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2017年03月04週
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 東電福島の事故の後、全町民が避難している浪江町は帰還困難区域をのぞき2017年3月31日に避難が解除されます。「対象となるのは1月末現在で、居住制限区域が7858人(2934世帯)、避難指示解除準備区域が7469人(2907世帯)の計15327人(5841世帯)で、町全体の約8割に当たる」「馬場町長は全員協議会で『(3月31日解除という)国の提案を容認する。浪江町を残すためには、今この時期に避難指示を解除することが必要。避難指示はスタートラインに過ぎないが、町全体を『古里』として取り戻す日を全力で目指す』と述べた。今後、開かれる政府の原子力災害対策本部会議で3月31日の避難指示解除を決定する」「政府は1月、町議会、行政区長会に3月31日の解除方針を提示し、住民懇談会と町議会全員協議会で意見を聞いてきた。一部には『時期尚早だ』とする反対意見も出ていた」(2月28日、福島民報)。「東京電力福島第一原発事故に伴う富岡町の居住制限、避難指示解除準備区域の避難指示は4月1日に解除される」「宮本町長は、郡山市の町役場兼町分室で開かれた町議会全員協議会で、町帰町検討委員会などから生活環境は一定程度の状態まで回復していると評価を受けているなどとし、『これ以上の避難継続はふるさとを未来につなぐことが困難になる』と政府案に同意する考えを示した」(2月18日、福島民報)。
 浪江町は「…浪江町を残すためには、今この時期に避難指示を解除することが必要」「…これ以上の(富岡町の)避難継続はふるさとを未来につなぐことが困難になる」と、いずれの町も、続く避難が町の存続を危うくするという判断が、避難解除を急ぐ町としての理由になっています。
 そのいずれもそれを後押ししているのは「政府方針」「政府案」です。この方針・案は、そのまま県の方針にもなっています。「内堀知事は解除される地域の住民にはさまざまな意見があるとした上で、『できるだけ多くの住民に帰還したいと思ってもらえるように国や自治体と取り組む』」(3月13日、福島民報)。
 そして、「政府方針」「政府案」の国は、帰還困難区域も含めた近い将来の「完全解除」を目指すとしています。「安倍晋三首相は12日、東京電力福島第一原発事故による本県の帰還困難区域に関し『たとえ長い年月がかかっても、完全に解除する方針で取り組んでいく』と述べた」、「首相は原発事故に触れ『福島の復興なくして東北の復興はない。東北の再生はない』と訴えた。除染とインフラ整備を国が一体的に行う『特定復興拠点』を市町ごとに設け、おおむね5年後をめどに避難指示解除を目指す考えを示した」(3月13日、福島民報)。
 原子力発電所が重大事故になってしまった時、取り返しがつかないのは、環境中に放出された放射性物質は、どんな意味でも除去できないことです。首相の言う「除染」の、除去した放射性物質は、そのまま別の置き場所が必要になります。その置き場が双葉、大熊両町に建設され汚染土壌などを30年間貯蔵する中間貯蔵施設です。中間貯蔵の後の行先は決まっていません。緊急事態の続く事故現場で、大量に発生している汚染水から「除去」したとされる高濃度の放射性物質は、東電福島敷地内に仮置きされ、そこからの放射性物質の放出を止められないまま、増え続けています。たとえば、循環冷却施設で除去されたセシウムは、既に千体を超える「セシウム吸着塔」となり、増え続けているのです。
 原子力発電所の重大事故後は、たとえば浪江町の18464人、富岡町の13560人の住民を、6年を超えて自分の家に戻れなくします。何よりもそこが、降り注いだ放射性物質で危険であり、戻って生活すれば被曝をまぬがれないからです。被曝するから避難し、戻れないとされる放射線量の区分の数値は以下の通りです。
  帰還困難区域  50m㏜/年以上
  居住制限区域  20~50m㏜/年
  避難指示解除準備区域  ~20m㏜/年

