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2018年08月03週
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翁長樹子 様
御家族の皆様

 8月16日(木)は、長堂登志子さんの御紹介でご自宅にお訪ねし、亡くなられた翁長雄志さんの魂の宿るお部屋で一本の香を立て、手を合わせることが出来ましたことを感謝しております。
 長堂登志子さんとお会いしたのは、2015年2月から月に1度座り込みに加わらせていただくことになった辺野古です。「無名」の一人として座り込むことを心に決めて加わった辺野古でしたが、「行かない」時の西宮で普段出来そうなことで作っていた木のおもちゃ、それが手掛かりで沖縄の海、森の生きものたちのペンダントなどを作り、お届けすることになりました。そんなことが、長堂登志子さんの目に留まり、宜野湾市長選挙の時のカエルのバッヂ2200個になりました。
 その後も、いろいろと届けさせていただくことになり、たまたま辺野古でお見掛けすることになった翁長樹子さんにも手渡すことになったのだと思います。
 16日には、政治家翁長雄志を見守り、志を同じくして歩んでこられたこと、そして志半ばにして逝ってしまわれ、その最後を看取ることになった様子なども聞かせていただくことになりました。発病、闘病、そして最後までをすべてを共感、共有された御家族のことも聞かせていただきました。闘病中、菅原文子さんから届いた花束(アレンジメント)の中から娘さんが、カモミールを見つけたこと、その花言葉が「逆境に耐える」「苦難の中の力」であるのは、多くの翁長雄志さんと共有し、支援してきた人たちの想いと通じます。そして、それをカモミールに託した菅原文子さんに敬意を表します。
 闘病ののち亡くなられ、その後の対応で心労の重なる時に押しかけて長居をしてしまい、申し訳ございませんでした。
 にもかかわらず、長堂登志子さんを煩わせお訪ねした肝心のことは口にしないままでした。その事を長々とお便りに書かせていただきました。

