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2018年06月02週
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 5月20日、21日は、兵庫教区定期総会でした。およそ110ある兵庫教区(兵庫県)にある教会の相互理解、相互協力についての議案を協議するのが毎年一回、開催される教区総会です。2018年の教区総会の議案のうちの2つについて紹介と、評価をさせていただきます。前後しますが、1つは「議案第16号:北海教区と教区間宣教協約を締結する件/主文:日本基督教団兵庫教区は、以下の『北海教区と兵庫教区との宣教協約』及び『教区間宣教協約締結に至る経過』(経過、締結、議案に至る歴史と説明)を以て、日本基督教団北海教区と教区間宣教協約を締結する」で、以下がその宣教協約の内容です。
北海教区と兵庫教区との宣教協約
 北海教区と兵庫教区は、阪神淡路大震災を契機に有珠山噴火災害を経て連帯と交流を積み重ねてきた。それをより確かなものとし、互いの抱える重荷や痛み・喜びを担い合える関係の豊かさを共に生きることを願い、以下の内容の協約を取り交わす。

1.両教区は、それぞれに開催する集会等に参加を呼びかけ合い、人的交流に努める。
2.両教区は、様々な災害被災者支援において協力しあい、支援の輪を広げている取り組みに努める。
3.兵庫教区は、北海教区「アイヌ情報センター」及び「洞爺湖宣教協力募金」への連帯と献金を継続して行う。
4.この宣教協約は、双方の教区総会における承認をもって実効し、両教区間の協議をもって、5年ごとに継続及び内容についての見直しを行う。

議案のもう一つは「議案第15号:互助制度改定に向けた決意表明に関する件」で、以下がその主文です。
兵庫教区は、宣教における困難や財政的貧しさを互いに担い、関係の豊かさを共に生きる教区となっていくことを願い、以下の取組の実行を通してその決意を表明する。

①教区謝儀保障基準額(現在は197,000円×15か月)に達していない全ての主任担任教師が、必要に応じて活用できる謝儀保障制度に改定すべくその決意を表明する。
②全ての教会/伝道所が、①と連動する形で必要に応じて活用できる互助指定献金制度に改定すべく具体的作業を進める。
③全ての教会/伝道所が、①と②及び地区活動の財源となる互助関係献金(教区負担金中の謝儀保障資金繰入額・協助会献金・互助指定献金・クリスマス献金・筑後助関係費の合計額)を、経常会計収入に応じて1~5%以上(前年度それ以献げている所は前年度以上)献げ合う。
④全ての教会/伝道所の担任教師及び関係学校の教務教師・神学教師が、①の財源となる教職協助会献金を、全収入から謝儀保障基準額(現在は197,000円×15か月)相当額を控除した額の7%以上献げ合う。
⑤豊かに献げ合う者であり続けることを願い、各教会/伝道所の財政状況を踏まえつつ、教区機構と教区財政の見直しを行う。
⑥上記のことを具体化するため互助制度検討小委員会を次期常置委員会の下に設置し、2020年の教区総会に改定案を提出できるよう常置委員会及び関係委員会、各地区と連携して検討を行う。

