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2018年01月01週
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 2014年7月から、沖縄県名護市辺野古で、新米軍基地建設が始まり反対の座り込みなどが始まっていることを、断片的な情報で知らされていました。その年が押し迫った頃、かねてから出版案内などを届けてもらっていた「七つ森書館」既刊案内の中に「辺野古って、なに? 沖縄の心はひとつ: 7月27日 沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議結成大会 発言録」(沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議編、以下「沖縄/建白書」)が目に留まりました。言われている「建白書」の事は、それを日本政府に届けた沖縄の人たちの東京での行進に、「非国民」「日本から出て行け」などの罵声が投げかけられたなどのことも断片的には聞いていました。で、さっそく送ってもらい「沖縄/建白書」及び、関連する文書、発言などを目にすることになりました。「沖縄/建白書」の最後に置かれているのが、「辺野古でのボーリング調査等の強行を抗議し、新基地建設工事の即時中止を求める意見書」(2014年9月3日、沖縄県議会)です。「この建白書は、『オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖、撤去、県内移設断念』というオール沖縄の願いをまとめ上げたものである。しかし、安倍内閣はこの建白書を受け取りながら、これを全く無視して埋め立て工事を強行したことは、民主主義を蹂躙(じゅうりん)し、沖縄県民の尊厳を踏みにじるものであり、到底容認できるものではない。怒りを込めてこの暴挙を糾弾する」「沖縄県民は、戦後の米軍占領時代の苦難の歴史のものでも決して屈服せず、基地のない沖縄を目指して闘ってきた。今回の安倍内閣の新基地建設のための工事強行着手に厳重に抗議し、下記のことを要請する。「1、海底ボーリング調査など、辺野古新基地建設のための工事を直ちに中止すること。2、陸上、海上での県民の正当な抗議行動への断片、過剰警備を直ちにやめる事。3、第一ゲート前の危険な山形の鉄板と、海上でのフロートなどを撤去すること。以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。平成26年9月3日、沖縄県議会」。「建白書」と言い、「尊厳」と言い、一地方自治体が、今時こんな「大時代」的な言葉を連ねた文書で、国に「要請」することに少なからず驚きながら、しかし、そうまでして「要請」する沖縄の人たちが抱えてきている事態に、傍観者ではあり得ないように思えました。中でも、「尊厳」という言葉には、今頃それを使う人たちにいることに驚くと同時に、だったら、沖縄辺野古に足を運ぶよりないように思えました。で、2015年2月から、当面月1回、1年間と決め、それを始めることになりました。それは、2018年1月まで(1月29〜31日予定)、3年間続いています。
 沖縄辺野古は、遠いといえば遠いのですが、実は、そんなに遠い場所ではありませんでした。沖縄教区が恩納村のキャンプ場を手放し、その代替地を今帰仁村に求め移ったのは、およそ20年前のことです。しばらくして案内された今帰仁キャンプ場は、広い敷地、隣接する海、赤瓦屋根の管理棟、残されていた牛舎(元牧場)など、すべてに好感の持てる場所で、2000年から教会学校の小学5年生以上の子どもたちのキャンプ「公同子ども沖縄キャンプ」として使わせてもらうことになりました。参加者がスタッフを含め、20人を超えるキャンプでは、管理棟では間に合わない為、放置状態だった牛舎(間口15メートル、奥行50メートル)を大掃除し子どもたちは寝泊りしました。ただ、この牛舎、なかなかの「優れもの」で、というか、元の牧場の持ち主のこだわりで、柱(コンクリート製)、梁(木製)はすべて「元電柱」であったところが迫力満点の建物だったことです(多分、管理が行き届かなかった結果、現在はすべて撤去し“更地”)。
