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小さな手大きな手

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2018年04月03週
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(前週よりの続き)
 働かせてもらった7年半の薬局では、中卒で主として「配達」などを担当する(夜は、彼らは夜間高校に通っていた)若い人たちと一緒に配達の仕事をすると同時に、一緒に遊び、一緒に旅行する仲間の一人に加えてもらっていました。少なからず挫折して、仕事、高校を中退することになる前後に、ずいぶん話し込むこともありました。7年半、極めて充実した薬局の店員であり得たのは、大切にしてもらったのと同時に、たぶん「商売人」が向いていたのだと思います。その7年半はずっと西宮公同教会の担任教師で、主任教師と半々ぐらいの責任は持っていました。そして7年半の店員生活を切り上げさせてもらうことになって、教会付属幼稚園の日常に少しずつ顔をのぞかせることになり、いつしかどっぷり日常を担うようにもなってしまいました。幼児期の子どもたちのことも、周辺のことにも、ほぼ理解がないままでしたが、たまたま出会った人たちから、半分はけしかけられ、半分はおだてられるようにして、教会と同時に、いわゆる幼児教育の世界にはまり込んで行くことになりました。それが、40年以上続くことになりました。その中で、たいしたことができた訳でも、学習ができた訳でもありませんが、「人間としてのこども理解」はその一点を軸にして、少しは理解したり語れるようになったかも知れません。だからと言って、子どもたちの生きる現場の理解では、プロと言い得る訳でないのは、もちろんのことです。唯一言えることは、戦争に負けた日本の、田舎で繰り広げられた貧しい生活一つ一つを思い起こすようにして、今そこで生きる子どもたちと共有し、繰り広げることでした。
 そんな「ありふれた生活」が繰り返されていた、1995年1月17日に起こったのが兵庫県南部大地震でした。長い間生活をしてきた、西宮、中でも西宮北口周辺の被害は甚大でした。学生の頃から始まって、25年間生活してきた、その生活のつながりが絶たれた人たちは20人を超えていました。起こってしまった極限の自然災害の情況で、極度の緊張状態で見えてきたのが、情況の中で何一つ柔軟に対応できない行政で、それに肉薄する闘いが始まりました。柔軟に判断に肉薄することになるだろうという意味においてです。
 大地震の後の闘いです。それは、自然災害が引き起こしたおびただしい人と物を巡る、人間の営みの脆弱さに驚くことからの始まりでした。そうして見聞きし、考えたことをおびただしい量の文章にし残してきました。その一部が大地震から2年目を迎える前の1995年11月に「地震/地震:教団」としてまとめられることになります。兵庫県南部大地震は、M7.2、震度7の「極大」の地震が「局地的」に「極限」の被害を及ぼすことになりました。緊急時、そして続いて起こるすべての事態において、取られる対応の一つ一つが間に合いませんでした。間に合わないその時に、被災の現場を生きる人たちは、取返しのつかない現実を強いられ、生死の境を生きることを強いられていました。
 「極大」「極地」「極限」であるにもかかわらず、通常の災害のマニュアルとそのマニュアルを何一つを超えることのない対応が繰り返されたのです。結果、多くのことは被災の現場に届かず、間に合わなかったのです。その一つが、西宮浜などで実施されることになった「野焼き」です。地震で壊れた家の解体撤去は、期限付きで国の援助(全額負担)になりました。解体撤去が急がされた結果、「ガレキ」となった家屋などが西宮の浜を埋め立てた空き地に運び込まれ、処分の見通しが立たず増え続けるのに慌て火をつけてしまう「ガレキ」の野焼きが始まったのです。野焼きは、通常であれば厳しく禁止されています。しかし、通常のマニュアルしか備えていない大地震の後の対策では対応が間に合わないため、野焼きが実施され、県や市はもちろん、国(環境省)も黙認することになりました。極限の自然災害・破壊の現場で、人間の作ったマニュアルで人間が更なる苦痛を強いられるということが、起こってしまったのです。そうして、露呈されるすべてのことを経験することになったのが、兵庫県南部大地震です。その渦中に立ち上げ、それらすべてを凝視し続けるのが兵庫県南部大地震ボランティアセンターでした。この働きは、2011年3月11日の東北の大地震、津波そして、東電福島の重大事故を見つめ続けることにおいても継続され、今日に至っています。
 西宮公同教会は、35年前、老朽化した幼稚園舎の建て替え資金を捻出するため、収益事業・賃貸住宅事業を始めます。収益事業の収益を教会的な働きにつないでいくものとして始まったのが「関西神学塾」です。「世界最高水準」を掲げて始まった学習で何よりも尊重されたのが、宗教の学習(キリスト教、聖書)において、一般的に流布されている前提を自明のこととしないで、学習の入り口から根源的な問いを避けないというものでした。始まってから30年余り、新しい挑戦も繰り返し、一昨年から、大杉 栄、伊藤野枝、そしてクロポトキン、バクーニンらの研究から、キリスト教がその出発点において持っていた「相互扶助」などの学習にも取り組んでいます。
 2011年の東電福島の重大事故は、世界の破滅を予感させる大事件でした。そんなことが起こってしまったこと、その事が身に迫る情況に、ひるまずに立ち向かってきたことを記録として書き残してきたのが「じしんなんかにまけないぞ!こうほう」です。東電福島の重大事故によって閉じ込められなくなり、降り注ぐことになった放射線に、一番影響を受けやすいのが子どもたちです。提起されている子ども被爆裁判、事故の責任者の告訴にも、その仲間になってきました。こうして、仲間になる場合の考えること、行動することの根底になるのが、原始キリスト教にもその起源を持つと考えられる相互扶助であるように思えます。
どんな小さい命とも、共同、共生する、そして相互扶助が西宮公同教会が、1970年後に経験し、そしてその後の歩みを刻むにあたって教会の指針としてきたことであり、これからも変わることのない課題です。

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