東電福島の緊急な事故対策の一つが、使用済み燃料の取り出しです。事故の1~4号機のうち、4号機は完了していますが、中でも1,2号機については見通しが立っていません。「1号機は原子炉格納容器の上にあった放射線を遮る重さ約520トンのコンクリートのふたが大きくずれていることが判明。プールに近く、作業員の被ばく低減対策が必要となるために取り出しを遅らせる。2号機も、近くの排気筒で支柱に破断が見つかり、解体などを先行させるため遅らせる」(9月20日、福島民報)。
町の大半が帰還困難区域となっている双葉町では、その帰還困難区域を除染して町民が戻る「特定復興拠点」が計画されており、その為に必要な費用などを国が拠出することが決まりました。「…町が申請した計画案を全面的に認めた。約550ヘクタールは町の面積の約1割に当たり、住宅団地などの新市街地をはじめ、まちなか再生、新産業創出、耕作再開モデルなどの区域を設ける」「政府が目標とする2019(平成31)年度末までのJR常磐線全線開通に合わせ、双葉駅周辺などの避難指示を先行して解除し、2022年春までに拠点全域の避難指示解除を目指す。解除後5年後の拠点内の人口は約2000人を目標とする(双葉町民は全体で約6000人)」「国費による除染は、特定復興再生拠点のうち既に除染を終えた場所や、森林、川などを除いた範囲が対象で、今年度内に始まる見通し…」(9月16日、福島民報)。
事故処理、廃炉の為にはその前に使用済み燃料の処理、取り出しは不可欠です。たとえば、双葉町に「復興拠点」を設けるにしても、そこが事故の東電福島に隣接する限り、事故処理、廃炉が絶対条件です。すぐそこに事故の緊急事態のままの原子炉施設のある町に、とりあえず汚れた町の除染をしたとしても、誰も戻ることはできないのです。その使用済燃料・廃炉が遅れることについて、原発が立地する大熊町、双葉町も強い感心を示しています。「廃炉の着実な前進が復興の優先課題であり、本当に遅れが出るのであれば残念。ただ、かってない作業もあるので技術面をしっかり検証するなど十分な準備期間が必要だろう」(渡辺大熊町長)「正式な話は聞いていない。事実ならば、町として早期取り出しを求めるのは当然だが、何よりも住民の安全安心に配慮して取り組みを進めてほしい」(伊沢双葉町長)(9月20日、福島民報)。
たとえば双葉町の場合、国・政府が帰還困難区域の一部550ヘクタールを特定復興再生拠点に「認定」したとしても、隣接する東電福島が緊急の事故対策に追われ続ける限り、避難解除したとしても町の人たちは戻れません。国費によって除染すると言いますが、たとえば「双葉駅周辺の除染を優先」するとしても町の人たちは元の生活を取り戻せる訳ではありません。戻れないのです。今後実施される「国費による除染」も「森林、川などを除いた範囲」です。町の人たちが戻って「生活する」ということであれば、そこにある森林、川などが被曝の危険があって、身をちぢめての生活しか許されないとしたら、やはりそこは戻れる場所ではあり得ないことになります。
そして、問題になっている事故の原子炉の燃料(使用済み)の取り出しを、当面断念せざるを得ないとすれば、復興拠点はそこがどんなに整備されたとしても、「絵に描いた餅」でしかありません。
で、使用済み燃料の「取り出し断念」になるのか。「過酷な現場作業阻む」からです。原子力施設・原子力発電所が事故を起こすと言えば、それは閉じ込めるはずの放射性物質が漏れ出してしまうことです。施設や発電所は、閉じ込めることと、被曝を避けることが前提になっています。と言うのは、漏れ出してしまった時、たとえば戻すことができなくて、その事故処理にあたる作業員は被曝が避けられません。放射性物質のうちのいくつかは、強い透過性を持っている為、特別の防護をしない限り確実に被曝します。そして、被曝してしまった時、生きものの細胞・遺伝などに直接影響を与えるとしても、本来治療が不可能であるのが被曝です。ですから、閉じ込めること、漏らさないことが絶対条件なのです。
放射性物質を扱う時、閉じ込める、漏らさないが絶対条件であるにもかかわらず、東電福島の事故現場はそれが全くできなくなっています。「過酷な現場作業阻む」なのです。
「東京電力福島第一原発1,2号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出しが再び延期され、溶融燃料(デブリ)取り出しの初号機選定も一年程度遅れることが判明した。いずれも現場の過酷な状況が次々と明らかになったためで、廃炉の困難さが改めて浮き彫りとなった」(9月20日、福島民報)。その作業を阻む過酷な現場について。「強い放射線を出す使用済み核燃料は廃炉作業上の大きなリスクで、事故が起きた建屋のプールからなるべく早く取り出す必要がある。…1~3号機プールにはそれぞれ292体、615体、566体の燃料が残ったままだ」「政府と東電は1,2号機プールからの取り出しを3年程度遅らせるが、1号機の遅れの要因となった原子炉格納容器の上にあった放射線を遮るコンクリート製のふたのずれへの対応も、いまだ検討中で、具体的な対策を示せていない」「2号機も原子炉建屋上部や排気筒の解体などの必要があり、さらなる計画遅れも懸念される」(9月20日、福島民報)。
