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小さな手大きな手

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2018年06月03週
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こぐま社
関谷裕子 様
 6月10日(日)教会では子どもの日と呼んでいる老若男女の集まる礼拝で「子どもはかわいい」という話をさせていただきました。かわいい(例えば、子どもっぽく着飾った)子どもではなく、「子どもはかわいい」を話すにあたって、やはり届けて頂いている「かぜ かぜ かぜ(山田美津子:作)」を使いました。そこでは、かわいい子どもが描かれているのではなく、子どもという生きものの、文句なしに存在としての可愛さを、「風を見つめ、風を追っかける」様子を描かくことで、「子どもはかわいい」が実現しています。たぶん、多くの場合、大人は風を追っかけたりしません。子どもは、見えない風を追っかけ、時には風になったりします。そんな時の子どもは文句なしに「子どもはかわいい」なのを私たちは知っています。
 礼拝では、次週6月17日(日)、子どもの礼拝、いわゆる教会学校の礼拝で話させていただく「かわいいおとうさん」の予告をしました。「おおうさんはかわいい」だったら、少なからずナンセンスです。おかあさん、女の人をいたずらにかわいい存在にしたがるのは、世の中の男と化粧品会社の「陰謀」だとも話させていただきました。おかあさん、女の人はかわいいことで評価されるのではなく、一人の人間として存在において、少なからず輝いていればそれで充分であり、他のすべての人が老若男女を問わず、自分の思想と自分の言葉で生きていることで初めて、そしてささやかであっても、評価し評価さればいいのですから。
 「かわいいおとうさん」ですが、この絵本を子どもたちと手に取って、絵と言葉を共有するだけで、「かわいいおとうさん」の「かわいい」を少なからず了解し、この絵本のおとうさんが大好きになるはずです。6月17日(日)には、少しくどくなりますが、「かわいいおとうさん」の「かわいい」の解説をさせていただく予定です。「おとうさんはかわいい」だったら、生活経験、体の大きさ(体力)でも、圧倒的に勝っている大人として存在理由や意味を軽んじることになります。おとうさんというものは、生活経験においても体力においても、子どもを圧倒している、いつだって力ずくで一方的にひねりつぶすことも出来る存在として、どこかで子どもたちは認め、かつ恐れているはずです。
 「かわいいおとうさん」は、表紙にでっかい大人、おとうさんの顔が描かれています。圧倒的に大きいのです。ページをめくる毎に描かれるおとうさんも大きいのです。圧倒的に大きな存在であることにおいては、何一つ値引きなしの大きい大人のおとうさんを描きます。ところが「かわいいおとうさん」のおとうさんは「かわいいおとうさん」なのです。大きい顔で描かれるおとうさんの眼鏡も当然大きく描かれています。で、そんなおとうさんのそんなめがねを「めがねにさわりたい」「めがねをぽーん」と外されても「こら、めがねがこわれる。さわっちいかん」などと言うおとうさんではあります。現れたのは、いい顔のおとうさんです。たぶん、そうだから、「おとうさんの かお かわいい」のです。で、かわいいから、「ぺちぺち」してしまいます。で、かわいいから「はなに かみつきたい ぱく」となり、「ぐにゃぐにゃの みみ きもちが いい」になり「くるくる かみのけ もじゃもじゃに してやる」になり、「ざらざらの ひげ ちょっといたい」になり、だから当然そこに一緒にいる子どもにとっておとうさんは「かわいいよー かわいいよー おとうさんは かわいいよー」になります。一方で、そんな時の子どもは「子どもはかわいい」のです。幼児語で、可愛さを迫る大人は、子どもの「かわいい」の本来の意味を理解していません。大人は大きいのです。生活経験もすべてにおいて子どもを圧倒する存在です。「かわいいおとうさん」は、大きくて生活経験も圧倒する大人を「かわいい」と言い得る存在として描きました。そうして描かれるのは大人社会に引きずり込む大人ではなく、子ども社会、生活の中に溶け込む大人です。この絵本の編集者からのお便りに「『かわいいおとうさん』は正直、賛否両論でした。『かわいい』にこれほど拒否反応を持つ方が多いとは。私も会社の中で連発されるといやなものですが。今の時代、新しい絵本を生み出すのは本当に難しいですね。」(こぐま社、S)と書かれていました。書かれている「拒否反応を持つ方」は、もちろん大人でしょうが、「かわいいおとうさん」の「かわいい」は、子どもたちには届く(届いている)はずです。なぜなら、「かわいいおとさん」のページ毎のおとうさんは、文句なしに好きになってしまうおとうさんだからです。「ぺちぺち」「ぱく」「ぐにゃぐにゃ」で、大きさを誇示するおとうさんだったら、大好きにならないはずはないからです。「かわいい」が一般的に使われ、理解される、一般に流布する既成の考え方からすれば、拒否する人たちがいたとしても、「かわいいおとうさん」はどんな意味でもそれを超えているし、子どもたちのこの絵本を支持するはずです。大人が一緒に楽しむ限り、子どもたちの世界で長い生命力を持ち続けるように思えます。
 6月17日(日)には、子どもたちには「かわいいおとうさん」を読み、集まっていただいた大人の人たちに読むと同時に、以上の意味であなたの「かわいいおとうさん」を子どもたちと生きて欲しいと、話させていただく予定です。
西宮公同教会
菅澤邦明

