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小さな手大きな手

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2018年03月03週
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 世界中で世代を超えて読まれてきた「ゲド戦記」の著者のアーシュラ・K・ル=グウィンが、1月22日に亡くなりました。
 2011年8月に「いまファンタジーにできること」日本語訳(原書は、2009年)が出版され、珍しく訳者あとがきを最初に読みました。あの頃、多くの人たちが感じ生きていたこと「あの日を境に現実がすっかり変わってしまったと感じでいたから、ル・グウィンの言葉が前と同じように、自分の心に響いてくるか不安でした。…しかし、とにかく本を開いて耳を澄ましました」「ル・グウィンの言葉は、人前と変わりなく、心に響きました。いや、一層力強く澄んだ響きになったかもしれません」「この力強い声を頼りに、これからもファンタジーを読んでいこうと思います」
 「この力強い声を頼りに」とあとがきに書いている訳者と同じように、ル・グウィンの「いまファンタジーにできること」の力強い声が頼り、手掛かりになってあれこれファンタジーを語る時の「力強い声」は例えば、以下のようになります。「ファンタジーは、善と悪の真の違いを表現し、検証するのに、とりわけ有効な文学です。私たちの現実が見せかけの愛国心と独りよがりの残念さへと堕落してしまったように思われるこのアメリカで、想像力による文学は今もなお、ヒロイズムとは何かを問いかけ、権力の を検証し、道徳的により良い選択を提供し続けています。戦いのほかにたくさんの比喩があり、戦争のほかにたくさんの選択肢があります。そればかりか、適切なことをするほとんどは、誰かを殺すことを含んでいません。ファンタジーは、そういうほかの道について考えるのが得意です。そのことこそ、ファンタジーについての新しい前提にしませんか」。
 この「力強い声」と出会って励まされ、今まで手に取ることもしなかった丁寧に読むこともしなかったファンタジーに出会い直してきました。それが以下に紹介するファンタジーです。

「黒馬物語」(シュウエル:作、土井 すぎの:訳、岩波少年文庫)
「少年キム 上」(キプリング:作、三辺 律子:訳、岩波少年文庫)
「少年キム 下」(キプリング:作、三辺 律子:訳、岩波少年文庫)
「ジャングル・ブック」(キプリング:著、五十嵐 大介:絵、三辺 律子:訳、岩波少年文庫)
「バンビ ―森の、ある一生の物語 」(ザルテン:著、ハンス・ベルトレ:絵、上田 真而子:訳、岩波少年文庫)
「灰色グマの伝記 シートン動物記」(シートン:著、藤原 英司:訳、集英社文庫)
「シャーロットのおくりもの」(E.B. ホワイト:著、ガース ウイリアムズ:絵、あすなろ書房)
「たのしい川べ」(ケネス・グレーアム:著、 E.H.シェパード:絵、石井桃子:訳、岩波少年文庫)
「はなのすきなうし」(マンロー・リーフ:著、ロバート・ローソン:絵、光吉 夏弥:訳、岩波の子どもの本)
「鏡の国のアリス」(ルイス キャロル:著、金子國義:絵、矢川 澄子:訳、新潮文庫)
 
