「連休」は、「いのちの日記」(柳澤桂子、小学館)、「露の身ながら、多田富雄、柳澤桂子、往復書簡/いのちへの対話」(集英社)、「ボンヘッファー獄中書簡」(増補版、新教出版)などの読書に、少し時間をさいて過ごしていました。柳澤桂子を少し意識して読むようになったのは、2011年の東電福島の事故の後「いのちと放射能」(ちくま書房)を読むようになってからです。事故で、厚さ1メートルと言われた、東電福島の原子炉建屋が吹っ飛ぶ様子などを繰り返し伝える映像、外部からの注水で壊れた原子炉を冷やすよりなくなった時、その役割を担うことになった、東京消防庁の「決死隊」、決死隊がとりあえずの役割を果して「帰還」した時の、隊長が「…隊員に最高で20ミリシーベルト被曝させてしまい、本人及び家族に申し訳ない」と、涙をぬぐいながら、インタビューに答えていた様子が、今も、強く印象に残っています。原子炉建屋が吹っ飛び、その重大事故から更に重大な取り返しのつかない事故へとつながりかねない事態に、たぶん世界中が恐れおののきながら見守っていた時の「決死隊」の働きでした。放射性物質が閉じ込められない重大事故が起こったこと、それに対して手だてが限られていることが、更に世界中を恐れおののかせることになったのです。
人間の作った原子力発電所が事故になってしまった時、手だてが限られていることをチェルノブイリの事故で世界は体験していました。チェルノブイリ原子力発電所の事故と放射性物質の核反応がどんな途方もない力を生み出すかについて、広島・長崎の原爆被害の克明な記録などで少なからず知っていました。「チェルノブイリ/アメリカ人医師の体験」(R.P.ゲイル、T.ハウザー、岩波新書)は、核の力と被曝の手のほどこしようのない事実を、チェルノブイリ事故で被曝した人たちの身近で、医師としての力を尽くすことと、手の及ばない事実の記録として読むことができます。広島・長崎の原爆、チェルノブイリ事故の悲惨が、あの時福島で始まろうとしている事を目のあたりにして、恐れおののいた一人として、原子力と放射能への関心を強めている時に出会った小さな本が「いのちと放射能」でした。その柳澤桂子(遺伝学者)と多田富雄(免疫学者)との往復書簡が「いのちへの対話/露の身ながら」(集英社)です。表紙に使われている写真は、「蓮」の葉っぱと花です。往復書簡、そして本のタイトル「いのちへの対話/露の身ながら」にふさわしいのは、蓮の花、葉っぱの「露」が写されているからです。蓮の葉っぱも花も全面細かい「繊毛」におおわれていて水をはじきます。はじかれた水は水玉になって残ります。「露」です。葉っぱの場合は、小さな水玉・露がはじかれて葉っぱの上をころころころがり、風が吹くと葉っぱがゆれてころがり落ちてしまいます。そんな、蓮の葉っぱと花の「露」に、往復書簡の二人は、自分たちの生命をなぞらえて「露の身ながら」としました。確かに、往復書簡の二人は病気や病気の後遺症を生きるという意味で、自分たちの生命を間違いなく「露」と理解していました。しかし、もっと根本的には、免疫学、遺伝学に生命の学として向かい合う時、すべての生命に共通するのが「露(のような生命)」であると理解していました。自分たちに生命を与えられている、それと向かい合うことにおいてあくまでも徹底して謙虚なのです。
そんな柳澤桂子が「露」の身と放射能について書いたのが「いのちと放射能」(ちくま書房)でした。「いのち」の成り立ちと、その「いのち」が、親から子へと伝えられる時の「いのち」の仕組み「DNAはいのちの総司令部」「DNAは親から子へ受けつがれます」から説きはじめて、その「いのち」が「放射能を浴びるとどうなるでしょうか」「弱い放射能がガンを引き起こします」「放射能はおとなより子どもにとっておそろしい」「お腹の中の赤ちゃんと放射能」「少量の放射能でも危険です」と、60兆個と言われる細胞が集まってできている人間の体の「集まってできている」仕組みに影響を与える力を放射能は持っていることを遺伝学者として言及します。更に「さて、微量の放射能を浴びると、人体に何が起こるのでしょうか。放射能は細胞の中でも電離原子を生じ、複雑な化学変化が細胞の中の分子に起こります」とも言及します。微量ではなく、多量の放射能を浴びることになったのが1999年の9月30日の「東海村臨界事故」です。多量のおよそ20シーベルトと言われる放射能を浴びた大内久さんは、83日間生きて亡くなります。治療の全てを拒み、「朽ちる」ようにして亡くなります。その頃、新聞報道を元に、新聞報道の書かない事実を読んで、逐一文章にしていましたが、NHKが特別番組を作り、後にそれが「朽ちていった命/被曝治療83日間の記録」として、一冊の本に(新潮文庫)なっています。微細な細胞が奇跡のように結びついて成り立っている人間の体そのすべてが放射能によって容赦なく壊されて、「朽ちる」ようにして大内久さんは亡くなるのです。
「遺伝学者」である柳澤桂子が科学者として、一方で「露」の生命を見つめてきて、同じ科学が提起・追及してきた「放射能」を、見つめた時のいのちの危機に言及するのが「いのちと放射能」です。こうしてまとめることになった原動力は1986年のチェルノブイリ原発事故です、大事故であったから驚いただけでなく、科学者として生命・遺伝を見つめてきた柳澤桂子にとって、放射能が原子力発電所の事故がすべての境界を超えてすべてのいのちに影響を与えることが驚きであり危機であると見えました。そして、それは誰かの責任ではなく、自分もまたどっぷりつかってしまっている社会への言及にもならざるを得ませんでした。「いのちと放射能」の後半が、「それはこころの問題です」として言及していることです。「なぜ食べ物にいろいろな添加物をいれなければならないのでしょうか。なぜ作物に農薬をまき散らせなければならないのでしょうか。なぜ放射線を照射したジャガイモを食べなければならないのでしょうか。なぜクリスマスにみごとなイチゴを食べなければならないのでしょうか」。「いのちと放射能」の「放射能」を生活の中に取り込もうとしてきた人間の営みの、出発点であり行き着くところにあるのが、実は前掲のいくつかの日常についての言及で明らかにされます。
(次週に続く)
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