(前週よりのつづき)
翁長雄志知事の「平和宣言」には、「平和」という言葉が繰り返されます。
私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています。
昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の、米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きがはじまっています。
平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。(中略)民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、(中略)全く容認できるものではありません。『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する『沖縄のこころ』を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる『平和で誇りある豊かな沖縄』を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
「平和宣言」には、「沖縄のこころ」が繰り返されますが、使われている文脈からすれば、たとえば少し紹介した中学生の「生きる」の一節が、その内実の多くを語っているし、曾祖母、祖母更に中学生を生んで育てたお母さんやお父さんを経てこころの問題として伝えられた「沖縄のこころ」であるように思えます。その「沖縄のこころ」こそが、沖縄戦から73年経った今、中学生が少なからず自分の言葉の「生きる」の詩になったのです。なったのだと思えます。平和は、願っても願っても足らない、語っても語っても尽きない切実な願いなのです。ですから、大人であり、沖縄の知事である翁長雄志さんは、それをおびやかす現実、それを貫くために避けて通れない現実を、一つ一つ、具体的に言及せずにはおかないのです。
安倍晋三首相の「あいさつ」は、たとえば以下のようなことを言及しています。
20万人もの尊い命が無残にも奪われ、この地の誇る豊かな海と緑は破壊され、沖縄の地は焦土と化しました。(中略)我が子の無事を願いながら息絶えた父や母、平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念を思うとき、胸の潰れる思いです。
今日、私たちが享受する平和と繁栄は、沖縄の人々の、筆舌に尽くしがたい困難と癒えることのない深い悲しみの上にある。
我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ひたすらに歩んでまいりました。
今や、沖縄は、かつての琉球の大交易時代に謳(うた)われたように、「万国津梁」、世界の架け橋の地位を占めつつあります。
この流れをさらに加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興を前に進めてまいります。
「平和の礎(いしじ)」に刻まれた全ての戦没者の無念を思うとき、胸が潰れる思いという時の沖縄の戦争は、そのまま「この地の誇る豊かな海と緑は破壊され」を意味していました。なのに、今、現在進められている辺野古・大浦湾を埋め立てて建設が進められる、新米軍基地は、まさしくその豊かな海の破壊であり、高江の森を切り払って、戦争の実践訓練のヘリパッドの建設もまさしく「豊かな緑」の破壊そのものであることを、どう説明するのだろうか。
「私たちの享受する平和と繁栄」そして「沖縄の人々の、筆舌に尽くしがたい困難と…」だったりするとして、筆舌に尽くし難い困難の沖縄戦の後の沖縄は、1972年まで、米軍・米国の植民地としての「筆舌に尽くし難い」は続き、更にその後も押し付けられ続ける米軍基地とその結果は何一つ変わらないままである事実はどう説明するのだろうか。
「戦後一貫して、平和を重んじる国として、ひたすら歩んできました」といい得るのなら、なぜ、沖縄の米軍基地は、300万人とも言われるベトナムの人たちを虐殺する、米軍の大型・長距離爆撃機の出撃基地であり続け、今も、そのままの軍事力を誇示する、米軍基地の存在を沖縄だけに要求し続けるのだろうか。
「今や沖縄は、かつての琉球の大交易時代―」「『万国津梁』の、世界の架け橋の
地位を占めつつあります」だとしたら、そしてそれこそが琉球・沖縄の歴史的・地理的位置があるのですが、その沖縄の辺野古に、豊かな海を埋め立てて、巨大で強大な新米軍基地を建設する必要があるのだろうか。「『万国津梁』世界の架け橋の地位」の沖縄は、軍事基地の島としてではなく、生きた人々の生活文化をつなぐ意味での世界の架け橋であり、辺野古新米軍基地建設や、宮古、石垣、与那国に特定の国を想定した自衛隊の配備基地建設、どこかの国にからのミサイル攻撃を想定したミサイル、中でも陸上イージスの配備を沖縄で進め、沖縄島を「要塞化」してしまうなどということは、沖縄の人たちの生きた歴史そのものである「万国津梁」を、最も嫌い、かつあらゆる意味で踏みにじる、日本国・安倍晋三首相には口にする資格はあり得ないはずです。
6月23日の「慰霊の日」の追悼式で、中学生の詩、翁長雄志沖縄県知事の宣言、安倍晋三首相のあいさつを、遠く聞いていて、6月25日、26日の辺野古の座り込みに参加した人たちは、異口同音に「だったら、『普天間基地の辺野古移設が、沖縄の人たちの負担軽減だ』などと、どんな意味でも口にする資格はない」と発言を繰り返すのでした。
その辺野古の新米軍基地建設は、土砂投入の為の石積の岸壁が完成し、一期の本格工事が8月17日から始まろうとしています。
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