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小さな手大きな手

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2018年05月04週
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 東北の大地震、そして大津波が、いくつもの町を飲み込む映像に衝撃を受けている間もなく、追い打ちをかけるように始まった現実を伝えたのが東電福島の事故の映像でした。巨大な建物が吹っ飛ぶ映像は、今現在起こっているにもかかわらず、常に現場から遠い場所からの映像であることが、大津波とは違う「恐怖」として迫ってきました。そのことの「何故」が、伝えられる少ない情報をもとに考察する時、更に「恐怖」となり、衝き動かされるように新しい「こうほう」の形になってきました。二三年前、一九九五年一月一七日の兵庫県南部大地震の時に書くことになったのが「じしんなんかにまけないぞ こうほう」の「続き」を書くことでした。
 西宮市が、大地震のすぐ後に出した市の「公報」には、いつものように燃えない「ごみ」の「収集」のことが案内されていました。その時、途方もない「ごみ」が発生しているにもかかわらず、呼び掛けは平常の感覚でした。既に、いつもとは違う量の「燃えないごみ」「ごみ」が出され始めていたのに、追い打ちをかけたのが「公報」でした。結果、既に集める手立ても、集めたものの処理も間に合わない、途方もない「燃えない」「ごみ」は、いつもの場所で出されたまま積み上げられ、増え続けることになりました。
 そんな「公報」の通常の感覚を見つめてえぐり書くことになったのが、「じしんなんかにまけないぞ こうほう」です。ただ、書いていた訳ではありません。集まっていたボランティアと、西宮市役所に押し掛け、起こっている事実を直視した対応を市の担当者に迫ったりもしました。担当者に、その場で書いて突きつけたのが、以下の文章です。

一月一七日五時四六分の地震について

私たち市民は一七日早朝、言語を絶する体験をしました。並んで下敷きになったお母さんは微かな声で「子どもを助けてほしい」と訴えましたが、お母さんだけしか助かりませんでした。たまたま助かった人たちは埋まった人たちを、ほとんど素手で、あきらめずに二時間、三時間と掘り続けました。
 そんなことが西宮市で同時に起こっていたのです。一月一七日の地震は私たち一人一人から五~一〇人といっぱいの仲間を同じ時に奪ってしまいました。
 残念ながら西宮市対策本部は空前の地震がもたらした被害の深刻さを正しく認識していません。

一 都市機能について
①下水道は地震による道路の亀裂陥没等によって市内全域で損傷していることが十分考えられます。神戸高速鉄道が「復旧不能」であったように、地下でも地震の破壊が確実に拡がっています。一月二二日避難所となっている甲東小学校の西側トイレが詰まってしまい使用不能となっています。こうして起こっている事実は下水道管の損傷との関係が明らかです。
②深刻な二次、三次災害の可能性がある、ガスの場合はさらに深刻です。
③現在復旧の急がれている水道については①、②と同じ問題を抱えていると同時に、大量の汚水を損傷のおびただしい下水管に流すことになります。水道の復旧だけを急ぐべきではないのです。
④地震による大小のガレキと生活ゴミ、通過する外来者の捨てるゴミ等でごみは確実に増え続けています。分別困難なこれらのゴミはごみ処理を更に困難にすることが認識されていません。通常のゴミ処理を少しばかり強化しても対応しきれるものではありませんが、対応は全く考えられていません。

二 道路・鉄道について
 幹線道路である一七一号線、阪神高速が通行不能となった結果、二号線および四三号線が著しく渋滞しています。その結果、阪急線の西宮北口駅、阪神線の甲子園駅にはおびただしい人が殺到しています。自転車等の数は駅周辺に放置され、放置範囲は確実に拡がっています。二つの駅に集中する人によって今後更に起こる混乱への対応は全く取られていません。

三 住宅について
 地震で住宅を奪われた人たちの多くは避難所での生活を余儀なくされています。避難所での生活は安心できる住宅に復帰することを期待してのことです。しかし西宮市担当者が言うには崩壊してしまったおよそ一万戸の住宅に対して約一千戸の住宅が建設されるだけです。しかも建設には一~二か月かかります。もっともっと大量の仮設住宅の建設は二次、三次の災害を防ぐためにも急務です。世界でも最も豊かな国である日本ならそんなことはた易いことです。