「聖書の風景/小磯良平の聖書挿絵」 (岩井健作:著、新教出版社)
 聖書は一般的な読まれ方(教理を理解するための書物)ではなく、一つ一つがそれなりに「事実」を背景に持っているだろうとことを探り、受けとめながら読んできました。中でも、1995年1月17日とそれからの経験で,
たまたまその時に目にした聖書の言葉が、生きた言葉として響いてきたことが、より一層「それなりの『事実』を背景に持っている」と思い至る要因になってきました。
 小磯良平の挿入されている聖書の絵は、出会った時から「風景画」として受けとめてきました。ただし、挿入されている聖書の物語からは逸脱していないし、かといって深読みもしていない、「それなりの『事実』を背景に持っている」その物語を読みとって、「風景画」として描いたという意味です。さりげない「風景」に物語とその背景を読み取るべく力を注いだのです。小磯良平の聖書の挿絵にほっとさせる、安心させる何かがあるとすれば、それが「風景画」であることと、「それなりの『事実』を背景に持っている」その「事実」と「背景」に迫った結果であると思えます。
 小磯良平は、あまり知らされていないのかもしれませんが、「薬草」の絵をたくさん描いています。武田薬品が出していたPR雑誌の表紙になっていた絵です。その絵は、小磯良平が武田薬品の京都の薬草風に直接出向いて、実物の薬草を描写したスケッチに基づいていると言われます。薬草は、根、茎、葉、実と克明に描かれています。それぞれの薬草の植物としての命の根源が抽出するように描き出されているように見えます。聖書がそうであるように、「それなりの『事実』を背景に持っている」その薬草の事実を小磯良平は描きました。いずれも、小磯良平の画家としての誠実が貫かれた結果の作品です。小磯良平は「それなりの『事実』を背景に持っている」そこまでは聖書を読んだのでしょうが、それ以上の深読みはしませんでした。小磯良平の聖書の挿絵の一枚一枚も、岩井健作さんの小磯良平の挿絵の考察においても、そしてこの度それを聖書から読み解く場合にも、そのいずれにおいても、深読みをしませんでした。一人の牧者として、そして研究者としても、謙虚に生きて来られた歩みからは、聖書はドグマの書ではありませんでしたし、出会って知っておられた小磯良平からも、受け取ることが出来ませんでした。聖書の場合は「それなりの『事実』を背景に持っている」その場合、確かに既にドグマ化している(されている)場合もありますが、読み解くべきなのは、ドグマ化されるときの、その集団ないし、人物の「それなりの『事実』を背景に持っている」その事実に迫って読むことであるように思えます。
西宮公同教会
菅澤邦明

兵庫県知事
井戸敏三様
 6月9日の河村宗治郎さんを偲ぶ会では、実行委員の一人としてささやかではありますが、準備に加わらせていただいておりました。要望がありましたので、「河村宗治郎/被災者であり被災者といっしょに生きてきた河村宗治郎を語る」の増刷(すべて手作り、偲ぶ会出席者に配布)をいたしました。
 出席されることは承知いたしておりました。行政の責任者(知事)というものは、立場を明確にしている市井の人の葬儀、偲ぶ会などには、なかなか出席しにくいものであり、敢えて身を晒したりしないものです。勇気のいることだからです。更に、偲ぶ会で述べられたことを聞き、井戸敏三という人を見直しました。中でも、立場を明確にしている人(反権力)、権力者(知事)から見れば、身一つの無力に近い市井の人を「好敵手だった」とおっしゃるのは、勇気の要ることです。それを言わば市井の人たちの集まる場所で、敢えておっしゃった勇気に、敬意を表します。
 6月10日は神戸国際会館での加藤登紀子コンサートでした。加藤さんとは50年近い付き合いがあります。加藤さんは、井戸さんとは東大で一緒だったと、お聞きしたことがあります。10日はいいコンサートでした。何よりよかったのは、自分の歌を自分の声で力強く歌っていたことだと思います。たくさんの人が勇気を与えられました。西宮公同幼稚園の理事長は、加藤登紀子事務所をマネージメントする重要なメンバーです。コンサートの後、マネージャに、「自分の歌を自分の声で力強く歌ったいいコンサートだった」と伝言しておきました。
 6月4日~6日、福島県飯舘村の子どもたちのうち、小学校5年生の図工の授業を手伝わせていただきました。この活動は、兵庫県の「復興サポート事業」よりの事業費の援助で実現しています。今年度で5回目になります。ありがとうございました。同封の写真は、図工の授業の様子です。

 知事の帰られた後の河村宗治郎さんを偲ぶ集まりでは、「菅澤邦明さん、西宮公同教会牧師、兵庫県南部大地震ボランティアセンター」と紹介があって、短く挨拶をさせてもらいました。だいたい、次のような挨拶になったと思います。
 「牧師の菅澤です。普段は、『それでも、牧師か』と言われたりしています。唯一、河村さんからは『牧師さま』と呼ばれていました。河村さんと、初めてお会いしたのは、1995年3月本町公園でした。公園に避難し、テントなど劣悪な条件での生活が長くなり、ただ雨露をしのぐだけではない住宅を、自力ででも確保、作って行きたいと踏み出そうとしていた頃だったと思います。牧師をしている日本基督教団は、民間の力で仮設住宅を建設する計画で募金を始め、その現場の検討をしていた時で、河村さんたちの願いと出会い、その具体化、実現に一緒に踏み出すことになりました。被災し本町公園に避難している人たちが切に望んでいた仮設住宅の建設が民間の力で始まり実現することになったのです。民間による仮設住宅建設計画を強く主張して進めた結果、その『強引』さが教団内では『それでも牧師か』でしたが、河村さんにとっては『牧師さま』だったのです。『神の前で、神と共に、神なしで生きる』の『神なしで生きる』を牧師として生きてきました。神におまかせではなく、人間としてできる限りのことをして生きてきました。その結果が、ご自分でも人間としてできる限りのことをして生きてこられた河村さんに『牧師さま』と呼んでいただくことになったと思っております。神の前で、神と共に、神なしで生きてまいります。」
西宮公同教会
菅澤邦明

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