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小さな手大きな手

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2017年06月01週
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 夜警員、タクシー運転手など4人がピストルで続いて射殺される事件が起こっていた頃、宝塚市の新設の小学校で夜警員のような仕事をしていました。事件が起こったのは、1968年10月に5年半在学した大学を卒業、翌年の補教師試験(正教師、一人前の牧師になる前の研修生のようなもの)を受けるために、待機している時でした。その頃の公立の小中学校などは、教師による宿直を代行する「宿直代行員」を雇っていました。大学を卒業し寮を出て待機状態の時に紹介されたのが、その仕事です。午後6時に出勤し、翌朝8時までが勤務時間で、寝泊りするのは保健室のベッドでした。夜の仕事をする人が連続して狙われる事件でしたから、校長先生から「…何があってもドア(保健室の)を開けなくていい(警備などしなくてもいい!)」と言われていました。この宿直代行は、夜の間ずっと一人ぼっちという訳ではなく、中年の教師と若い教師が2~3人職員室に残って宴会が始まって、それが深夜に及ぶこともあり、その仲間に加えてもらっていました。と言うか、近所の酒屋に安ウイスキーとアテを買いに行く使い走りが役割でした。時には、自宅の遠かった若い教師も、保健室の隣のベッドで「宿直」をしていました。
 事件の犯人として、19歳だった少年、永山則夫が逮捕された1969年4月は、卒業した大学のバリケード封鎖の中がもう一つの住居で5月まで続きました。少年によるこの事件の永山則夫が忘れられない人になったのは、1972年に雑誌で連載の始まった永山則夫の自伝的小説「無知の涙」を目にした事からです。思考することも文字も持たずに育った永山則夫は、人間としての思考・文字を連続殺人事件の犯人として過ごす獄中で学び身に付けます。そのことを「自伝」として綴り、世界に突き付けたのが「無知の涙」です。連載の始まった季刊の雑誌「辺境」(編集:井上光晴)には、石牟礼道子の「苦海浄土」の連載も始まっていました。かすかに知っていて、かすかに関心のあった水俣の事件を、その事件の人々の只中に身を置き、苦しむ人々の魂の言葉をつづる「苦海浄土」と石牟礼道子は、思考し、文字を読むときの居住いをただす存在として今もあり続ける人です。
 その永山則夫の「獄中読書日記―死刑確定前後」(朝日新聞社)の発行は1990年で、死刑の執行は1997年8月1日です。19歳の少年の事件でそれ以前に死刑が確定・執行されたことで話題になっていたのが、「小松川女子高生殺人事件」の李珍宇(定時制の高校の同級生の工員)でした。少年の事件での死刑・執行を避けてきたこの国で、その枠が取り払われていく道を切り開くことになった事件に、たぶんこの2つの事件が数えられるはずです。たとえ少年であっても世論が裁判を死刑・執行へと促していき、今日のように、事件と裁判そして死刑判決・執行の多くを、世論が決めてしまう状況になったのもこれらの事件からのはずです。
 永山則夫の「獄中読書日記―死刑確定前後」には、死刑確定前後の1989、90年のおよそ1年間に永山則夫が読んだ書物の書名、著者、出版年、内容についての克明な記述、そして最後に自分の「感想」が付されています。かなりの長編でも1日ないし数日で読んでしまった「読書日記」には、例えばその「感想」から、死刑が確定した人間を伺わせるものは何一つありません。一人の人間が、思考し、それを文字に表現している姿があるだけです。
 書物を読むとい営みで、大きな影響を受けてきたのがその「無知の涙」そして「苦海浄土」で、今も繰り返し帰っていく書物です。
 で、今読書ということで、必ず持ち歩いているのが、モーツァルトに関係する書物です。モーツァルトの「フィガロの結婚」が話題になる打ち合わせの集まりで、思わず「モーツァルトの勉強会をします」と言ってしまったのが、その始まりです。何しろ「思わず」でしたから、集まりの後、大急ぎで書店をのぞき、フィガロとモーツァルトを探し、結果手にすることになったのが、「モーツァルト《フィガロの結婚》読解/暗闇の中の共和国」水林 章、みすず書房、以下「フィガロ解読」)です。