 翁長雄志さんが亡くなられた後、この志を引き受けるのは、宜野湾市長選挙、辺野古、高江、そして名護市長選挙でもお見掛けした翁長樹子さん以外にはいないだろうと思ったこと、そのことと、その場合の「政策」のことの話を聞いていただきたいというのが願いでした。
 政治、選挙は、その裏事情は別として政策で争われます。沖縄では、米軍基地問題であり、沖縄で生きる人たちに仕事を生み出すことが、最重要な政策の一つになるはずです。
 しかし、名護市長選挙では、地方自治体の長の仕事としては、何一つ失政もなく、むしろ自立する名護として実績を重ねていたにもかかわらず、稲嶺さんは敗れてしまいます。相手候補の仕掛けた政策のワナに乗ってしまったからのように思えます。宜野湾市長選挙の場合もそうでしたが、相手候補(陣営!)は、ほぼすべての政策を、しかも目に見える生活に届く形で示し、更にそれの実現する可能性を選挙の政策とします。解りやすいのですが、何よりも財政的な裏付け(国の補助金)があるからです。
 同時に国のすべての省庁が名護市長選挙において動いていたはずです。それら省庁に直接、間接に関係する(人および、補助金などで)「団体」のすべてに、市長選挙応援の「指令」、更に指令の内容までが末端まで、例えば中小企業の経営者まで届いていたはずです。国の省庁、県、市の団体、組織を通して、名護市の団体、組織にそれもきめ細かく「指令」が届き、かつ、そのすべてに何がしかる利害、補助金が、場合によっては仕事、雇用などが絡められ、それが選挙運動にもなっていました。だから、名護市民は選挙について多くは語らなかったように思えます。こんな働きかけが、大量の事前投票になり、そこには前述のようなコントロールが働いていたはずです。
 こうして、政策では勝てない仕組みはヤマトの場合も同様ですが、沖縄ではより露骨で、その結果が宜野湾や名護の市長選で、沖縄知事選ではそれが更にフル稼働することになるはずです。
 だとしても、翁長樹子さんなら勝てるかもしれないと思いました。政治、政策ではかなわなくても、生活者の感覚から生まれた政策そして言葉は、いわゆる政治、政策を超えるはずで、それを翁長樹子さんが持っておられることを「風の便り」で聞き及んでもおりました。
 もう一つは、ヤマトにも聞こえてくる沖縄の貧困、例えば沖縄が、最低賃金が最低であるという事実です。
 だったら、生活者の言葉で「沖縄から貧困をなくする」は、相手候補(陣営!)を超える政策になり得るように思えるからです。
 とは言え、「沖縄から貧困をなくする」のは、なかなか難しいのは、豊かさが一極、ヤマト、東京に集中して現実から明らかです。沖縄の最低賃金は700円台、東京は1,000円を超えています。そんな状況で「沖縄から貧困をなくする」のは難しいはずです。
 今、国は「地方創生」を国の政策の大きな課題として、その為の政策、立案を地方に求め、「予算」を配分しています。地方は、それで四苦八苦しています。そもそもが地方という限られた条件を抱え決して東京にはなり得ない時、東京的発想で、地方の発展、生き残りの政策、立案を地方に求められても、そもそもが難しいのですから。
 「沖縄から貧困をなくする」は急務です。それが子どもたちの生活に及んでしまっている時、なおのことです。しかし、「沖縄から貧困をなくする」のは、沖縄の叫びであっても、沖縄にその解決を求められても難しいのは、そうなってしまう仕組みだからです。
 だったら、国の地方創生を、沖縄・地方発の地方創生にし、「沖縄から貧困をなくする」にしてしまうのはどうでしょうか。沖縄の貧困、地方の疲弊の責任の多くのはヤマト、東京、国にあります。しかし、ヤマト、東京、国は、沖縄や地方にその責任を押し付け、地方発の地方創生を迫っています。
 沖縄の「地方創生」が「沖縄から貧困をなくする」であるとして、それに基づく政策で、国も巻き込むのは考えられないでしょうか。
 「貧困」の現実、原因として第一に考えられるのは雇用です。しかし、沖縄でそんな意味での雇用が難しいのは、前述の最低賃金の事実から明らかです。
 そんな現実と背景にある事実には目を向けないで、各種の「補助金」でその場をしのぐことが繰り返されています。根本的な沖縄の貧困は何一つ変わりません。
 だったら、最低賃金が1,000円を超えるヤマト、東京に沖縄から人材を送り込み、沖縄の賃金水準を引き上げてしまうのです。多分、それは「沖縄からの出稼ぎ」のような形となると思います。今までも、多くの沖縄の人たちが、ヤマト、東京に働きに出ました。しかし、多くの場合、個人の自己責任で孤立し挫折し、傷ついて帰るということが多かったはずです。今、国は地方創生が重要な政策課題だとしています。沖縄県もその担当課などが設けられ、政策、立案に四苦八苦しているはずです。しかし、土台無理なはずです。
 だったら、「沖縄から貧困をなくする」何より「雇用を生み出す」を、沖縄県を挙げてのヤマト、東京への「出稼ぎ」にしてしまうのです。ヤマト、東京で稼いで沖縄を潤す、立派な地方創生になるはずです。これは、「出稼ぎ」としての地方創生ですから、必ずその成果も人も地方に戻ってきます。当然、地方、沖縄は、人間としての尊厳を守る支援体制を組んで、人材を送り出すことが必要です。更に、そのための人材育成を、長、中、短期に取り組みます。すなわち、子どもたちのこともそんな意味での多様な人材育成の課題、就学支援、家庭支援など、幅広い課題が、その場合の地方創生の課題になります。
 たぶん、これらのことを、生活者の言葉で語れるのは、いわゆる政治家ではなく、「お母さん」、翁長樹子さんだろうなと思いました。
 翁長雄志さんが、知事として、最も説得力を持った言葉の一つが「イデオロギーではなく、アイデンティティ」でそれが「オール沖縄」の知事を実現したのだと思っています。今、それを継承するのは、そして誰も否定できない説得力を持って語られるのは政治家ではなく、翁長樹子さんかご家族のだれかであると思っています。あるいは、そんな翁長さんのご家族からの発信であるはずです。
 
 こんなことを知事選に絡めて、お話が出来たらとの思いもあっての訪問でしたが、もちろん、それどころではありませんでした。それより何より翁長雄志さんの想いが宿る御宅、お部屋で一本の香を立て、手を合わせることが出来、見ず知らずの者ではありましたが、心より光栄に思っております。ありがとうございました。
 従兄弟の参議院議員のことでは「いい政治家に育ててあげて!」というお言葉、肝に銘じておきます。

 ブルーベリーソース、青じそのジェノベーゼを、それとしてお受け取りいただき、ありがとうございました。それが、ブルーベリーであり、ジェノベーゼであることとして受け取っていただいたのは、毎日の生活が、生活の匂いのするそんな翁長雄志さんであり、樹子さんだからだと思いました。お届けしていたパンのことでも、お話を伺う事が出来ました。幼稚園の畑のシソが花から穂ジソになる頃には、「シソ味噌」にして届けさせていただきます。
 ありがとうございました。

菅澤邦明
2018年8月18日


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