2~3日から、4~5日の“旅行”の場合の持ち物は小型のリュック(20~30L)と肩かけかばんに入るくらいの量にまとめることにしています。で、4~5冊の本もその中に入っていて、飛行機の中やホテルで時間に関係なく読んでいます。
先日の、少し長い(と言っても、4~5日)の旅行の荷物になった本は、少し多くて「シカゴより好きな町」(リチャード・ペック、東京創元社)、「原爆死の真実/きのこ雲の下で起きていたこと」(NHKスペシャル取材班、岩波書店)、「わたしたちの猫」(文月悠光、ナナロク社)、「谷川雁詩集」(思潮社)、「無常の使い」(石牟礼道子、藤原書店)、「相互扶助論/進化の一要素」(クロポトキン、大杉栄訳、現代思潮社)などでした。
というような本が荷物になったのは、それなりに理由があります。「相互扶助論」は、「村に火をつけ、白痴になれ」で始まった、アナキスト・栗原康さんとの出会い、そして紹介してもらった森元斎さんが著書「アナキズム入門」で、クロポトキンの本の一冊として取り上げており、古い本ながらなんとか入手でき読み始めていました。
今、なんで「谷川雁詩集」なのかは、石牟礼道子の「無常の使い」(荒畑寒村から始まり、出会ってきた人たちとその死のことの記述)で、その一人として谷川雁が取り上げられていたのがきっかけです。「『花咲かぬところ、暗黒の満ちるところへ』『力石』を踏んでほんとうに降りた人だった。大正行動隊の地底では、雁さんの目の前で、60年代のアナーキズムが前衛と抱き合って爆死を遂げたのだ」(前掲「無常の使い」)。
「シカゴより好きな町」は少し古い本で、「原爆死の真実」は新しい本です。で、この2冊を持ち歩き、少しばかり戦争の「真実」を考えてみることになりました。「シカゴより好きな町」は1930年代のアメリカ・イリノイ州の「田舎町」が舞台になっています。そんな田舎町にも、戦争(第一次世界大戦)の傷を引きずって生きている人たちがいました。「…祖母が静寂に耳を傾けるかのように押しだまって歩いていたので、わたしは声をかけた。『おばあちゃん、教えて』『あの息子は塹壕で毒ガスにやられたんだよ。そのうえ、銃撃された』わたしたちは歩きつづけ、やがて、地平線に町が見えてきた。『息子には政府から小切手が送られてくるが、それだけじゃ、ふたりの生活はまかなえない』『でも、おばあちゃん、復員兵のための病院があるじゃないの、そういうところに入れるんじゃない?』『母親が手放したがらないのだ。一度、彼を失ったわけだからね、これ以上はごめんということさ』…と、祖母が口を開いた。ため息のような風の音の中で、かろうじてききとることができた。『塹壕が全部埋めもどされても、戦争に行った男たちはまだ死にかけている』」。
「原爆死の真実」は、広島への原爆の投下の後、唯一残された数時間後の2枚の写真に写っている人の考察から始まって、「原爆死の真実」を追います。それは決して写真に写されることのなかった原爆死の「真実」の数々です。「最初に人々に襲いかかったのは炸裂と同時に放たれた、中性子線やガンマ線をはじめとする『放射線』だ。核被爆のエネルギーの約15%が放射線として放出され、人の目にとらえられないまま地表にいた人々に照射した。…爆心地から100メートルの地表に降り注いだガンマ線の初期放射線量は推定115グレイに上るという。それは人が浴びれば致死量をはるかに超える放射線量だった。広島の広い範囲に降り注いだ高線量の放射線、爆心地から半径1キロ以内にいた人で、遮蔽物もなく直接放射線を浴びた人は、ほぼ全員が亡くなったと言われる」「放射線に続いて人々を襲ったのが『熱線』だ。原爆の炸裂後、上空に直径200メートルを超える巨大な火の玉が出現…照射された時間はほんの数秒だったとされるが、その瞬間、地表の温度は3000度にも達した。鉄の融解温度は1500度というから、そのすさまじさは想像を絶する」「熱線に続くのが『衝撃波』と『爆風』だ。…衝撃波や爆風は、人々を吹き飛ばし、地面や建物にたたきつけて命を奪った…」「原爆は、爆風や熱線のように人間を直接的に破壊しただけではない。火災による二次被害も甚大だった。原爆炸裂のわずか10秒後には火の手が上がり始め、1時間もすれば町全体を覆い尽くす大火だった」。
こうして起こった「原爆死の真実」の直後を伝える写真で残されているのは2枚だけです。ですから「原爆死の真実」が伝える「…爆心地から半径1キロ以内にいた人で、遮蔽物もなく直接放射性を浴びた人は、ほぼ全員が亡くなった」人たちの一人一人の真実は「不明」のままです。
戦争は、それが始まってしまった時容赦のないものとなり、「毒ガス」「原子爆弾」も、許されることになってしまいます。戦争だからです。
「相互扶助論」は、読み始めたものの、なかなか進まなくて、旅行中に読めたのは「序論」「第一章/動物の相互扶助」「第二章/動物の相互扶助(続)」まででした。クロポトキンは「相互扶助論」のおよそ1/3を使って、動物の「相互扶助」に言及します。その動物の「相互扶助の結びは以下のようになっています。「『戦争してはいけない。戦争は常に種に有害なものである。そしてそれを避ける方法は幾らでもあるのだ』これが自然界の傾向である。もっともそれは十分に実現されていない。しかし常に現れている。これは、薮からも、森からも、河からも、また海からも聞こえて来る言葉である。『故に団結せよ。相互扶助を実行せよ。それは、最大の安寧と肉体的知識的及び道徳的の生命の進歩と最善の保護を、各人及び総人に与えるもっとも確実な方法である』」。言うところの「相互扶助」が、動物たちの生存(もちろん人間にとっても!)を根底において支えていることの論究ではなく「立証」に、「相互扶助論」の1/3がさかれることになりました。