長いプロローグで始まるこの書物によれば「パトリックス・シェローというフランスの天才的演出家」の演出のレーザー・ディスクに出会った、著者、水林章が、「オペラの演出は初めて『テクストの読み』を感じた」ことから、「私はオペラ《フィガロの結婚》を一つのテクストとみなし、批評的な『読み』を展開しようというのである」がその書物「フィガロ読解」です。「…シェローは、即座に言葉を返した。『書かれている言葉。言われている言葉、そして聞こえる音楽、それらを真剣に受け取ること、僕はこれまでの人生でそれ以外のことをやった覚えはありません。』きっぱりとした調子が今でも私の耳の中に鳴り響いている。…しかし、モーツァルトの音楽に耳を傾けると同時に、登場人物たちが発する言葉の意味と、射程に細心の注意を払うように努める天才演出家の姿勢には、大いに学びたいと思う」(前掲「モーツァルト〈フィガロの結婚〉読解」プロローグ)。そうして、「登場人物たちの発する言葉の意味と射程に注意を払って」オペラ「フィガロの結婚」と原作の「フィガロの結婚」(ボーマルシェ)の解読が始まります。「…これほどまでに多くの人物がこれほどまでに多様な感情を自由闊達に歌いながら、どういうわけで躍動する全体が形成され、その統一感が少しも乱れないのか。『《フィガロ》以降、モーツァルトのオペラがこれほど多くの個性的な人物たち、お互いに似ても似つかない、そして相互に補完的な人物たちを結び付け、これほど多くの、そして複雑な声のアンサンブル―そこでは、一人一人が独自の反応を見せ、しかも筋の展開だけが全体の一糸乱れぬ統一性を実現している―を構築したことはなかった』これは、モーツァルト学のレフェランマの一つ、ジャン・マッサンとブリジット・マッサンの『ヴォルガング・アマデウス・モーツァルト』からの引用である。」(「フィガロ解読」)。と語ったりする著者、水林章は、「音楽の専門家ではない」とは言いながら、ボーマルシェの「原作」のフィガロの結婚、ダ・ポンテの「台本」のフィガロの結婚、そしてモーツァルトの「作曲」したフィガロの結婚のそれぞれを「テキスト」とし、時には交差させながら読み解く「フィガロ解読」に、足りないながら読み終えたのは、そこに書かれている「時代の生身の人間たちの日常的世界」に魅了されたからだと思えます。
 著者、水林 章が、モーツァルトと「フィガロの結婚」の解読のもう一つの手がかりにしてきたのが、ルソーです。ルソーの「人間不平等起原論」で展開されている人間理解は「フィガロ解読」で以下のようにまとめられています。「…人間は完成可能性による一瞬一瞬の選択の自由によって、すなわち自然からの決して止むことのない自己の引き剥がしによって、無限の生成過程を生きるように仕向けられている。歴史とは、その一瞬一瞬の自由な選択の積み重ねによって織り出される最良の、あるいは最高の結果に他ならない。自由がなければ歴史はないし、歴史がなければ、大量破壊兵器を持ち、使用するなどという悲劇は起こらない。もし、人間が動物のように『完璧』であるならば、つまり過剰も逸脱も知らない。自然と完全に合致した存在であるならば、進歩はなく変化もない」。
 そうして、ルソーも手掛かりになり、「時代の生身の人間たちの日常世界」として「フィガロの結婚」のモーツァルトが解読されることになりました。で、「フィガロ解読」のエピローグは「必然的に巨大化した文化産業によって提供される芸術的商品の消費行動という形態を取りながら、作品を構築している音より言葉のコラボレーションによって生成する意味を把握しようとする徹底的な批評的な読みを実践するならば、この国のこの社会の政治的・文化的秩序に亀裂を走らせるがごとき、過激な体験に転化しようと可能性を秘めていると言えるであろう」ことを「《フィガロ》におけるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの達成」と結ばれています。
 この一連の読書で「フィガロ解読」から始まって「モーツァルトの手紙」(岩波文庫)を読み、40年近く前読んでいた「アマデウス」(ピーター・シェーファー、劇書房)を引っ張りだして読むことにもなりました。モーツァルトそして「フィガロ解読」は、昨年のルソーの「人間不平等起原論」「社会契約論」に繋がり、文字を読む時に居住いをただされること、及びそれが突き付けられる新たな読書体験になっています。 height=1
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