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小さな手大きな手

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2018年07月01週
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 2018年6月4~5日の、福島県飯舘村の小学校の図工の時間を手伝った帰りの、石巻へ向かうJR福島駅建物の書店で見つけた写真集が「福島第一廃炉の記録」(以下「写真集」、西澤丞、みすず書房)です。東電福島及び事故現場は、関係者以外の人間が立ち入って現場からの報告をすることは不可能で、現在すべての情報は東電の言わば「大本営発表」と言っても間違いありません。その現場に、関係者以外の人間が立ち入って撮影した写真(集)は、もちろんこの制約をまぬがれることはできません。ですから、写真集は冒頭の序文で短くそのことを言及(釈明?)しています。
 「誰もやらないのであれば、自分がやるしかないという使命感。それらに対する答えとして、2014年7月から現在まで、東京電力の協力のもと福島第一原子力発電所の廃炉作業を撮影している。(中略)写真の中立性について、問われることがある。この撮影が東京電力の協力によって行われていることを考えれば、そのような疑問が浮かぶのも当然だ。しかし、東京電力の案内がなければ現場に立ち入ることができないという条件は、誰が行っても同じである。そもそも放射線管理区域では、福島第一原子力発電所に限らず、どこであっても第三者が自由に行動することは許されない。ましてや放射性物質がどこにあるかわからない状況では・・・」。
 一人の人間が、その人の意志「使命感」で、被曝が余儀なくされる現場に入って、「…事故後、時間が経っても不鮮明な写真しか発表されないことへの疑問」から「誰もやらないのであれば、自分がやるしかない・・・」と思ったとしてもあり得ることです。しかし、こうして「使命感」を語るそのことが、既に矛盾をはらんでいることに気づいておくことは大切なように思えます。
 まず、この写真集を、たまたま目にして手に取ることになったのはその表題の「福島第一廃炉の記録」の「廃炉」です。東電福島の事故は、緊急の事故対策とその延長のやはり緊急の事故対策が急がれる段階から、それを「廃炉」と定義、流布されるようになりました。現在、その全体を仕切っているのが、政府・東電の担当者によって構成される「廃炉カンパニー」です。従来、原子炉の廃炉は、稼働停止した後、まずやっかいものの燃料、使用済み燃料を取り出し、原子炉建屋、原子炉本体を解体し、放射性物資を分離する(放射性物質そのものは、中和も除去もできない)長い長い、そして危険な作業が待っています。その多くの場合、遠隔操作などの機械的作業にするよりなく、機械とは言うものの一つ一つ人間の手作業に頼るよりありませんから、長い長い時間がかかってしまうのです。
 東電福島の場合、事情は全く違っています。事故そのものが終わらないまま事故から7年の今も、大量の高濃度の放射性物質の放出が続いています。原子力発電所の生命線である、放射性物質を完全に閉じ込める施設根幹が壊れてしまったからです。施設が壊れるということは、原子力発電所が稼働する前提条件が崩れてしまったことを意味します。この場合、一般に物が壊れるのとは異なっているのは、壊れてしまった時、修復の手だてのすべてが失われてしまっているからです。人間の致死量の被曝は瞬間的には7シーベルトだと言われています。1999年に東海の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」で起こった核燃料の臨界事故では、およそ20シーベルト被曝した大内久さんと、およそ7シーベルト被曝した篠原さんは、90日余り、200日余り「朽ちていった命」そのもののすべての手だてが無力で亡くなります。原子力発電所を稼働するにあたって、事故はもちろんのこと、放射性物質を完全に閉じ込める、環境中に漏らしてはならないのは、その処理があらゆる意味で難しいし不可能だからです。
 東電福島の現場で、当面取り組まれているのは、いわゆる廃炉ではなく、決して手を抜けない緊急の事故対策です。
「記録」21ページの「高性能多核種除去設備」は、壊れた原子炉を冷やした水が、高濃度の汚染水となって漏れ出すのを、61ページのセシウム除去設備で一旦セシウムだけを分離した後、残りの放射性物質を除去・分離する設備です。そのいずれの場合も、除去・分離したセシウム、多核種は写真の容器に満杯になるまで詰められ、いわゆるカートリッジとして交換されます。除去・分離した満杯のカートリッジは、事故の東電福島の敷地内で仮置きされ、今も、そしてこれからもずっと増え続けます。一般に原子炉の廃炉の場合は、放射性廃棄物は、除去・分離されて保管されますが、それがすべて増え続けるということはありません。文字通り「廃」炉だからです。東電福島の場合は増え続けます。事故の緊急事態は続いており、高濃度の放射性物質は、事故から7年経った今も、漏れ出すのが止められないからです。32、33,41,43、65、102、103,104,105ページなどのタンクの写真は、セシウム、多核種などを除去・分離して、除去・分離が不可能なトリチウムを保管するもので、容量はおよそ1000トンで、その全体量は100万トンに近づいています。処理不能で増え続けるトリチウムは、ずっとそして繰り返し「処分」することが提案されています。処理できない為に、薄めて海洋に放出する「処分」です。処分のことでは「公聴会」を開き、「処分方法の意見を募る」のだそうです。