四 ボランティアについて
 一月一七日の地震による激甚な被害は、善意のボランティア活動家によってなし得ることを極めて限定させています。適切な判断と行動力を要求される激甚の災害地での活動をボランティアに委ねるべきではありません。おびただしい数のボランティアを送り込むことは彼らを二次災害にまき込むことになりかねないのが今度の地震です。

五 対策本部について
 そもそも規模や被害からいって、市単位の対策本部で対応できる地震ではありません。政府が現地にすべての機動力を備えた対策本部を置かない現状ではとりあえず上記のすべての領域での対応が後手に回っています。極大の被害を引き起こしている中で、すべての現場で、すべての担当者が、疲れ果てながら結果として大きい禍根を残す働きを強いられているのが残念でなりません。

六 この国の現実について
 極大の地震がたとえ局地的であっても極大の被害をもたらしているのに、国技の相撲は大相撲を実施し続け、テレビは小さな自粛の後放映を続けました。そのようにして五千人以上の人間が同じ時に死んだ事実があまりに軽いこの国の現実が残念でなりません。

この文章は一九九五年一月二二日午後三時、西宮市市長室で書かれ、以下のものが署名し、市長で対策本部長である馬場順三さんに直接手渡されたものを少し書き換えたものです。

一九九五年一月二二日午後三時一五分
西宮市南昭和町一〇-二二 西宮公同幼稚園
電話 〇七九八-六七-四六九一
FAX 〇七九八-六三-四〇四四
菅澤邦明(西宮公同幼稚園園長)
勝村弘也(神戸松陰女子大学教授鵜)
西山徹、西山恵利子(西宮市自営業)
奈良いずみ(洛陽教会牧師)
山口誠、古山裕基、月原秀宣、北山祥子、和田美穂、宮崎裕司、難波早苗、宮地裕美、佐伯祐佳、鳥本清(大阪YMCAより派遣ボランティア達)


 東北の大地震・大津波の直後から始まった東電福島の事故は、伝えるのは事故の現場から遠く離れた「対策の現場」であったり、遠くからの映像だったりすることが、この事故の不気味さとなっていました。大津波は、おびただしい人間の命を奪い、人間の営みを破壊することになりましたが、常に事実としては、一つの地域の「過去」の出来事でした。東電福島の事故が予測させたのは、それが世界を巻き込む現在も起こりつつある事故であるらしいこと、その不気味さでした。終わらない巨大な事故を予測させる何かが、確かに起こっていたのです。
 原子力発電所施設の巨大な建物が吹っ飛んで、放射性物質が閉じ込められなくなったのが、東電福島の事故です。その物質は、嗅ぐ事も触ることも見ることもできず、人間には身を守る術がなくて、今ある場所から逃げ出す(避難する!)しかない毒であり、それが広く環境中に降り注ぐことになったのです。一旦事故になった時、修復が難しいのは、その毒が事故現場での修復の手立てを拒み、更に毒が増え続けて、手立てを更に難しくしてしまうからです。東電福島の事故の「恐怖」の根源はそこにあります。にもかかわらず、事故は収束可能として伝え続けられました。で始まったのが、限られた情報であっても、その事実と強い違和感を見つめ考察する「じしんなんかにまけないぞ こうほう」でした。考察が始まったのも、書き続けてきたのも東電福島の事故に対する「違和感」です。たかが「違和感」ですが、座らせ所のないものをそのままにできない、そんな性分ということになるのかも知れません。事故当初(今もですが)、吹っ飛んで壊れ、それを壊した原因の溶融した燃料を冷やす手立てにかり出されたのは、現場での作業員はもちろん、消防・自衛隊員などの「決死隊」でした。その自衛隊員の決死隊の事で、万一亡くなった場合の弔慰金が約8000万円であることを、作業員の場合で問われた東京電力の社長は、「考えていません!」と答えていました。「違和感」を持ってしまうのです。「違和感」ということでは、被曝中でも低線量被曝をめぐる言説も同様です。その「安全」と「安心」を徹底して考察したのが、「つくられた放射線『安全論』」(島薗進、河出書房)です。多くの場合、低線量被曝の安全は、安心にすり替えられて語られることへの「違和感」です。今「安心」はエスカレートして、放射能の危険で避難している人たちの、居住制限、居住困難区域も「安心」(たとえば、20m㏜/年地域であっても)となって、避難が解除されています。




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