『供述によると、ペレイラは……』は、いくら強い意志をもってしても、人間にはたいしたことはできない。でも、もし神が望むなら人間はときに思いがけなく崇高な行為をやってのけるという、ベルナノスの小説を支えたどこか中世的ではあるけれど、二十世紀前半から中期にかけて、カトリック左派といわれた人たちに大きな影響を与えた思想の、肉体化、人間化であり、現代化ともいえるだろう。また、この小説は、あらゆる集団が堕落し、失墜したのをこの五十年間に見てきた私たちにむかって、根本的に人間らしい生き方、そして死に方を、たとえ時流にさからってでも、追求すべきだと示唆しているようでもある。それは、再三、ペレイラがほのめかす、孤独=個としての独立への誘いに他ならないし、その点からも、「私の同志は私だけです」というペレイラのことばは重い。
(「供述によるとペレイラは……」アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳あとがき)
名護市辺野古の新米軍基地、東村高江の新ヘリパッド基地(いずれも沖縄県)の、基地建設工事を発注しているのは日本政府ですが、現場で全体の指揮をしているのは沖縄防衛施設局です。たとえば、工事用車両がゲートから入ったりする場合の時間やその台数、運び込む荷物の内容とそれらの工事業者との打ち合わせ、更に、反対する人たちがゲート前に座り込んでいますから、それを排除(規制!)する機動隊の移動などすべての判断の責任・指揮をしているのは沖縄防衛局です。辺野古の場合、そのゲート、工事用ゲートはまず米軍基地キャンプシュワブのフェンスがあって、その外側に一般に工事現場などで見られる高さ3メートルくらいの工事用フェンスでゲートが仮設され、そこからは基地内は全く見えなくなっています。たぶん、2重のフェンスの外から見えない基地内に、沖縄防衛局職員などが常駐しています。その防衛局職員で辺野古(そして高江)の統括監督官をしていたのが、稲葉正成さん(沖縄防衛施設局企画部移設整備課課長補佐)です。
その稲葉正成さん(ら)に対する「公務執行妨害・傷害」の被告の一人である、吉田慈さん(林間つきみ野教会牧師)の判決公判で、那覇地方裁判所(裁判長柴田寿宏)は、7月27日「懲役1年6月、執行猶予3年」を宣告した。以下、その「判決要旨」をもとに、この事件について考察・検討します。なお、公式の文書資料は「判決要旨」のみで、起訴状、冒頭陳述、罪状認否、公判記録、求刑、最終意見陳述などはすべて、傍聴者のメモのみですから、不十分な考察・検討にならざるを得ないことを断っておきます。
事件は「公務執行妨害・傷害」です。それについての刑の宣告にあたっての「理由」はその冒頭で「被告人は、山城博治及び添田充啓らと共謀の上」、稲葉さんの「公務執行を妨害」し「傷害」を負わせたとします。「…身体を押すなどして、Fルート上に設置されたテント内に同人を押し込んだ上、同人を地面に転倒させ、その両肩付近や両足をつかんで押さえつけ、さらに同人の右前腕部を強くつかんで引っ張り、同人が右腕に抱えていた前記職務に関する書類等からその腕を引きはがし同書類等の使用を困難にし、引き続き、同人の背中を押してテントから押し出すとともに、同人の左肩付近をつかんで激しく揺さぶるなどし、もって公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行を加えるとともに、その暴行により、同人に加療2週間を要する右上肢打撲傷等の傷害を負わせた」。「(補足説明)なお、被告人は、本件当日まで添田のことは知らなかったなどと供述して、添田との共謀を否認する」。
「共謀」というのは、いくつかの要件が必要で、「事前」にそのことの打ち合わせ、了解が必要で少なからず「知っている」関係ぐらいがそれにあたります。更に、そのことの証拠が必要のはずです。この事件であげられている「証拠」の一つが「稲葉及び被告人の各供述」です。第一回公判で吉田さんは「共謀」について取り調べ段階の供述の一部を否認しています。公訴事実では「山城、添田との共謀」を、吉田さんは「ヒロジ(山城)さんとの現場共謀は認めるが」「添田さんとの共謀は認めない」と。
2016年7月の参院選の結果を受け、直後にいきなり再開されたのが、東村高江の米軍ヘリパッド工事です。工事現場に通じる、ゲートN1、N1裏入り口には反対する人たちのテントが張られていました。N1テントは、警視庁、千葉、神奈川、愛知、大阪、福岡県警から派遣されたおよそ1000人の機動隊によって強制撤去され直ちに米軍北部訓練所N1ゲート外側に工事用ゲートが設けられ、資材搬入が始まりました。予想以上に集まった反対する人たちの座り込みに、N1裏からも農道などを経由しての資材搬入が検討されていました。その為の、テントの撤去、フェンスの設置にやってきた、沖縄防衛施設局と反対する人たちの間の押し合いへし合いが、公務執行妨害・傷害などの事件になってしまったのです。しかも、「共謀」と位置付けることで、意図的でかつ悪意にもとづく事件になり、吉田さんの供述が、その「証拠」になりました。第1、第2回の公判メモを見る限り、警察、検察段階の供述では、「山城、添田との共謀」となっていましたが、添田さんは知らない人でしたから第1回公判では「ヒロジ(山城)さんとの共謀は認めるが」「添田さんとの共謀は認めない」となりました。
