区の場合、「住民の約1割が帰還、事業所の2割ほどが小高区内で再開」しているだけです(1月11日、福島民報)。その小高区で、4月に学校が再開されます。「学校は4月に小高小、中高が授業を地元で再開する。小高工高と小高商高が統合されて4月に開校する小高産業技術校では生徒約600人が区内の学校に進学することになり、大勢の児童・生徒が街を行き交う光景が戻ってくる」(前掲、福島民報)。だとしても、「住民が1割」「事業所の2割」しか戻っていない街を、「大勢の児童・生徒が行き交う」として、たぶんその「光景」はずいぶんとさみしいはずです。そして、その小高区は、2016年7月に避難解除されたとは言え、それまでは居住制限区域でした。更に、西側一帯は、居住していた人は少ないとは言え帰還困難区域になっています。すぐそこが、50m㏜/年以上の帰還困難区域である時に、人はそこに戻るのだろうか。中でも児童・生徒がその街を行き交っていいのだろうか。
福島では、その児童・生徒の甲状腺がんは確実に増えています。「東京電力福島第一原発事故を受け、平成26年4月から始まった2巡目の子どもの甲状腺の検査(本格検査)で、9月末までに甲状腺がんと確定したのは44人になり、前回公表(6月末現在)から10人増えた。1巡目の先行検査と合わせると、確定者は145人となった。県民健康調査検討会で県が示した」(2016年12月28日、福島民報)。東電福島の事故までは、子どもの甲状腺がんは100万人に1人と言われてきました。福島の健康調査で、それよりはるかに多い子どもの甲状腺がんが発見・確定していますが、東電福島の事故との関係は、因果関係が立証されないということで否定されてきました。同時に、そのことを理由に、これほど多発している子どもの甲状腺がんに対する対応も、おざなりにされてきました。もし、認めてしまうと、広い範囲で子どもたちの被曝に対する対策が必要になるからです。この検査の検討委員会は12月27日の検討会で初めて「原発事故と甲状腺がんの因果関係を調査する専門家による第3者機関の設置」を福島県に求めています。チェルノブイリ原発事故の子どもの甲状腺がんの発生について「通説」とされてきたのは「多発は事故後4、5年」でした。それを根拠に福島で事故後すぐに「多発」している甲状腺がんは、原発事故が原因ではないとされてきました。ところが、チェルノブイリでも2年後に多発していたとする「ロシア政府報告書」の存在が明らかになったことで(2016年「世界」3月号)、専門家による第3者機関の設置が避けられなくなったのだと考えられます。福島で多発している子どもの甲状腺がんを因果関係だけで論じようとしてきた時に、子どもたちの病苦の多くが放置されてきました。
 東電福島で起こった、取り返しのつかない重大事故は、それが収束したり「事故はコントロールできている」という虚偽で押し切ろうとする時、この事故がもたらすことになった何よりの被害である放射性物質による被曝に、おびただしい人たちを晒し、それを拡大することになっています。その最もたるものの一つが、除染を理由にする避難解除・帰還です。
 東電福島の事故は終わっていません。それを終わっている、「事故はコントロールできている」とする時、事故はさらに深刻に拡大することになっています。
 事故で環境中に放出された放射性物質は、人間はもちろんすべての生きものを汚染し、除去もできないのが原子力発電所の重大事故です。その稼働は、それを完全に閉じ込めることが条件でしたが、東電福島ではそのすべての壁が壊れてしまいました。冷却機能を失ってしまった結果、容器まで溶融してしまいました。そうなってしまったとしても、冷やし続けるよりない、東電福島では、大量の水を注入して冷やし続けています。それに侵入する地下水なども加わり、大量の高濃度の汚染水となり、その保管に追われています。保管するタンクが間に合わなくて、一般に水を溜めたりする簡易タンクで間に合わせた結果、汚染水漏れが多発し、溶接型に変えるはずでしたが東電はその約束を守っていません。汚染水を少なくする“切り札”として、事故の4つの原子炉の周囲、1.5キロを、深さ30メートルまで凍結させて壁を作る”凍土壁”は、壁は完成したものの、必要な運用ができないままです。漏れ出していて、その調整が難しい汚染水を、見えない地下で地下水がらみで管理することがさらに難しかったりするからです。東電福島の重大事故は、漏れ出して止められない、超高濃度の放射性物質に阻まれて、人間が近寄ることも見ることもできない状態が事故から6年近く経った今も続いています。壊れた原子炉の、たとえば溶融している燃料などの形状を調べる為、小型カメラを搭載した小型ロボットを投入しようとしていますが、そのロボットの開発・実験などが繰り返される段階から先へは進んでいません。それを投入する場合、配管の一部を使うことになりますが、そのまま、超高濃度の放射性物質を外部に放出する危険な作業になります。そうした事故対策を総称して「廃炉」(すなわち燃料デブリの取り出し)と定義しています、しかしそれがいつかは可能であるということではなく、東電福島の重大事故は、そもそもそれを不可能にしていると考えるのが、指摘してきたいくつかの点から明らかです。
 原子力発電所の重大事故は、“終り”の始まりです。放出が止められなくなった、放射能の毒と人間は“共存”することになったのが、東電福島の重大事故です。その可能性のある施設をなぜ稼働させたのか、そして、重大事故になってしまったのだろうか。東電福島の事故は炉心溶融の重大事故であることは、事故の早い段階から指摘されてきましたが、東電も国も否定していました。中でも東電は、世界には炉心溶融についての基準があったにもかかわらず、東電が認めませんでした。東電にはその理由を基準がなかったからとしてきました。ところが、事故から5年経って、東電にその基準が存在したことと、会社の決定でその存在を隠蔽していたことが明らかになり、東電もそれを認めました。おびただしい人たちの生活、中でも子どもたちの未来を奪ってしまう事故の責任者たちが、その事実を“隠蔽”してはばからなかったのです。「炉心溶融の隠蔽問題は、福島民報の読者が選ぶ去年の十大ニュースで1位だった。県民の東電への信頼度は限りなく低い」「(当時)社長の清水(正孝)が指示をしたのは、まさに隠蔽だ。いかなる時も地元の安全を最優先に考えることを改めて誓った。信頼の回復に向けて一つ一つ積み重ねていく」(2017年1月7日、福島民報、広瀬直己社長インタビュー)。おびただしい人たちの生活、中でも子どもたちの未来を奪ってしまう事故の当事者が、事故の事実の核心中の核心をそれとして認めず、更にそれを確認する文書の存在を何年にも渡って隠蔽するということが、どうして可能だったのだろうか。起こっている事実が既に、おびただしい人たちにとって危険であり、その危険を可能な限り理解し、避難を急がなければならない事態で、この人たちは核心の情報を伝えませんでした。慌てふためいた時、人間は本当の姿を現すということなのでしょうが、全くすべてそうであるとは限らないはずです。そうではない生き方を選べる人たちもいたのですから。

 体制の思想を丸ごと抱えこみ、厚く大きな鉄鍋を野天にかけ、ゆっくりとこれを煮溶し続けている文盲の、下層島民達の思想がある。そこに宿って繋がり拡がる史劇の原野がある。一たび疎外の極みにとじこめられた者が、次々に縄抜けの技を秘得してゆくように、状況に対する何食わぬ身構えと、ひそかな優越が、歴史に対する生得的な体験としての弁証法を創り出す。「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっと成る」とほほ笑む時、彼は、人間の全き存在、全き欲求のためしか発言しないというやさしさに、変化しているようにも見える。
(「西南役伝説」石牟礼道子)
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