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2017年10月04週
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「クリオの顔」(岩波文庫)に収められている、E.H.ノーマンの歴史随想の一つ「説得か暴力か/現代世界における自由な言論の問題」の最後を、ノーマンは「説得せよ、さもなくば破滅あるのみ」で締めくくっています。ノーマンはアメリカ人ではありませんでしたが(カナダ人)、マッカーシズムの旋風にまき込まれ、「カイロ駐在のカナダ大使として第二次中東戦争の渦中に身を置き、地域紛争解決のため不休の活動をしたあげく、アメリカ上院の非難むしかえしの中、1957年4月自ら命を絶った世界史家」であり日本研究歴史家です。
 暴力が破滅になったことを経験した国の政権党の公約は暴力を辞さずとし、党首は「国難」にあたり暴力を声高に叫ぶ超大国の大統領と親密であることを誇っています。およそ70年前、暴力の結果の破滅を経験したにもかかわらず、破滅に至る暴力を政権政党と党首が公約・公言してはばからない国になってしまったのはなぜだろうか。
 ノーマンの「説得か暴力か」で繰り返し示されるのは、自由、中でも言論(あるいは表現)の自由です。言論・表現の自由は、人間の生存の基本的条件であり日本国憲法もそれを明言します。「第二十一条①集会の自由は、これを保障する。②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」。およそ70年前、戦争に負けた日本は、憲法で表現の自由を不動のものとして明言します。この時、表現の自由が、こんな内容で明言されたのは、日本国憲法の作成に深く関与した、占領軍、アメリカ合衆国憲法の精神が何より影響を与えているはずです。「…実に表現の自由こそは民主政治社会の本塁というべきです。その城の一塁一塁が陥落しても要塞の全体が危険に瀕します。ですから表現の自由が制限されるということはその最初の突撃にあたるわけで、それによって自由の急所に対するその後の攻撃路が開かれるのです。アメリカ合衆国の初期の立法者たちが、いわゆる憲法修正の第一条に『連邦議会は法律により言論および出版の自由を制限することを得ず』という条項を採りいれたのはまさにこの理由によるものであって、この条項の適用に制限がなく、一切の例外を認めていない点に注目することが肝心です。事実ここでは、事変または戦時の場合でも一つの例外すら設けられていないのです」(前掲「クリオの顔/説得か暴力か」)。
 今、共謀罪が成立してしまう国で、表現の自由の「その城の一塁」「一塁」の陥落は、どこで始まったのだろうか。少なくとも、共謀罪が成立してしまうこの国では、今まさに広い範囲で表現の自由は脅かされ、難しいないしは成り立たなくなっています。「…戦後日本が培った原理に『私的領域』と『公的領域』の明確な区別があります。近代立憲国家としての必須の原理に、安倍政権は首相主導で手をつけました。2006年の改正教育基本法では、前文の『真理と平和を希求』が『真理と正義を希求』に修正されました。『正義』の内容は価値観によって違い、国家が定義すべきものではありません。国家が私的領域を侵す姿勢は、自民党改憲草案にも見えます。憲法13条の『すべて国民は、個人として尊重される』が『人として』となっている。『個人』を『人』に修正するのは良心の自由が守られるかという点で大きく違います」(「国民の『私的領域』に立ち入る政権」、加藤陽子、10月7日、朝日新聞)。
 今、この国では政治権力、国家が「国民の『私的領域』に立ち入る」ことが公然と語られかつ行使されるとしても、多くの人たちはそんなに違和感を持たなくなっています。「その城の一塁」「一塁」が陥落するということが起こってしまっているのです。たとえば、教育基本法が改正・改変されてしまう時、同時進行で改正・改変されてきたのが、子どもたちの学校教育現場で使われる教科書です。教科書は、既にずっと以前から「検定」の名のもとに、表現の自由が奪われてきました。憲法21条が保障する表現の自由は、とうの昔に踏みにじられているのです。憲法21条②は「検閲」はこれをしてはならない」となっているはずですが、子どもたちの教科書の検定という名の「検閲」は、中でも歴史記述などの細部に及び、「表現の自由」は無いに等しいのです。アメリカ合衆国憲法修正第1条の「表現の自由」は、本来の精神は「この条項の適用に制限がなく」「一切の例外を認めていない」し、更に「事変または戦時の場合でも一つの例外すら設けられていない」と明言します。「表現の自由」は、それを徹底して守ること、議論することさえ戒めるのが、そもそもその本質だと考えられているからです。
