東電福島の事故で住んでいた町を離れていた人たちの避難解除が相次いでいます。それに伴い、移転していた小・中学校も表のように再開ないし再開の準備が進んでいます。
今年度(2017年)再開したのが、南相馬市小高区、楢葉町です。「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で移転していた南相馬市小高区と楢葉町の小中学校が6日、6年ぶりに地元で再開した。全児童・生徒数は小高区が129人、楢葉町は105人で前年度比で70~80%の子どもたちが再開した学校に通う。両市町は従来以上に特色ある教育の実践で学習意欲の向上に努める。ただ、震災、原発事故前の児童・生徒数と比べると一割ほどになっており、教育環境の整備や児童・生徒数回復に向けた模索が続いている」(4月7日、福島民報)。
移転していた小中学校が再開したとしても戻る子どもたちが事故前の10%に止まるのは、言われている「教育環境の整備」が難しいからです。「…従来以上に特色ある教育の実践で学習意欲の向上に努める」としても、それを実践する為の子どもたちの教育環境として、小高区や楢葉町の多くの人たちは了解しにくいからです。
小高区や楢葉町の小中学校が「移転」することになったのは、これらの地区が東電福島の事故の放射性物質で汚染され、住民が住めなくなったからです。直接的な被曝の危険と同時に、幅広い人や環境のつながりで成り立っている生物基盤を失うことになったのが東電福島の事故であり、降り注いだ放射性物質による汚染です。汚染による被曝の危険で住民が避難し、戻る為に実施されたのが、放射性物質の除染です。小高区や楢葉町では、町の隅々まで除染が実施され、その実施にもとづき避難が解除され、移転していた小中学校が地元で再開されることになりました。しかし、再開された小中学校に戻る子どもたちは事故前の10%です。生活環境の整備が間に合わない、ないしは難しいからです。幅広い人や環境のつながりで成り立っていたのが、東電福島の事故前の小高区や楢葉町でした。東電福島の事故は、その幅広い人や環境のつながりをずたずたに分断してしまいました。
生活環境は、それが人の生活として成り立つ為には、一つ一つの小さなつながりから始まって、大きな枠組みとしての社会まで広がって初めて機能することになります。その人たちの力の及ぶ働き場所、行って帰る住居、休息ないし安心できる人の集まりとしての「家族」、その人たちが培ってきた生活の知恵や作法、今日が明日へつながる希望です。東電福島の事故は、こうした一つ一つの生きたつながりをずたずたにしてしまいました。しばらく前に、国の復興の最高責任者である大臣が、自主避難している人たちのそれは「自己責任であり、おのおのが責任を取ればよろしい」と記者会見で発言しました。どんな「家族」であっても、全く同じ価値観で一緒に生活している訳ではありません。小さな違いを抱えながら、当面は「家族」として一緒に生活することを選んでいるのが普通です。そこに起こってしまった、東電福島の事故の見えない放射性物質は、「一緒に生活することを選んでいる」その「選び」に、小さなくさびを打ち込むことになりました。「自主」と「避難」が、多くの「家族」に、分断を余儀なくさせることになりました。生活するということは、つながりの豊かさと、つながり故の難しさをも併存させて生きる営みです。その営みに、少なからざる分断を抱え込んで生きざるを得なくなったのが、東電福島の事故に直面した人たちであり、自主避難している人たちです。
政治に、かけらでも優しさというものがあるとすれば、そしてその政治に、数万、数十万の人たちから、生活環境を奪ったのが東電福島の事故の事実の自覚があるとすれば、前掲のような言葉になりにくいはずです。
そして「小高、楢葉の小中学校/6年ぶり地元で再開」の何よりの環境上の問題は、放射性物質が降り注ぐことで住民が避難することになったそれらの場所が、除染したからと言って安全な場所になったという保証がないことです。
一般に環境中に許容される放射性物質の国際基準は、1mSv/年以下で、東電福島の事故までは日本もそれを守ってきました。それにもとづいて、避難区域が決められ、住民の避難が指示されました。この避難指示は、元の住居・地域の放射性物質を除染することで解除することが前提になっていました。そして、汚染区域の除染が実施されてきました。しかし、その毒が環境中に放出された時に除去することが困難で、それが大量に環境全体を汚染してしまっているため、避難区域を「1 mSv/年以下」にすることはできていません。そもそもが難しいのが、東電福島の事故による放射性物質による環境汚染なのです。
その結果、国際基準であり、日本も順守していた「1 mSv/年以下」を反故にし、一回こっきりの除染で避難解除にし、住民の帰還、「小高・楢葉の小中学校/6年ぶり地元で再開」になりました。
人間、中でも子どもたちは生きているそのことで、何一つ疑うことなく、人間をそして自然を無条件に受け入れていることとして生活しています。東電福島の事故で避難することになったそれぞれの場所は、必ずしも、条件が整っていた訳ではありません。事故から6年、今子どもたちが、避難が解除されて戻る場所は、「避難が解除」され、「戻る」のであるとすれば、何一つ疑うことなく人間をそして自然を無条件に受け入れる場所であるべきです。
しかしそこは、避難する時に約束された「1mSv/以下」ではなく、その数値すら示されることのない場所です。
[バックナンバーを表示する]