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2017年03月03週
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(前項よりのつづき)
 その双葉町と大熊町に建設されるのが福島県内で除染された汚染土壌などを運び込む中間貯蔵施設です。「東京ドーム約340個分の広大な敷地に、放射性廃棄物を含んだ汚染土などの除染廃棄物を30年間保管する。事業費は1.6兆円」「中間貯蔵施設は、住民帰還の妨げになる『迷惑施設』だ」(3月5日、朝日新聞)。前町長の時代の「町政の混乱」「住民の分断」で、復興関連事業の数は、「一周半遅れ」とされる双葉町に、住民帰還、復興の妨げになる中間貯蔵施設の建設受け入れを、現町長は「秘密裏」に了解します。そのことで動いたとされるのは交付金です。「政府は福島県と2町に生活再建支援名目で約3千億円の交付を認め、双葉町には389億円」。その双葉町、大熊町両町では「帰還困難区域の一部を『復興拠点』と定め、近く本格除染を始める」ことが決まっています(3月5日、朝日新聞)。「復興拠点の総面積は帰還困難区域の5%程度」「住民の帰還は早くても5年後。戻る意向を示す町民は10%程度」。そんな現実で「住民たちは帰ってくるのか。町は残るのか」との問いに対する現町長は以下のように答えています。「双葉町は被害者だ。なぜ被害者が存続をあきらめなければならないんだ。住民が戻ることをあきらめた瞬間、町はなくなる」(3月5日、朝日新聞)。
 町民全員が避難している双葉町の復興、避難指示の解除、住民の帰還は「双葉町の復興まちづくり計画(第二次、平成28年12月、以下「双葉復興」)の「Ⅲ、双葉町への帰還に向けて/(2)双葉町の避難指示解除に関する考え方/①基本的な考え方」では、その条件を「②安全、安心の確保/・地域の放射線量が十分に低くなっていること・福島第一原子力発電所の廃炉措置の安全が確保されていること・中間貯蔵施設の安全が確保されていること」としています。

・地域の放射線量
 「双葉復興」によれば、地域を高線量等区域と低線量区域に二分し、後者に「復興拠点を置くことになっていますが、後者にも15~20mSv/年、中には20~25mSv/年の場所が点在しており、どう見ても事故から6年の双葉町は、「十分に低くなっている」とは言い難い場所が入り乱れ点在しています。

・第一原発の廃炉措置の安全
 双葉町が隣接する、東電福島は、言われている「廃炉」ではなく、緊急の事故対策に追われ、本来は決してあり得ない放射能もれが続発する緊急事態の続く現場になっています。そして、決して「安全」などと言えないのは、その緊急の事故対策の現場では、本来は決してありえない事故処理にともなう高濃度放射性物質が、本来は決してあり得ないまま仮置きされ増え続けています。事故が継続中で、事故対策で環境中に放射性物質が増え続ける東電福島の事故現場と隣接する双葉町はどんな意味でも、安全ではあり得ません。
・中間貯蔵施設の安全
 危ないから除染された汚染土壌などを運び込むのが中間貯蔵施設です。その施設を受け入れる場所は、福島県内はもちろんどこにもありませんでした。そんな危ない施設を、中間、30年の期限ということで引き受けたのが双葉町であり大熊町です。そんなあり得ないことを、なんで、双葉町そして大熊町は了解することにしたのか。それを秘密裏に認めたとされる現町長は、理由は明らかにしなかったとしても、389億円の「交付金」が動いたからです。そして「双葉町は被害者だ。なぜ、被害者が存続をあきらめなければならないんだ」と口にしたとしても、計画する「双葉復興」を自ら否定することになるのが、中間貯蔵施設です。

 すでに十分に復興が難しい町に、より難しくする広大な施設を作ってしまいます。事故の東電福島の状況は、事故の実態が続く限り、そこは半永久的に住民が戻ることの出来ない町なのです。「復興拠点」は、拠点というものが本来はそこを軸にして広がるものであるとすれば、周囲がすべて帰還困難区域である限り意味を持たないことになります。
 いずれにせよ、前町長に不信任を突き付け、代わった現町長の現在は、その嘆きの「…双葉町は被害者だ。なぜ、被害者が存続をあきらめなければならないんだ。住民が戻ることをあきらめた瞬間、町はなくなる」は、今ではなく、隣接する東電福島が重大事故になったその時から、「町がなくなる」ないしは、「町はなくなった」だったのです。
 事故から6年、町役場だけを福島県いわき市に移したとしても双葉町は、実態のない町でした。町であることの要件のすべてを、町の人たちが奪われた町、「無人」の町になってしまったのです。一方、不信任を突き付けられた前町長があげていた復興の構想の一つが「仮の町」でした。小さいとは言え、いつかは元の町に戻る一歩として、可能な限り現実の機能を備えた「仮の町」を別の場所に作り住民を住まわせる構想でした(注)。隣接する東電福島が重大事故になってしまった時、「町はなくなる(なった!)」という事実を、事実として引き受け生き抜く構想であり、覚悟でした。重大事故で閉じ込められなくなった放射性物質が降り注いでしまった町が、どんな意味でもたやすく避難解除・帰還にはなり得ないことを引き受け、しかし「町はなくならない」覚悟の構想が「仮の町」です。
東電福島の事故から6年、双葉町から避難した人たちが突き付けられているのは、自分たちには戻れる町は無くなったという事実です。「戻れる町はなくなった」のは、降り注いだ放射性物質は除去することはないからですが、にもかかわらず、国は「その町」に住民の帰還を決めてしまいました。

(注)詳細は、「なぜわたしは町民を埼玉に避難させたのか/証言者 前双葉町町 井戸川克隆」駒草出版 2015年4月発行

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