「供述」は、逮捕、拘束された人が、警察の取り調べで口にしたことが「供述」で、それを証拠として取り調べの警察官が書き取ったものが「供述調書」です。書き取られたことを確認し署名した時、供述調書として証拠になります。この場合、取り調べを受けてしゃべったことと、警察官が書き取ったことが違う場合は訂正を求めることはできますが、その分取り調べの時間が長くなったり、「記憶」というものがそもそもあいまいだったりする時、きっちり厳密に訂正することができなかったりするのが普通です。中でも“初心者!”の場合。取り調べる側は、それなりの根拠とストーリーがあって逮捕、拘留している訳ですから、もともとのストーリーが、「完成、完結」することを目的に取り調べますから、今回の吉田さんたちの事件だったら間違いなく、「共謀」が前提で、神奈川の教会で令状逮捕しました。しかも、当初の逮捕容疑は「暴行傷害」でした。
吉田さんの「供述」は、当初は「山城、添田と共謀」となっており、起訴状もそのようになっていました。第2回裁判の傍聴メモもそのようになっています。「検察:共犯事件だから共犯・組織性を犯罪事実として…」「小口弁:添田と吉田の共謀か」「検察:全体だ。共謀の内容と全体は吉田の全体ではない」「小口弁:山城、添田、吉田との共謀はない」「裁判官:起訴状にそうなっている」「小口弁:吉田は、一切関係がない。吉田は添田を知らない…」。という具合でしたから、6月23日の裁判(結審)での検事の最終陳述でも「吉田の公判供述から山城の指示に従って現場共謀したことを確認」と、「共謀」を事件の軸にすえ、「犯行の組織性もうかがえる」とし「懲役1年6月」を求刑します。検察の最終陳述でも「山城の指示に従って現場共謀した」と吉田さんが公判でも供述し、取り調べでも供述していたことが「犯行の組織性」となり、求刑通りの「懲役1年6月、執行猶予3年」宣告になりました。
吉田さんが、警察、公判でも「山城の指示に従って共謀した」とする「供述」は、山城博治さんたちの今後のより重い判決につなげることが意図されています。それが、7月6日の山城さんたちの裁判で検察側証人として吉田さんを出廷させるという方針になりました。
7月6日の検察側証人として尋問に対する吉田さんの答えは、自らの裁判で認めたとされる「現場共謀」の事実を読み取ることはできません。「共謀」という限りは、そのことに少なからず自らの意志で加わっていなくてはならないはずですが、たとえば「共謀」したとされる山城さんの指示は、それが指示ではあったとしても、不特定多数の人への呼びかけであって、「共謀」であったり「犯行の組織性」などにはなりにくいのです。「…私は、8月25日の週の日曜日の夜に来て、海へ出でいました。高江には25日の2日前くらいから行ってダンプを止めたり沿道に立って車を止めようとしたりしました。25日の朝午前7時頃から8時頃には、高江橋のところでダンプを止めようとしていました。その後、仲間の方の無線でN1裏のテントに防衛局が来ているとの情報がありましたので、私は様子を見るためにそこへ行きました。そこの現場には20~30人の作業服を着た人たちがテントの入り口を固めていて、近くではパイプを解体している様子を見ました。そこには抗議の仲間は2~3人しかいなくて共産党の国会議員が質問しているようでした。その時点ではそこには山城さんも添田さんもいませんでした。どこにいたかも知りません…」。尋問のメモでは、別に「…山城さんがどこにいたかは知りません」「山城さんは外にいたと思います」「山城さんがいたか…記憶はありません」「山城さんの抗議活動における…彼がリーダーであるかどうかわかりません」などあいまいな表現が繰り返されます。こうした公判での吉田さんの供述からは「共謀」を断定することは無理があります。
吉田さんの裁判の判決要旨によれば「被告人の各供述によれば」と、「供述」が大きな比重を持ち、その供述をもとに「暗黙のうちに現場で意思を通じ合い、共謀を遂げたことは明らかである」と、有罪であることの根拠がそれに求められています。しかし、前掲のように供述内容や、その供述が変遷して行く様子から、山城さんと吉田さんは「現場で意思を通じ合い」「共謀を遂げる」関係でなかったのは明らかです。
更に、量刑の理由で「…被告人は、共犯者の掛け声に反応して衝動的に暴行に出」としていますが、変遷した吉田供述以外それを証拠だてるものはなく、その吉田さん本人が自らの供述を、警察官、公判そして証人としての過程で誘導ないし強いられた供述でしかあり得ないことを、山城さんたちの裁判の検察側証人として出廷・証言することで逆に明らかにしています。
最初、暴行・傷害だった吉田さんは、公務執行妨害・傷害となりましたが、その「傷害」も、証人として出廷した医師の証言で、傷害とは言えない程度のものであることも明らかになっています。「…カルテには引っ張られたと記載がありますので、稲葉さんがそう説明したと思います。…(カルテの下から5行目にある「希望により2W」の記載を示されて)『希望により』というのは稲葉さんの希望により加療期間を2週間にしたということです。引っ張られて頸椎捻挫が絶対起こり得ないとは言えませんが、私の経験ではあり得ません。稲葉さんの通院は1日だけでした」。
そうだとしても、吉田さんの判決は懲役1年6月、執行猶予3年です。「被告人は、共犯者の掛け声に反応して衝動的に暴行に出ており、犯行を主導したとまで言えないが、被害者に対して積極的に暴行を加えている。このような犯罪行為の内容に照らすと、本件は、罰金刑ではなく懲役を選択すべき事案というべきである」。
弁護側は、福岡高裁那覇支部に控訴するとしています。もし、控訴審が争われるとしたら、「供述」「供述調書」の任意性、すべてが現場でのその時々の任意の判断と行動であるものを「共謀」とする強引な捜査、判決を逆に問われることになります。
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