2月4日の投開票で敗北に終わった現職稲嶺進さんの沖縄県名護市長選挙の第一声を新聞は「『政府の圧力に屈せず頑張ってきた。その流れを絶やしてはいけない』と主張。『名護のことはナグンチュ(名護の人)が決める』と述べ、移設に反対し続ける姿勢を強調した」と報じていました。(1月29日、朝日新聞)。一地方の市長選挙の告示が、このあたりの全国紙の一面で「『辺野古移設反対×安倍政権が支援』名護市長選、現新一騎打ち」のタイトルで紹介されるのは異例のことです。
日米安全保障条約のもと、米軍基地が各地にあって、米軍が常駐する日本で、その中でも米軍基地が集中しているのが沖縄です。米軍基地全体の70%以上、沖縄県の20%以上を占めています。その米軍基地は、軍及びそれに付随する動きのすべてにおいて、米国の軍隊であることが最優先されています。日常的な軍事訓練及びその体制(常に臨戦体制!)はもちろん、軍に所属ないし関係する人たちの日常生活にいたるまで、米軍基地の内外を問わず、日本の法律に拘束されることはありません。たとえば、米軍基地からの軍及び関係者の出入りは「自由」であっても、周辺に住む沖縄の人たちが米軍基地に足を踏み入れることは許されません。拳銃を携行した警備隊に直ちに拘束されます。これは、とても不平等、不公平なことですが、日米安保、日米地位協定、刑特法及びいくつかの「密約」によって、日本国が容認していることです。これらのことが容認される結果、米軍及び軍関係者は、基地において少なからず傍若無人に振舞ったとしても、そのことでそんなに痛痒を感じることはありません。結果、米軍及び関係者による事件、事故が繰り返されることになってきました。今も、繰り返されているのが、沖縄です。一地方の市長選挙で、現職の候補者が立候補の第一声で「政府の圧力に屈せず頑張ってきた」と、あんまり口にはしないものです。それは、思わず口走ったということではなく、陰になり日向になり名護市及び名護市民に圧力がかけ続けられている事実を語る言葉です。辺野古新米軍基地を受け入れないとする、市長を選んだ名護市民、市長及び市民への圧力です。もし、沖縄の米軍基地が前述のものだったとすれば、それを抱え込まされる沖縄、名護の人たちが、米軍基地、ましてや新たに米軍基地が自分たちの身近に建設されるとすれば、受け入れなかったりするのは当然です。しかし、この「当然」は、「政府の圧力」によって、繰り返しゆがめられてきました。
1月30日~2月1日に、辺野古新米軍基地建設反対の座り込みに参加し、31日の午後数時間でしたが、辺野古新米軍基地建設に強く反対し、辺野古の座り込みにも繰り返し参加している稲嶺 進さんの選挙政策資料の、名護市内の各戸配付を手伝いました。資料には「ナグンチュの誇りと尊厳にかけて、辺野古新基地に決着をつける!」(稲嶺進)「ウチナーンチュ負けていないびらんどー! 公約を守り信念を貫く人をオール沖縄で支えて下さい!」(翁長雄志)とありました。そして2期6年市長に取り組んできた政策が約10項目にわたって書かれていました。一見してこの「政策」は、一般には解りにくいと言うか、迫るものがないように思えました。相手候補の側は「政策」ということでは、とっても具体的です。前の市長選挙の時、支援する国政の代表は、相手候補の支援に「500億円」を約束して話題になりました。あまりに露骨だったその約束は少なからずの逆効果になったように思います。今回は、同じように「政策」は「お金」なのですが、少なからずきめ細やかでかつ具体的な支援の約束(お金!)になっています。もしそれが「政策」であるなら、その裏付けとなる資金を、数10億、数100億単位でかつ自由に動かせる政治権力が背後にはついていて分かりやすいのです。そうして「政策」(お金!)で、自由にあやつれる政治権力に対して、一地方市、一地方県が太刀打ちも立ち向かうことも、そもそもあり得ないことです。
沖縄県議会は、2013年の「辺野古でのボーリング調査等の強行に抗議し、新基地建設工事の即時中止を求める意見書」を国に対して提出しています。それは「地方自治法第99条の規定によっています。第99条〈意見書〉の「普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会または関係行政庁に提出することができる」は、もしそれが提出された場合にはそれを尊重し出会って協議することとして理解されてきました。「政府の圧力に屈せず」は、地方自治法第99条があり、意見書を提出しているにもかかわらず、一切協議には応じず、ボーリング工事、埋め立て工事が強行されているとしても、ひるまないことの意志として表明されています。辺野古新基地建設を許さないとするのは、名護市長選挙、そして沖縄県知事選挙で、強い意志として、名護で沖縄で表されてきました。それに対する「政府の圧力」は容赦がありませんでした。