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2018年05月01週
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(前週よりの続き)
 4月1日付けで、就任した小野明東京電力常務執行役員福島第一廃炉推進カンパニー最高責任者が地元の新聞のインタビューに応じ、「燃料デブリの取り出しなど、中長期的な目標達成に向けた作業工程の具体的な検討を進めていく考え」などを示しています。「事故から7年が経過し第一原発は新たなステージを迎えつつある。政府の長期ロードマップ(工程表)に基づき作業を進めるのはもちろんだが、社内の人材育成を行う上でも、より具体的な作業工程の検討が必要になってくる」「さまざまな状況を想定し、事前の準備をしっかり進める。今以上にデブリの状態把握に努めたい」「過去に対応に苦慮していた(汚染水対策)のを思えば、かなり先が見えてきた。だが、トリチウム処理水の処分については結論が出ていない。国の議論を踏まえ、決定された方針に基づき行動したい」(3月24日、福島民報)。
 この人が「燃料デブリの取り出し」と言っている「取り出し」がたやすくないのは、それを「取り出し」と言えるような近い場所に、なかなか人間がたどり着きにくいからです。「燃料デブリ」、燃料が溶融するような事故はとことん難しいのです。ただ難しいということではなく、事故からも7年経っても事故の全容のほとんどが高い放射線量に阻まれて、手の施しようのない、取り返しがつかない事故であるからです。この人のインタビューに応じて語っている言葉には東電福島の事故が、実は取り返しのつかない事故であったという、事故の根本的、本質的理解が欠落しているのです。
 東電福島の事故は、取り返しのつかない原子力事故です。少しばかり言及してきた「特定復興拠点」と言う政策・演出も、降り注いでしまった放射性物質は、人間がそれを作り出したにもかかわらず、それがどんな意味でも手に余ること、決して除去できない毒を環境中に放出させてしまっている事実を、自ら認めていることになります。事故から7年経って、すべての住民が避難している3つの町に、元の区域のたった8%の拠点という名の人間の生活とは程遠い場所を設けることしかできないのが、東電福島の事故の事実です。今インタビューで、「燃料デブリなど、中長期的な目標達成」などと応じているこの人も、東電福島の事故が、絶対閉じ込めることが条件の原子力発電所で、閉じ込めるはずの技術がいとも簡単に突破されて、途方もない量の放射性物質が環境中に放出され、たとえば前掲の町を含め、広い地域に降り注いでしまった事実をつぶさに見てきました。取り返しのつかない事故が起こってしまったのです。降り注いでしまった放射性物質は、手作業でぬぐったり、土ごと削り取ったりして、汚染物質になり、仮置きされた後、今、中間貯蔵施設に運び込まれています。除去できない毒をそのまま含んだ汚染物質・土壌は、そのまま保管するよりなく、毒の保管を引き受ける場所が得られない為、運び込む場所を、名称ばかりの「中間貯蔵施設」にしました。しかし、東電福島の事故の廃炉の責任者になった人は、燃料デブリのことは語っても、事故で降り注いだ放射性物質、それが処理されないまま「中間貯蔵」されることについては言及しません。これもまた、東電福島の事故の取り返しのつかない事故の事実であるにもかかわらずです。同じように、汚染水の問題では、トリチウムのことは言及しますが、結果的には環境中に放出され増え続けるセシウム、多核種の事実は存在しないかのようです。たとえば「過去に対応に苦慮した汚染対策」と言ってしまいますが、今も、応急の対応以外何一つなし得ていないのが汚染水対策です。壊れた原子炉の溶融した燃料を冷やす為の水が注ぎ込まれ、かつ超高濃度の汚染水となって漏れ出していますが、超高濃度の汚染水から除去された、セシウム、多核種は東電福島の敷地内に、放射能の毒はそのままの毒として、仮置きされて増え続けています。どうであれ、対応不能な毒を増やし続けているにもかかわらず、そっちの方は見ないことにして、「かなり先が見えてきた」と言ってしまえる感覚で、事故と向い合っているのが、小野明廃炉カンパニー最高責任者です。
 この人(この人たち)は、もし、原子力発電所が重大事故になった時、それが取り返しがつかないことを承知していました。この人(この人たち)は放射性物質は途方もない「悪さ」をする物質であることを承知で、それを完全に制御することを条件に「使う」「稼働」させることにしたのが原子力発電所です。それが技術で可能であることを確信して稼働させました。事故は起こってしまいました。技術も技術者としても敗北したのです。敗北の結果が事故から7年、今も続く3つの町の全住民の避難です。戻れない町になったのです。なのに、事故の事実がなかったことにする演出の一つが、「特定復興拠点」です。
 事故現場では「燃料デブリ取り出し」をうんぬんできる状況ではなく、2号機では、使用済み核燃料の取り出しが、2023年ごろと想定されています。その程度にしか進まないのも、完全に閉じ込めるはずの放射能の毒を放出させる事故が起こってしまった結果です。閉じ込めることが可能なはずの技術がどうであれ破綻したのです。具体的で客観的な事故の事実がそれを突きつけています。なのに、燃料デブリの取り出し、廃炉と言ってしまえるのは、この人が自らの拠り所とするところの技術を自らおとしめていることを意味します。人間の技術は、不確かな人間以上ではあり得なかったのです。

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