 この2つの議案だけからは解りにくいのですが、教区間宣教協約を締結する2つの教区、中でも兵庫教区は宣教協約で示されている「互いの抱える重荷や痛み、喜びを担い合える関係の豊かさを共に生きることを願い」が、十分に理解できていないように思えます。そのことを自ら如実に明らかにしているのが、第15号議案です。北海教区の教会の多くを知っている訳ではありませんが、北海道のオホーツク海に面した牧畜と漁業の町興部(オコッペ)の興部伝道所とはずいぶん長い付き合いがあります。付き合いと言っても、およそ30年前、興部から紋別市を経て内陸にある滝上町で始まった子どもたちのキャンプに参加し、日曜が重なる時の礼拝に押しかけるようにして訪ねたのが興部伝道所です。それ以来、ささやかですが、夏期やクリスマスの献金を届けています。統計によると(教団年鑑)、興部伝道所の経常収入(一般には献金)の合計はおよそ171万円です。他方、経常支出の合計はおよそ482万円、牧師の給与はおよそ344万円、収入より支出が多くなっているのは、多分いくつかの別の収入があるからで、兼任している稚内(ワッカナイ)教会の経常収入およそ298万円、経常支出のおよそ172万円が、伊藤大道興部伝道所牧師の給与の一部になっているのかも知れません。いずれにせよ、日曜の礼拝出席平均8人の興部伝道所が牧師を雇って牧師の給料を払うのには無理があります。その無理を埋めているのが、北海教区の諸教会のはずです。興部から近い(近いと言っても200キロ以上離れている)規模の大きい(礼拝出席平均が82人)教会が旭川六条教会です。旭川六条教会経常収入はおよそ1912万円、経常支出がおよそ1406万円、牧師給与がおよそ679万円、負担金がおよそ377万円となっています。この「負担金」が北海教区全体で集められ、その一部が配分され興部伝道所の牧師の給与の一部になっていると考えられます。この負担金は、北海教区で一番規模の大きい(礼拝出席平均180人)札幌北光教会の場合、およそ615万円です。経常収入はおよそ2855万円、経常支出はおよそ2372万円、牧師給与はおよそ640万円です。同じ統計(教団年鑑)によれば、こんな議案を協議していた、兵庫教区でも一番規模の大きい(礼拝出席平均216人)神戸栄光教会の負担金はおよそ392万円、経常収入はおよそ5190万円、経常支出はおよそ3355万円、牧師給与(2人?)はおよそ1701万円となっています。一般に教会の牧師の給与は、併設する施設など、いくつかの要素が含まれますから統計(教団年鑑など)だけでは評価しにくいところがあります。そうだとしても、たとえば、北海教区札幌北光教会の会計の成り立ちと、兵庫教区神戸栄光教会の会計の成り立ちには、大きな隔たりがあります。経常収入・支出における負担金額・比率が大きく隔たっていることです。隔たりの大きい部分で、興部伝道所のような教会の財政を支援していることになります。この関係、教区内の大規模・小規模教会の存在は、北海教区に限られたことではありません。兵庫教区の場合、但馬地区の日高伝道所は小規模で、礼拝出席平均がおよそ5人、牧師給与はおよそ273万円、香住伝道所も小規模で、礼拝出席平均が3人、牧師給与はおよそ297万円です。これらの統計が明らかにしているのは、兵庫教区の小規模の教会は、北海教区と比べ、大規模教会からの支援が少ないことです。
 兵庫教区と北海教区が、教区間宣教協約を締結するにあたり必要なのは、北海教区の歩みの何たるかを見つめ学ぶことであるように思えます。興部伝道所の牧師で、稚内教会を兼任している牧師の伊藤大道さんは、月に一回、稚内に出かけているそうです。興部との距離はおよそ200キロだそうです。6月、オホーツク海岸に沿って、断続的に拡がる湿原はいっぱいの花がいっせいに開花します(するはずです)。牧師の伊藤さんは、そんな中を車を走らせて片道200キロを往復するのだと思います。冬の北海道の道を、地元の人たちは、内地からの人たちに気軽にレンタカーを走らせるなと警告します。降って、風にとばされる雪が、道路の境界を確認できなくしてしまうからです。多くの道路には、冬用の標識が設置されていますが、不慣れな人間にはその識別が難しくなることがあるからです。そんな、オホーツクの海岸を車で走らせる牧師の伊藤大道さんが、見て体験しているのが北海道の大自然です。時には、生きものたちの生存をおびやかし、しかし、そこでも生きものたちは生きる営みを繰り返している、北海道の大自然です。北海教区の教区活動の他とは異なる活動の一つが「アイヌ情報センター」です。宣教協約では「『アイヌ情報センター』への連帯」がうたわれています。北海教区と名乗る、キリスト教の団体を構成している人たちの多くは「和人」です。かつて、北海道の先住民族アイヌを、力づくでねじ上げてきた日本人が和人です。どうであれ、この「和人」が北海道を自分たち生きる大地「アイヌ・モシリ」としてきたアイヌ民族を「絶滅」に近い状態に追いこんできました。そんな歴史を見つめて「和人」として、北海道の大地を生きた「良き人たち」アイヌ民族への畏敬の念の印として設立されたのが「北海道アイヌ民族情報センター」でありその活動だと思います。この先住民族との関係づくりと視点、大自然が北海教区のキリスト教のあるべき姿の要になって、教区形成が進められてきたのだと思います。
 多田富雄と柳澤桂子の往復書簡「露の身ながら」(集英社文庫)で、医師細川宏の言葉として紹介している「人の世」のあるべき姿は、いい人たちいい自然との出会いとしてまとめられています。

1.1日1日をていねいに、心をこめて生きること
2.お互いの人間存在の尊厳をみとめあって、(できればいたわりと愛情をもって)生きる
3.それと自然との接触を怠らぬこと

 柳原桂子の「いのちの日記」(小学館)のサブタイトルは「神の前で、神と共に、神なしで生きる」となっています。「神の前で、神と共に」そして「神なしで生きる」の、言わんとするところをそれなりに汲み取るとすれば、その多くは、医師細川宏の「人の世」に示されているように思えます。そのまま「アイヌ情報センター」を設立した人たちの理解した、北海道の大地で生きる人間のあるべき姿です。
 そのようにして立つとすれば、必然的に「お互いに与えられているものを分ちあい『貧しさ』を共に負っていく」ことが起こり、教会の歩みの日常性、具体的には会計、負担金も北海教区の現状が努力目標となり「決意表明」に止まったりはしないはずです。北海教区の場合には努力目標、決意表明に止まらず、それを超える何かが共有されている、その「何か」に気づくこと、考察が宣教協約の基本として考えられなければならないはずです。北海教区の場合は、大自然とアイヌ民族との出会い、柳澤桂子が指摘する、「『人の世』のあるべき姿」ということになるのだと思います。

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