この街全体が少しつながって欲しいという願いで、クリスマスの催しに取り組んでいます。実現の為、随分の労力を注ぎ込むことになってしまいました。いっぱいの人に手伝ってもらい、忙しくしています。そんなことに労力を注ぎ込むことになった動機や理由については、自分なりに了解はついているつもりです。
何よりも、“不審者に注意しよう!”などという看板の立つ街になって欲しくはないという願いがあります。残念ながら、子どもたちの普段の生活の安全については、親がすべての責任を持つよりないようです。もっとも、その親もうんと危なかったりしますから、安全ではないと考えるのが間違いかも知れません。
人と人が出会うことが少なからざる喜びであること、ここがそんな街である為に少しは尽くしたいと思っています。取り組んでいるこの街のクリスマスの催しは、そんなことを思ってきた延長線に、一つの出会いがもう一つの出会いにつながり、たまたま実現してしまったように思えます。
6月の始めに、“高松公園活用等検討委員会”のメンバーになりませんかと声がかかりました。阪急西宮北口駅の南側に、10月に開館する兵庫県立芸術文化センターに隣接する公園“高松公園”の活用について、行政(県・市)と地元の人たち、商店街の人たちが顔を合わせて“検討する”集まりです。メンバーを引き受け、始めて出席した会議に短い文章を提出しました。
「今回建設された兵庫県立芸術文化センター(以下、芸文センター)は、確か建物は“威容”を張ってはいますが、そこで芸術文化の営みが繰り広げられるにしては、それが余りに孤立して見えてしまいます。それが芸術文化の営みである限り、人の生きてきた歴史や自然との共生などのことが、そこにいるだけで感じられるような、そんな場所であることが不可欠です。(略)、高松公園は、芸文センターを取り囲む、本来あるべき“森”の中のほんの一角である、そんな考え方が基本となるべきであるように思えます。即ち、高松公園の活用検討は、芸文センターを囲む“森”をあの地域に作り出していく一歩として考えられているのではないでしょうか。(略)、高松公園を芸文センターの付属物として完結する公園ではなく、芸文センターを抱え込むようにして、この地域全体が交流の輪を広げていくことを念頭において活用されていって欲しいと願います。アクタは広場を持っています。にしきたは狭いなりに公園を持っています。それぞれの場所を訪れた人が、もう一つの場所に足を向けて、新しい出会いが起こるように、ここにしかない新しい“森”をイメージしながらそんなつながりを提案して行くことを考えています。(略)、芸術や文化の質や力は、幅広い裾野を持っていてはじめて、その質や力を発揮することが可能になります。人を喜ばせ、人を変えていく力も、孤高であっては発揮されることはありません。だとすれば、高松公園も、アクタの広場も、にしきた公園も、それぞれの地域の人たちと常に連携を強め深めていく時に始めて、この地域に芸術文化を根付かせる挑戦になるのではないかと思われます。2005年6月14日 菅 澤 邦 明」
こんなことを考えていて、こんなことを提案していて、にしきたとアクタの商店街が、利害を越えて一緒に歩み出すという合意がたまたま前後して始まっていて、今回の“NISHIKITAポサダX’mas”の統一企画になりました。この企画には、結果的には高松公園活用等検討委員会及び兵庫芸術文化センターが“共催”で加わることになりました。
で、この統一規格が“NISHIKITAポサダX’mas”になったのは、やはり以下のような経緯からです。
で、ポサダについては、12月の“ぶんこだより”に少し書きました。「『クリスマスまであと9日/セシのポサダの日』(エッツ、ラバスティダ作、富山房)は、メキシコのクリスマスが“セシのポサダの日”であるところが、その国の文化の大切さ、そしてそれは一朝一夕では、伝えられることも、蓄積されるものではないことを、深く考えさせてくれる優れたクリスマス絵本の一冊です。この物語には、主人公のセシのように比較的恵まれた生活を送っている人たちとは別に、いっぱいの貧しい人たちの生活のことも描かれています。そして、それらの人たちは確かに貧しいのですが、その国に伝えられ、蓄積されてきた文化は共有しあっているのです。人は、突然“優しくあれ”と言われても、そうは行きません。お互いに共有しあうものが、一つでも二つでも、少しでも多くあってはじめて、少しは優しく振る舞うことが可能になります。クリスマスの物語の中に、作者たちは、さり気なく、しかし確かなものとして、その国に伝えられ、その国が蓄積してきた文化の力を描いています。たとえばセシは、比較的恵まれた生活を送っていましたが、だからと言って貧しい人たちの多い街の中で孤立はしていませんでした。」
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