 こうしたファンタジーは、アニメなどにもなったりダイジェストで出版されたりしていますが、そこで描かれている最も大切なことと出会う(そうでなくてはほとんど意味がない)という意味では、必ず「原作」で読んで欲しいものです。そうすれば必ずファンタジーの「力強い声」に出会うことになります。
 ル・グウィンの講演、評論などが集められたもう一冊が「ファンタジーと言葉」(アーシュラ・K.ル=グウィン:著、青木 由紀子:訳、岩波現代文庫)です。生命を翻弄し、軽んじられる今の時代に、それを「一生続くセンテンス」という表現で、自分のこととしても語っています。「アーネスト・ヘミングウェイは老人になるぐらいなら、死んだ方がましだと思った人でしょうね。だから死んだんです。銃で自殺しました。短いセンテンスですよね。長いセンテンス(実刑判決)、一生続くセンテンス(終身刑)だけは我慢できないってわけ。大変男らしい」。それに続けて、自分(女)のことを書いています。「一生続くセンテンスは違います。延々と続いて、いろんな構文、修飾語、紛らわしい先行詞が山のようにあるし、おまけに年をとる。というところで、私が全然人間になれていないことの本当の証拠が出てくるわけです。若くさえない人ですから。…恥ずかしげもなく、自分が老人になっていくのをそのまま放置して、銃を持ち出したりを含め、何一つしませんでした」。「つまりは、本当の自尊心があれば、少なくともフェイス・リストをするか、皮下脂肪を取る(liposuction)がした人じゃないかってこと」。
 いい絵本や、児童文学に出会うことは、子どもたちにとっても、一緒にそれと出会う大人にとっても、マンロー・リーフの「はなのすきなうし」が最後に語る「ふえるじなんどは とても しあわせでした」を、信じて生きることを意味するのです。
 こぐま社の編集者の名前で、新しい本が出版社される度に編集者の名前のコメントと付して一冊届けて下さっています。こぐま社は、絵本、児童書の出版社として50年を超える歴史があり、「11ぴきのねこ」(馬場のぼる)などで、子どもたちには圧倒的に信頼されてきました。「11ぴきのねこ」などが圧倒的に信頼されてきたのは、それがねこだったり、あほうだったりの登場する生きものたちが、子どもたちにとって決して遠くない生きた人格を持って描かれているからだと思えます。人間でいえば、等身大であるところが、今を生きる子どもたちのいまの自分と遠くない存在として見えるのです。「11ぴきのねこ」のねこたちは、普通にそこで生きる人間の子どもと、等身大ということでは変わりません。なのに、そうして生きる延長上で、遊んだり冒険をしたりと、時にはやり放題だったりします。子どもたちが、自分を生きて夢見ている存在です。
 そんな絵本を、子どもたちの世界を送り出してきたのがこぐま社であり、50年余り前に、志を持ってこの出版社を創設した佐藤英和さんです。絵本が大好きで、絵本を子どもたちの身近に、そして心に届くことを願って歩んできた。佐藤英和さんのことは、こぐま社50周年に出版された「絵本に魅せられて」に書かれています。
 佐藤英和さんは一線を引きましたが、佐藤英和さんに育てられ、佐藤英和さんの絵本の魅力を引き継いで、子どもたちの身近に、そして心に届く絵本作りに励む編集者から届く最近の絵本が「かわいいおとうさん」(著:山崎ナオコーラ、絵:ささめや ゆき、2017年)「かぜ かぜ かぜ」(山田美津子、2018年)です。「かわいいおとうさん」は、ぶんこだよりの11月号で少し紹介しました。
 「かぜ かぜ かぜ」は、風を絵本で描く難しさに挑んだ絵本です。見えない風を描き子どもたちが理解可能な絵本になるのは、至難の業です。「風がふいたら」(著:パット・ハッチンス、訳:田村 隆一、評論社)、「ジルベルトとかぜ」(著:マリー・ホール・エッツ、訳:たなべいすず、冨山房)などが風の絵本で「ジルベルトとかぜ」は、風を描いて理解が可能なのは、繰り返し子どもたちと一緒に読んだ経験からも明らかです。ジルベルトの体の動き、表情、それを取り囲む自然の様子、そして一つ一つの言葉が一体となって風を描き、風の魅力を子どもたちに伝えるのに成功しているのです。
 風を巡る出来事を、風を中心として鮮明にするのは、四季の移り変わりです。「かぜ かぜ かぜ」は多分、そこに目を付けて風を描いて成功しているように思えます。「ジルベルトとかぜ」のジルベルトは、その立ち居振る舞い、表情、自然の様子などがリアルに描かれます。なぜなら、風というものの、見えない動きを知るには、その事が欠かせないと考えられているからです。一方「かぜ かぜ かぜ」の主人公の表情は、なんとも単純でぼんやりした感じなのですが、それが逆にその時々の風に付き合う様子で、そのままその時の風の表現になっています。届けられた「かぜ かぜ かぜ」には、作者のことも紹介されています。「みつこ絵日記」「お母さんだいじょうぶ」などで描かれる子育てをするお母さんの悪戦苦闘も、その一瞬一瞬を経て過ぎ去っていくコミックの軽い描写が、読み手である同世代のお母さんの安心となり、ファンを生み出しているのだと思えます。子どもたちと一緒に読んだ時「かぜ かぜ かぜ」の風は、子どもたちの周囲に四季の風を吹かせていました。

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