 今帰仁でのキャンプは、今も続いており、キャンプ期間中には必ず辺野古にも足を延ばし、かつては金城さん、嘉陽さんなど沖縄の「おじい」から子どもたちに沖縄・辺野古のことを語ってもらいました。辺野古では、沖縄の海の豊かさを潮の引いた後、干潟で湧き出るように、ざわざわ歩き始めるミナミコメツキガニで目の当たりにします。辺野古の海岸で拾い集めたイボガイの殻は持ち帰って子どもたちが遊ぶゲームの「ひとりぼっち」になり、その沖縄の貝のゲーム「ひとりぼっち」は、辺野古で座り込む人たちのテントで、カンパの為に販売してもらったりもしました。
 子どもたちの沖縄のキャンプでは、昨年そして今年も、辺野古、更に高江にも足を延ばして、「あいさつ」をさせてもらったりしています。特別のメッセージではなく、「童神(わらびがみ)」を歌い、兵庫県西宮市からやってきた証しに「にしきたずっと節」を歌い、踊らせてもらっています。
2017年10月は、25、26日に山城博治さんたちの裁判の傍聴、10月31日は沖縄島で、島の土を島に伝わる「 窯」を自作し、島の木(琉球松)で焼く、「琉球陶藝展」(2017年1月〜2月に西宮アートガレーヂで開催)に顔を覗かせ、一日だけでしたが、11月1日に辺野古の座り込みに参加しました。辺野古の座り込みは、東村高江のヘリパッド工事の闘いの「敗北」の後、厳しくなっています。一つには、座り込みの先頭に立っていた人たちが、相次いで逮捕され、現場への出入りが釈放後も厳しく制限されていること、現場では新たな逮捕、拘留が相次いでいることもあり、座り込みの参加者が少なくなっていることです。沖縄県議会の「意見書」が「沖縄県民は、戦後の米軍占領時代の苦難の歴史でも、決して屈服せず」の大衆運動は、「大衆運動の原点は、スクラムを組むこと、横に広がること、つまり人が集まること」(「高江が潰された日/写真と文」沖縄平和サポート、山城博治)なのですが、非暴力の抗議が、暴力で踏みにじられる現場は、半端ではなく厳しく少なからず集まる人たちの力を萎えさせる力になっているのです。2016年春から夏にかけて「水曜行動」の日には、多い時で1500人、少なくても500人が座り込み、機動隊も手出しができませんでした。2017年11月のその「水曜行動」の日に集まっていたのは、およそ80人で、午前9時、午前11時30分の2回の埋め立て資材(石材)を搬入するトラック約90台、100台は容赦することのない機動隊の「規制」で止めることはできませんでした。
12月は、月初めを予定していましたが、日程の調整がつかず12月末の25〜27日に座り込みに参加することになりました。26日は、9時前から、座り込みに参加する人たちの久志の駐車場前を玉石を満積した大型トラックが次々とキャンプシュワブに向かっていました。急いで、ゲート前の座り込みに加わった時の人数は、30〜40人くらいでした。取り囲んだ機動隊員「規制開始」の合図で始まった“ごぼう抜き”に、座り込んでいた人たちは、15分くらいは何とか頑張りました。入った車両はおよそ90台です。機動隊が引き上げた後の座り込みで、促され「西宮から来たこと、ヤンバルクイナ(のバッヂ)を持参した」ことを短く告げ、参加していた人たちにバッヂを配らせてもらいました。この日の2度目の埋め立て資材の搬入は、11時50分頃で、座り込む人は100人くらいに増えていましたが、やはり15分くらいで排除され、搬入車両は100台を超えていました。午後は2時ごろに、組み木(三毛矢島の子どもたちにも届けた)用の板を受け取る為、約束の国頭村森林組合に向かいましたが、東村・高江ではN1ゲート前のテントで集まった人たちが集会をしていました。
27日は、前日の約束で午前8時頃から駐車場からゲート前まで、座り込みに参加する人たちの送迎を担当することになりました。送迎は、途中から海岸のテント、コンビニへの主として「トイレ送迎」になります。この日の借りていたレンタカーでの送迎は、ほぼ休むことなく午後2時頃、辺野古を撤収するまで続きました。
(以下、次週に続く)

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