石牟礼道子の「無常の使い」は「…50年くらい前までわたしの村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立ってもらった。必ず2人組で、衣服を改め、死者の縁者の家へ歩いて行ったものだ」に由来し、「口上の言葉はおろそかにしてはならず、死んだとは言わない。『お果てになりました』とか『仏さまになられました』という」だったそうです。例えば、石牟礼道子にとって、出会って生きてきて、自分がその人の「無常の使い」になった時「お果てになった」人として語る、書くことになった一人が谷川雁です。そうして「お果てになった」詩人・谷川雁は「…みずから選んだ道で自分が傷つき、その痛手に叫びをあげようとして、ふとその浅さにおどろく。真の傷とは、その浅さだったのだ。はじめて彼の心をゆっくりと絶望が蔽ってゆく…こんな風に、それはやってきた。まるで自分が被害者であるかのように軽やかに」と書く人でした(「現代詩の歴史的自覚」谷川雁)。
というような本が荷物になった旅の移動中に、時差でごちゃごちゃの暗い夜に目を覚まし取り出してどれかを断続的に読んでいました。この旅は、指揮者の佐渡裕さんが音楽監督をするオーケストラの演奏を聞く為に、オーストリアまで行って帰るというものでした。佐渡裕さん「ファン」ですが、だからと言って、一回の演奏の為にオーストリアまで行ったりするのは、周囲を納得させるだけの理由が必要です。何よりも、自分が納得できる理由が必要です。
そんな旅で、していたことの一つが、佐渡裕さんにメッセージを届けることでした。
「佐渡裕とスーパーキッズオーケストラ」の皆様
2017年の芸文のオペラを本気で観賞する為、モーツアルトとフィガロの結婚を猛勉強しました。
モーツァルトは天才です。
モンスターではありませんでした。
歴史的条件に深く規定され徹底的に生きて、それを至高の表現・音楽として実現したのがモーツァルトです。
佐渡さんが理解し、挑戦する音楽を短く語っています。「異なる考えや文化を持つ人同士が、同じ空気の振動の中で、共に生きていることの喜びを感じられる。それが音楽の持つ力だ」。
「空気の振動の至高の表現」を、「異なる考えや文化の世界」で挑戦し続ける佐渡さんのファンです。
恐れることなく「空気の振動」に挑戦する、モンスターではないスーパーキッズのファンです。
「共に生きていることの喜び」で充たされる「空気の振動」を、「佐渡裕とスーパーキッズオーケストラ」がグラフェネッグで実現する時、集まった人たちの一人としてそこにいます。
2017年8月16日
佐渡裕さんとスーパーキッズオーケストラの皆さんのファン、芸文の近くの住人菅澤邦明
佐渡裕様
ウィーンモーツァルト交響楽団の演奏で、17日夜、楽友協会ホールに座っていました。モーツアルトの「天才」の500(?)を超える仕事は、たとえ毎日であっても、「表現・音楽」として色あせることはないのだと思います。音楽を残し、広めることで、ホールと楽団は毎日頑張っています。(スーパーキッズオーケストラは、モンスターではないその働きで、世界の子どもたちに、音楽を残し広げ、そして希望になります)。
演奏の後半にはフィガロの結婚もありました。序曲として公爵夫人、公爵(たぶん)の歌、演奏もありましたが、7月のオペラのフィガロのPACは、文句なしに圧倒していました。それを演奏させる
「佐渡はすごい!」と思う。
2017年8月18日
菅澤邦明
佐渡裕様
子どもたちの演奏する場所が、劇場の中ではなく、「入り口」だったのがよかったように思えます。「音楽はここから始まる!」という、音楽を愛し重んじる大人からの「音楽」を愛し迷うことなく挑戦する子どもたちへのメッセージが、あの場所だったのだと、勝手に理解しています。
何よりも申し訳なかったのは、子どもたちの演奏に「キッズ!スーパーキッズ!」と、招いていただいた4人で声をかけられなかったことです。
遅ればせながら、「子どもはすばらしい!人間の音楽はすばらしい!」と伝えていただければうれしいです。
オペラそのものと、オペラの言葉の理解が届かないのは、鑑賞者として致命的であるのはもちろんです。
しかし、「トーンキュンストラーと佐渡裕」は、「魔弾の射手」という音楽作品が演奏者たちに求める音楽演奏、空気の振動を、今その瞬間に極限まで演奏・実現している音楽である事実に、観客の誰も異存はなかったように思えました。
遠くからの「招かれた」観客の一人であったことを誇りに思っています。
音楽と音楽の力を信じ、挑戦し続ける佐渡裕さんのファンです。
(あれこれ、トンチンカンな感想を述べてしまい、申し訳ありません。なにしろ「ファン」ですので)。
2017年8月18日
菅澤邦明
一回のコンサートの為に、言ってみれば途方もない時間と費用をかける理由が、こんなメッセージになりました。一人の指揮者が音楽の力を信じて指揮棒を振る、そんな場所に居合わせることができるとすれば、その「旅」は意味があります。そんな「『旅』の意味」を荷物の本を読むことで整理しながらの旅でした。
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