こうして言われている「コンクリート製のふたのずれ」の「ふた」は520トンと確かに重いのですが、それより何より、それが「放射線を遮るふた」である為、ちょっと持ち上げてもとへ帰すという訳にも、ふたそのものが強い放射線で汚れているし、一部が壊れてプール内に落ちたりすると、それを回収するのにも強い放射線が壁になってしまいます。その作業は慎重な上にも慎重さを要求されますから、事故から6年経った今も「検討中」で「具体的な対策を示せていない」のです。2号機の場合も、「計画遅れが懸念される」のは、「建屋上部や排気筒の解体」が6年経っても計画さえできないのは強い放射線の「過酷な現場」が「作業阻む」からです。
東電福島では、事故及び事故処理によって「大量に発生する『固体廃棄物』」の処分に追われています。「対象の固体廃棄物は ①放射性物質が付着したがれき、土壌、伐採木、使用済み防護服など ②汚染水を浄化するため多核種除去設備(ALPS)で使ったフィルターなど ③今後の溶融核燃料(デブリ)取り出しで発生を見込む廃棄物――に大別される」「今年4月末時点の保管量は、がれきが約20万7千9百立方メートル相当、使用済み防護服などが約6万7千5百立方メートル相当など」(9月20日、福島民報)。これら放射性物質で汚染された廃棄物は、そもそも「廃棄」することが難しい為、「処分」ができませんからそのまま保管し続けるよりありません。たとえば①などもいったん焼却して「嵩(かさ)」を減らすことはできますが、その時のフィルター、少なくなって超高濃度になって残る物質、灰、更にそれを取り扱った施設が高濃度に汚染されて残ってしまいます。その取り扱いもまた「作業阻む」「過酷な現場」になります。
原子力施設、発電所の重大事故は、絶対条件の放射性物質の閉じ込めが難しくなってしまった時、それ自体が終わりのない事故の始まりになってしまうのです。東電福島の重大事故です。ですから、町の大半が帰還困難区域となっている双葉町で、「特定復興再生拠点に初めて認定」される地域ができたとしても、隣接する東電福島の事故の緊急事態が続き、使用済み核燃料の取り出しの「3年程度の遅れ」は更に遅れることになる限り、住民が戻ることはあり得ないのです。更に難しいのは、事故処理の最大の難関である、溶融燃料の取り出しは、原子炉内のその形状は依然として不明のままです。調べる「作業阻む」「過酷な現場」だからです。
退任することになる原子力規制委員会長の田中俊一委員長が廃炉などのことについてインタニューに答えています。(2017年8月31日、WEBRONZA、朝日新聞)。「――全体の進捗状況としては、まだまだですね。もともと廃炉計画など、あってなきがごとしです。廃炉というと、あたかもハイテクで進むように見られますが、実際はローテクなのです。余計なことは考えず、地道に進めるのが一番です。ところが、外部の人がいろいろ意見を言い、そこに国が関与するし、東電には主体性がありませんから…。…見直しながら、着実に5年ずつを積み重ねていくしかありません。しかし、このままでは『どうどう巡り』になる恐れがあります。そもそも、デブリ(溶け落ちた核燃料)の扱い方から分からないのです。生産的な考え方も主体性もありません」。という「生産的な考え方も主体性もありません」と評価する東電は、今も緊急事態の続く東電福島の事故現場の当事者であり、柏崎刈羽の稼働も任せられようとしています。それらのことを了解、了承しているのが、田中俊一委員長の原子力規制委員会です。
このインタビューで「…(退任後)飯舘村に新しい家を探しています」と語り、「…来春には村内の小中学校が再開します。地元の子どもたちが、いずれは地域で働けるように、お手伝いをしていきたいと思っています」とも語っています。「来春には、村内の小中学校が再開します」となっているのは、事故前の中学校を“徹底的”に除染し、中学校と、事故前の3つの小学校(飯樋、臼石、草野)を統合し同じ場所で再開する計画です。しかし、そこは子どもたちの生活にとって、安全な場所ではありません。東電の事故前の飯舘中学校のその場所は、村全体がそうであったように、子どもたちの生活にとっても恵まれた環境は自慢するに値していました。校舎があって、付属施設、グラウンドがあってそのまま子どもたちが自由に出入りできる境界のない森につながっていました。学校再開のための徹底除染は、学校の敷地と森との境界までしか実施しません。際限がないということで実施しなかったのです。2017年6月に、そこを訪れた時の境界の少し先の放射線量は1.3~1.5μSv/時でした。13mSv/年を超えてしまうのが、飯舘の小中学校が再開される子どもたちの取り囲む世界なのです。
田中俊一委員長は、その飯舘村で「新しい家」を探しています。戻らないし住まない人たちの多い飯舘村で、「新しい家」はすぐに見つかるはずです。しかし、6年を超えて全村民が避難している飯舘村で、かなりの宅地がそこそこ荒れていますから、住む為にはそこそこ手を入れる必要です。田中俊一委員長は飯舘村に住みたいと思っています。しかし、もし田中俊一委員長に子どもがいて、もしその子どもに幼い子供(孫)がいたとして、ご本人はともかく、その子ども、孫たちは、もし事情を承知しているとすれば、“おじいちゃん”を訪ねるのを躊躇するはずです。
田中俊一委員長は、どうせならもう一つ別の場所に「新しい家」を探してみるのもいいかもしれません。双葉町の「機関困難区域を除染して町民が戻る『特定復興拠点』」です。ご自分が主導してきた東電福島の事故処理の今も続く緊急事態の現場を、身を持って間近につぶさに見ることができるのですから。
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