 共謀罪が成立してしまうこの国では、表現の自由の「その城の一塁」また「一塁」が陥落し続け、今、政権政党が国政選挙で、国難に力を行使すると言ってはばかりません。
 何よりも問題なのは、こうした言説、行動がまかり通る国になっているのは、それをまかり通すべく、表現の自由を圧殺する歴史の歩みが土台となっていることです。
 いつの頃からか、子どもたちの通う小学校の通学路に「おあさす運動」の横断幕がかけられていました。子どもたちに「おはよう」「ありがとう」「さようなら」「すみません」など基本になる生活態度を地域ぐるみで教え、徹底する運動の標語です。これらのことが言葉になり生活態度になるのは、子どもたちが自発的に心から湧き出るようにそうであって始めて意味があります。そうであって始めて、社会は生きた人間の関係として成り立っていることになります。
 その学校が、表現の自由の「その城の一塁」また「一塁」が陥落し続けるおよそ20年の歴史を振り返ってみると、およそ以下のことがそこでは起こっていました。学校で「日の丸、君が代」が強制されることになったのは、1987年です。学校に日の丸が国旗として掲揚され、それ仰ぐこと、行事で掲揚された日の丸の前で、起立し君が代を歌うことが強制されることになり、かつそれを拒む者(主として学校教師など)が処分対象になりました。
 日の丸、君が代は、敗戦からおよそ40年、学校などの現場では1987年以前、今日のように強制されるものではありませんでした。ノーマンの「説得か暴力か」になぞらえば、暴力を選んだ時に常に日の丸、君が代が戦争に人を駆り立てる役割の最先端にあって、「さもなくば破滅あるのみ」を数えきれない人たちに強いることになりました。日の丸、君が代は、そのようにして数えきれない人たちを破滅に追い込んだ事実の結果、掲揚することも歌うことも出来なくなったのです。「第二次世界大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)において、日本人戦没者数は310万人、その中で軍人属の死者数は230万人とされている」「なお、調査や遺骨収集は続いており、正確な数は依然として明らかにされていないが、現在では日本軍人の戦没230万人というのが、政府が明らかにしている概数である」。「この戦争で、特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死でなく、餓死であったという事実である。『靖国の英霊』の実態は、華々しく戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである」(「餓死(うえじに)した英霊たち」藤原 彰、青木書店)。「…野垂れ死んだ」兵士たちがどんな時も歌ったのが君が代で、守り掲げたのが日の丸であったため、暴力とその結果の敗北の後、忌まわしい旗、忌まわしい歌になってしまったのです。野垂れ死んだ人たちへの敬意の印としても、掲揚し、歌うことをしないはずだったのに、それから40年、更に30年経って、すっかり忘れ去ることにして、歌うこと掲揚することが政治の力で義務化され、拒む人たちが処分の対象になってしまいました。
 そして、次々と強行され特定秘密保護法、共謀罪は、表現の自由ではなく「説得か暴力か」の暴力に有無を言わせずこの国を方向付け、「説得せよ、さもなくば破滅あるのみ」の破滅の道をひた走ろうとしているのが、国政選挙にあたっての政権政党の公約であり、党首の叫ぶ「国難」です。「クリオの顔」「餓死(うえじに)した英霊たち」は、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子、朝日新聞)に紹介されている。参考文献の一部。
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