国からの交付金の減額であったり、あるいは、各種の交付金をちらつかせたり、市内の自治会に直接交付することによって、地方自治体の意志にゆさぶりをかけることでした。名護市長選挙の結果を受け取り沙汰されているのが、「再編交付金」の名護市に対する交付検討です。在日米軍再編への協力に応じて自治体に交付するのが「再編交付金」です。名護市辺野古に新米軍基地を建設するのも、普天間基地をそこへ移設するということでは「在日米軍の再編」です。稲嶺進市長を選んだ名護市にはこの交付金は支給されませんでした。「名護市への再編交付金は、辺野古移設に反対する現職の稲嶺進氏2010年の市長就任後に政府が停止。防衛省の試算では、その後の8年間で交付されなかった額は約135億円にのぼるという」「アベ政権から全面的な支援を受けた渡具知氏は市長選を通じ、再編交付金を市の新興に活用すると主張」(2月6日、朝日新聞)。年間予算が382億円の名護市にとって、135億円(年額約17億円)は大きなお金です。再編、移設という名の辺野古新米軍基地を、名護市の人たちに認めさせる時に説得材料の一つが「再編交付金」なのです。稲嶺進さんを選んできた名護市は、再編交付金に頼らず、そこで生きる人たちの「アイデアと地域力」で、お金ではない「誇りある名護市」に未来を託そうとしてきました。
1月31日に、短い時間でしたが、稲嶺進さんの選挙政策資料の各戸配付を少しだけ手伝って、国、アベ政治の政治権力のお金を自由に動かせる政策に立ち向かう力があまりにも非力であるように思えてなりませんでした。もし、そんな圧倒的な力に、非力とは言え、立ち向かい得るとすれば、選挙政策資料の「ナグンチュの誇りと尊厳」「ウチナーンチュ負けていないびらんどー!」だと思い、西宮に帰ってからすぐに届けたのが「争点は一つ」です。
「ナグンチュの誇りと尊厳」「ウチナーンチュ負けていないびらんどー!」が、政治権力が忖度で自由にできる資金を背景にした「政策」で踏みにじられる一方、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ工事用ゲートからは、毎日200台を超える大型の作業用車両が、満載の砕石を1日3回に分けて運び込んでいます。踏みにじられているのです。50人くらいの座り込む人たちのスクラムは固いのですが、どんなにスクラムが固くても一人ずつはぎ取られるようにして、3~5人の機動隊員によって、すぐ横の歩道上に設置された簡易拘置場所に運び込まれます。前後が機動隊員、車両側に立てられた格子状のフェンスは、最近2段目が取り付けられ高くなっています。こんなことが、毎日、午前9時、午前11時半、午後3時と3回にわたって繰り返されるのです。
キャンプ・シュワブに運び込まれた砕石は、埋め立て予定区域で着々と護岸を伸ばしています。(1月31日、琉球新報図面)。どんなに座り込んでも工事用車両を止めることができず、護岸が着々と伸びることになったとしても、沖縄の人たちやそれを支援する人たちは、そこに集まり続けます。沖縄の島を戦争の基地にしてはいけない、美しい島を子どもたちに残すという、そこに集まっている人たちの強い意志はひるむことはないからです。沖縄の島の人たちにとって、前述の日米安全保障条約そして地位協定の沖縄である限り、常に戦争がまさにそこに、毎日の生活の真只中にあり続けること、これからもいつか、どこかで事件、事故が起こり続けるのだとすれば、断念する訳には行かないのです。たとえ政府がどんなに圧力をかけてきたとしても、参りましたと口にしないのが、キャンプ・シュワブゲート前に集まる人たちの意志であり合言葉です。
1月末から2月にかけて、沖縄の島で一番見かける花が、沖縄の桜・カンヒザクラ(寒緋桜)です。今帰仁村の今帰仁城への道沿いにも城の中にも、カンヒザクラがいっぱい咲きます。辺野古では、国道から離れた、辺野古漁港への坂道にも、カンヒザクラが咲いています。そして、そんなカンヒザクラには、蜜を求める小鳥たちが集まって花から花へ上手に羽ばたいています。沖縄の1月末から2月にかけて、キャンプ・シュワブのフェンスの中でも外でも、たんぽぽが咲いています。同じように、キャンプ・シュワブのフェンスの中でも外でも、ちょいとしたすき間を見つけて、すみれが咲いています。小鳥たちにとっても、たんぽぽやすみれにとっても、季節を問わず沖縄は生きるのが苦にならない場所なのです。
島の人たちを勝った負けたで対立させ、それをあおるのが、米国・米軍、日本・アベ政治です。
そんな米国・米軍と日本・アベ政治は、米国・米軍の「核運用拡大へ新戦略」を「高く評価する」と世界に向かって公言して恥じません。「ナグンチュの誇りと尊厳」「ウチナーンチュ負けていないびらんどー!」が立ちはだかっているのも、そんな米国・米軍、日本・アベ政治です。
[バックナンバーを表示する]