「東京電力福島第一原発で汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ処理水を巡り、政府の小委員会が海洋放出を含めた処分方法について国民から意見を聞く公聴会を夏頃開催することが17日、分かった」(2018年5月18日、福島民報)。(ちなみにこの新聞記事には少なからず疑問が残ります。例えば、「浄化」とか「処理水」といった表現は、この汚染水に関しては本来あり得ません。「浄化」とか「処理水」とかは、その結果、生活に使用可能であることとして、一般的には使われる表現です。環境中に放出された場合、除去・分離できないトリチウムは、毒性は低いとされますが、飲料はもちろん、庭の水まきなどには使いにくいはずです。「浄化」でも「処理水」でもないのです)。「規制委員長/東電の処理水方針『疑問』/社長と面談『トップとして無責任』」。この問題の批判されている東電の方針は以下の通りです。「(東電)小早川社長はトリチウム水の処分に関し、『責任主体は東電』としても、『東電が一方的に判断するべきことではないと何度も主張した。更田(ふけた)委員長(規制委員会)は国に判断をゆだねる東電の姿勢に疑問を呈し、『(トップとしての)責任ある姿と思えない』と指摘し、語気を強める場面もあった』(2018年5月31日、福島民報)。
トリチウム汚染水は、セシウムや多核種のように除去・分離できない結果、増え続けています。どんな技術をもってしても処理不能なのです。規制委員会は、時には公然と薄めて海洋に放出することを否むなしとしてきました。他方自治体や中でも漁業者などは一貫して強く反対してきました。技術的に処理方法のあり得ないトリチウムを「公聴会」「国民の声を聞く」として、国民はどう答えたらいいのだろうか。一般的に広く福島以外の国民に「しょうがないですね」と言わせ、「一般的に国民はしょうがないと認めている」から、トリチウムは薄めて海洋に放出することにしました、と言いたいのだと思う(思うよりありません)。ただし、薄めて海洋に放出すると言っても、なかなか大変です。1リットルあたり100万ベクレルと言われる汚染水を海洋放出にあたっての「国の基準」である1リットルあたり6万ベクレルまで薄めることになります。これも途方もない作業になり、その間もトリチウムの放出は続きます。
一般に廃炉であれば、「手順通り」に作業を進めれば、そこそこ確実に「廃炉」にたどり着けなくはありません。(その場合は、廃炉にともなう大量の処理不能の汚染物質は残ってしまう)。その「手順通り」が見通すことも、そもそも成り立ち得ないのが東電福島の事故です。廃炉はあり得ないのです。手を付けられない状況まで原子炉が壊れてしまっているからです。その、「手を付けられないもの」が、溶けてしまった燃料及びその時に溶かしてしまった施設の超高濃度放射性物質、言うところの「デプリ」です。「第一原発デブリ/ロボットアームで取り出し/東電、工法の検討案公表」(2018年6月1日、福島民報)。で「案」が示されています。ロボットアームという「機械」ですから、被曝の危険を犯し最終的にデプリに近づけなくはありません。しかし、その場合でも、そのロボットアームの形状に合わせ、それを突っ込む「穴」を空ける必要があります。「穴」を空けるのが簡単ではなく、極めて危険であるのは超高濃度の放射性物質が、そこから漏れ出してしまうのは防ぐことができないからです。絶対に閉じ込めることが条件の放射性物質を、更に敢えて放出させることになります。そして、万一それが可能になったとして、溶けて固まっているであろう「デプリ」を削ったり砕いたりの作業が必要になります。「穴」を長時間、開口してしまうことになり、更に超高濃度の危険な放射性物質を漏らしてしまうことになります。
 東電福島の事故・重大事故は燃料が溶け更に原子炉の「多重防護」をしている為、圧力容器、格納容器も一瞬にして溶かしてしまう事故でした。超高濃度、およそ3000度近い熱で溶けてしまったのですから、それが溶けて固まっているとしたら、そうそう簡単には削ったり砕いたりもできません。もし、「デプリ取り出し」が前述のような作業であるとしたら、その作業によって、環境中に大量の放射性物質の放出、作業する人たちの被曝を避けることもできません。それが、東電福島で起こってしまった事故だとすれば、どう考えても「廃炉」とは言えない事態なのです。
 写真集では、従来目にすることのなかった凍土壁も、写真で紹介されています。52、53、54ページです。壊れた原子炉に流れ込んで、汚染水を増やす地下水を減少させる設備です。東電福島の事故の4つの原子炉の周囲約1500メートルに、地下およそ30メートルの氷の壁で作ってしまう工事で、およそ350億の費用は国が負担します。写真の54ページの冷却機で凍らせるのですが、前述のような「デプリ取り出し」の状況だとすれば、ずっとずっとずっと…将来にわたって冷却機を動かさざるを得なくなります
 以上、「写真集」を眺め、写真の一部を検討してみましたが、「廃炉」という表題はあり得ないように思えます。にもかかわらず、「廃炉」を表記にしてしまう時、それはそれで「廃炉カンパニー」を立ち上げている人たちの思惑を補完することになってしまいます。原子炉の燃料が溶融し、閉じ込める容器(圧力容器、格納容器、底部のコンクリート)を溶かしてしまう「重大事故」の場合、事柄が完了する、たとえば廃炉はあり得ないのです。途方もない量の処理不能の放射性物質は半永久的に残り続けます。
 
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