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2018年07月04週
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 東電福島の事故の前、年間の被曝線量の上限は、国際基準の「年間の追加被ばく線量1ミリシーベルト」が日本でも基準になっていました。東電の事故の後、この基準はいくつかの点で基準ではなくなってしまいました。
 事故直後からしばらく、結果的には広い範囲に降り注ぐことになった放射性物質は、被曝を考慮してきめ細かく測定し、避難などの対策が必要でしたが、それが広い範囲に及ぶ為、また測定器などがそろわなかった為、必要な対策はほとんどとることができませんでした。中でも、多くの子どもたちが、被曝にさらされることになってしまいました。そのことについての厳密な対策や判断を先送りして、事故前まで子どもたちが生活し、通っていた学校などでの日常の生活の再開が急がれることになりました。そして、「年間の追加被ばく線量が20ミリシーベルト」であれば、子どもたちも安心であり、そうした地域での学校などでの日常生活は心配は要らないということになりました。もちろん、これには、当時も強い懸念、疑義も出されましたが、国や国の機関などが選任する、いわゆる放射能の専門家は、異口同音に、たとえば子どもたちの追加被曝線量は20ミリシーベルト以下であれば「安心・安全」であるとされました。
 東電福島の事故直後、事故の危機的状況の多くは知らされないまま、極めて大ざっぱに避難が指示され、たとえば事故から2カ月経って飯舘村は全村避難になります。いわゆる放射線量が、その時の風向きで、飯舘村方面に流れ、更に、雨・雲の為に、ほぼ村全体に放射性物質が降り注ぎ、ほぼ村全体が汚染ざれることになりました。その飯舘村は、事故直後、事故の原子力発電所に近い、大熊町、双葉町、浪江町などから避難する人たちの避難経路、中継地になり、避難しながら被曝することになりました。
 東電の事故と降り注いだ放射能の毒による避難は、事故現場を中心に広い範囲に及び、避難区域は追加被曝線量によって3つの区域に分けられました。
 避難解除準備区域  1~20ミリシーベルト/年
 居住制限区    20~50ミリシーベルト/年以下
 帰還困難区域   50ミリシーベルト/年以上
 こうして、3つの区域に分ける場合のその定義、追加被曝線量の数値の設定は、国や東電福島の事故理解を示す、重要な問題です。事故後の区域をこうして、3つに分類するのは、この事故が収束する、事故対策、処理が完了するものであるという理解が前提になっています。更に、その為の条件を整えて行くのが、降り注いだ放射性物質の除染です。従って、東電福島の事故後の大きな流れは、事故現場の緊急の事故対策、降り注いだ放射性物質の除染、そして避難している人たちの元の市町村、住居への帰還です。で、東電福島の事故及び事故の原子力発電所は「コントロールできている」ということになるのですが、たぶんそのすべてにおいて全く違うと思います。
 現在、こうして決まった手順で、着々と事故対策が進められています。除染そして避難している人たちの帰還、事故の原子炉で言えば「廃炉」も着々と進められていることになります。東電福島の事故で降り注いだ放射能の毒は、除染することで、避難している人たちの帰還が決まることになっていました。除染の様子は、福島市内、伊達市、川俣町、飯舘村でも、2年、3年にわたって訪ねる度に目にしてきました。住宅の場合は、すべてを雑巾などで拭き取るなど人の手による作業でした。住宅の周辺、住宅から20メートルの範囲の森林の除染は、樹木の伐採、約5センチ分の土を削るなどが除染でした。農地の場合は、表土を約5センチ削り、その5センチ分の土を周辺の汚れていない土で埋めもどすことが除染作業の方法になっていました。この場合の、拭き取るのに使った雑巾、切り取った樹木、削った土などは、そのまま汚染物質として残り更にそのまま拭いたり削ったりした場所の近くに、そのままの汚染物質として仮置きされることになりました。降り注いだ放射能は、どんな意味でも除去することのできない毒だからです。総量1800万人トンともいわれるこの汚染物質は、事故の東電福島に隣接、立地する双葉町、大熊町に準備される、中間貯蔵施設に運び込まれています。なぜ「中間」なのかは、除去、消去することのできない放射能の毒の汚染物質を、引き受ける場所(自治体など)が見つからない為、それが見つかるまでの暫定的な場所、及び期間(30年)となっています。中間というものはそれがAとBの中間であれば、AであれBであれ場所ないし時間が明示されて初めて、言葉にし得るのは常識ですが、ここではそんな明らかな常識の世界ではなく、最終が決まらないまま、言わば力ずくで中間といってしまうのです。
 除染は、避難している人たちが帰還する為で、避難することになったのは、そこが追加被曝線量も高く危険だったからですが、避難の時には明示された放射線量は、除染後の結果が明示されることはありません。年間に20ミリシーベルト程度であれば心配は要らないという専門家の見解が、今までもそうであったように繰り返されます。そして、除染の結果の放射線量は明示されることなく、まず、避難解除準備区域の避難が解除され、更に、居住制限区域、帰還困難区域の一部も除染したという事実だけを基に、避難が解除されます。本来のそして避難した人たちの健康を留意することが、東電福島の事故の何よりの問題であるとするなら、避難解除は放射線量が避難前、事故前の線量即ち、1ミリシーベルト/年以下に戻ったことを明示してなされるべきなのです。
 その年間1ミリシーベルト以下の国際基準を、東電福島の事故前、国は基準としてきました。その基準を見直してもいません。「東京電力福島第一原発事故後、事実上の安全基準として浸透している空間放射線量『毎時0.23マイクロシーベルト』が、事故による年間の被ばく線量1ミリシーベルトを示す基準として妥当かどうか議論している国の放射線審議会(会長・神谷研二広島大副学長、福島医大副学長)は、基準値を見直さない方針を固めた」「審議会は次回会合で取りまとめ案を示す予定、具体的な数値には触れず、除染の長期目標について政府は個人の被ばく線量を年間1ミリシーベルト以下としており、一定の生活パターンを想定した試算式を当てはめると、一時間当たりの空間線量は0.23マイクロシーベルトとなり『より安全側に立った数値だった』と評価にとどめる見通し。これまでの会合で委員から『本来は除染する地域を決めるための数値だったが、独り歩きしている』として再検討の必要性が指摘されていた(2018年6月23日、福島民報)。
 こんな風に書かれている新聞記事を読んでも解りにくいと言うか、たぶん多くの人は判断停止せざるを得なくなるはずです。元々放射線の被曝線量基準は単純かつ明解でした。
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