話題となっている教育勅語のことで、誰よりも困惑している(していると思う!)のは、この勅語及び軍人勅諭などが一体となって、知れないアジアの人々、悲惨な戦争で命を失ったおよそ20万人の沖縄の人たち、そして引き延ばされた戦争の原爆の投下で命を失った人たち及びその後を生きる人たちの前で、頭を下げ続けてきた、その親の家督を引き受けて生きる「明仁天皇」であるように思えます。
「…日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」(2005年、12月19日、72歳誕生日会見)。
「…ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」(2015年4月8日、パラオ共和国)。
「…この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」(2013年12月18日、80歳の誕生日)。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が無くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切な事だと思っています」(2015年1月1日、新年)。
(以上「戦争をしない国/明仁天皇メッセージ」文・矢部宏治、写真・須田慎太郎、小学館)。
こうして言及される「戦争とその悲惨」を、たくさんの人たちがその結果を引き受け、おびただしい人たちを巻き込んで行く地均(じならし)の原動力の一つが天皇の名の下で出された教育勅語です。だからこそ、戦争に負けた後の日本の平和、戦争の悲惨について、明仁天皇は語り続けるよりなかったし、語り続けることを、恐らく自分と一族の使命としてきました。その教育勅語が話題になり、学校教育の現場でそれを肯定する教材の一つになり得ることをアベ政治は決めています。「安倍内閣は1日、戦前・戦中に道徳や教育の基本方針とされる教育勅語について、『憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまで否定されることではない』という答弁書を閣議決定した」(4月1日、朝日新聞)。アベ政治が閣議決定した教育勅語が単なる取り扱いではなく「確信」であることを、その一人が語ってきました。「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だと思う。文科省が『丸覚えさせることに問題がある』ということはどうなのか。どういう教育をするかは教育機関の自由でもある」「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだ」(2月23日、3月8日、稲田明美、4月4日、朝日新聞)。取り戻すべきだとされている「教育勅語に流れている核の部分」はしかし、冒頭の「朕がおもふに」「わが臣民・・・」が示すように、一方的に天皇による臣民に対するあるべき生き方の指示であるのは明らかです。「…ここに示した道は、我が先祖のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たるものが共にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む」。この教育勅語の「核の部分」を知らないはずのないアベ政治の人たちが、たとえすり替えて「親孝行とかは良い面だと思う」の「良い面」も、良いからと言って指示されるないし指示してしまう時に起こっているのは、本来その人の判断、意志にゆだねられるべきことへの介入です。しかし教育勅語を「教材として用いることまでは否定されない」と、アベ政治の一人一人が繰り返し口にします。「教育勅語のどの部分が憲法に反する、反しないに関しての判断を文科省でするものではない」(松野博一)「政治的・法的効力を失った中で適切な配慮のもとに教材等で用いること自体問題でない」(菅義偉)。
この、個人の判断・意志への介入は、今や小学校道徳の教科書の検定で、細部にわたって実施・徹底されています。たとえばそれは、「小学校道徳の『22の内容項目』」になって示されています。
示されている「22の内容項目」の一つ一つは、小学生くらいの子どもたちが、生きた生活の中で自ら学ぶことがあり得たとしても、規範として教え強制されるものであってはならないものばかりです。例えば、内容項目の「善悪の判断」は、抽象的な規範をしての教え、示されるものではなく、その時々の生活の中で判断できて初めて生きることになります。「自律と責任」は、まさしくその人がその人として律し得るのであってみれば、それが身に着くのもその人に任せるよりないはずです。「正直、誠実」は、その人の心のありようにより依存するものであってみれば、そのことを計ることは不可能なはずです。「節度、節制」は、人は過剰になり得る存在としての生きものであってみれば、節度も節制もそもそもが難しいのです。「希望と勇気」は、時にはそれが無くても生きていかなければならないし、「努力と強い意志」も、努力が報われなかったとしても、強い意志ではなくて、弱い意志でくじけながらであってももう一度立ち上がらなくてはならないこともあるのが、多くの人の当たり前の人生です。
以下、あげられる一つ一つの項目は、そして道徳というものが何であるのかを如実に示しています。自分でももてあまし、ましてや自分以外の他者には決して推し量り得ない人の心を、狭い理解で規範としての要求するのが道徳ということになります。その具体例の一つが、教育勅語です。そこで求められる規範、「朕がおもうに…」「…皇皇宗の子孫たる者が共に従い守るべきところ」が、「…万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ」となり、その結果が「…この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うに、本当に痛ましい限りです」(前掲、「戦争をしない国/明仁天皇のメッセージ」)となってしまいました。耳を傾けないアベ政治は、「朕惟ふに」を、「教材として用いる」ことを、公言してはばからないのです。
道徳を余すところなく明らかにする短文が「法律と道徳」(「大杉栄評論集」岩波文庫)です。
法律と道徳
『近代思想』1巻3号
1912年12月号
法律は人を読んで国民という。道徳は人を指して臣下という。
法律が軽罪人を罰するのは、わずかに数ヶ月かあるいは数ケ年に過ぎない。けれども道徳はその上に、更にその人の生涯を呪う。
法律は著物の事などに余り頓著しないが、道徳はどうしてもある一定した著物を著させる。
法律は何かの規定のある税金のほかは認めもせず払わせもしないが、しかし道徳は何でもかでもお構いなしに税を取り立てる。
法律は随分女を侮蔑してもいるが、それでもともかく小供扱いだけはしてくれる。道徳は女を奴隷扱いにする。
法律は、少なくとも直接には、女の智識的発達を礙げはしない。ところが道徳は女を無知でいるように、然らざればそう装うように無理強いする。
法律は父なし児を認める。道徳は父なし児を生んだ女を排斥し、罵詈し、ざん訴する。
法律は折々圧制をやる。けれども道徳はのべつ幕なしだ。
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