 こうして放射線量によって区分され、避難指示で、浪江町で18464人、富岡町で13560人が避難しました。降り注いだ放射性物質の値で、当面は住めないし住んではならないと判断されたからです。
 その場所に、住民を戻らせるのが、首相の「帰還困難区域/完全解除」だったり、知事の「4町村避難解除控え/帰還環境整備」だったりします。「内堀雅雄知事は12日、NHK番組『日曜討論』に出演し、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から6年が過ぎた県内の現状を語った。川俣、富岡、浪江、飯舘の4町村の避難指示解除を3月末から4月1日に控え、帰還する住民の環境整備に国や町村と連携して努める考えを示した」「…解除される地域の住民にはさまざまな意見があるとした上で、『できるだけ多くの住民に帰還したいと思ってもらえるように国や自治体と取り組む』と述べた」「明るい話題の一方で、廃炉や風評などの難題が山積みする現状を『福島は今なお、光と影が混じり合っている』と表現した」(3月13日、福島民報)。
 原子力発電所の事故が許されないのは、閉じ込めることが条件であるはずの放射性物質が環境中に放出されてしまった時、それを除去することはできないからです。中でも重大事故になってしまった東電福島の事故は、放出、降り注ぐ大量の放射性物質で、村や町が住めなくなり、その避難が6年を超えました。その避難が「完全解除」、「帰還環境整備」などと言及されています。100m㏜/年程度の被曝は全く心配はいらないという「専門家」の見解があるとしても、前掲の数値の被曝は人体に影響があると判断された結果の避難指示であり、その避難が6年を超えることになりました。もし、避難解除があり得るとすれば、避難解除が妥当であるとする数値による根拠を示す必要があります。しかし、前掲の新聞記事などのどこにも、数値について言及されることはありません。で、解除され元の村町に戻る人たちのそこでの生活の手がかりとして「除染とインフラ整備を国が一体的に行う『特定復興拠点』を市町村ごとに設け」など言及はされますが、人間が生活するにあたって必要なこと、生活とは何であるかに理解が及んでいるようには読めません。
 普通に生活する人の一日は、目を覚まして顔を洗って、「さて、朝メシ!」となったりしますが、コップ一杯飲む牛乳が切れていて・・・散歩がてら近くのコンビニまで足を運び、買い物を済ませ出会った顔見知りの人と朝の挨拶をする・・・という具合に、たあいもなく始まるのでしょうが、作為的に作られた「復興拠点」で、名前そのままに、とうてい普通の日常生活の場所としては期待できないはずです。そして、その拠点を包囲しているのが、強い放射性物質の壁です。その目に見えない壁は、目に見えない分余計に、その拠点が特別な場所であること、要するに放射能の危険を払拭できない、人のあたりまえの生活を決して保証しない場所でしかないのです。いいえ、危険だから避難を指示した場所に、その危険の元凶であるはずの放射線量を結果的には明示することも、考慮することもなく戻らせる、解除、帰還があり得るとしたら、それを明言する首相、知事はたとえばこの国の憲法が保障する「…健康で文化的な生活」という、人として約束・保証されなければならない約束を踏みにじることになります。
 6年を超して避難を余儀なくされた人たちが、元の市町村・住居に戻ることがあり得るとしたら、その理由・原因となったものが取り去られたことが条件であるはずです。繰り返しますが、避難の時の区分けとなった、放射性物質の線量です。そうして確認された、放射性物質の為、前掲、避難解除になる富岡、浪江の人たちは、自分の町に住めなくなりました。なのに、それから6年経って、放射線量についての言及がないまま、避難が解除されます。富岡町(2月18日)、浪江町(2月28日)の避難解除に言及する新聞記事には、それぞれの町の避難区分がそれぞれの線量で図示されています。危ないから避難した人たちに、危ないままの元の町に戻らせるのが、知事の「帰還環境整備」であり、首相の「完全解除」なのです。


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