「藤原帰一の映画愛」で紹介されていた「1987、ある闘いの真実」(2018年9月9日、毎日新聞)を見るため久しぶりに「シネマート心斎橋」に行くことになりました。毎週この映画評・案内は見ますが劇場に行くのは多くはありません。「1987、ある闘いの真実」をまあまあと思いながら読んでいて、最後の文章で「見に行く!」と決めました。「かつての暗い時代を忘れてはいけない。この時代を克服したから今の民主政治があるんだ。そのメッセージを共有できる韓国社会が、なんだかまぶしく見えてくる映画でした」。昼の部のシネマート心斎橋は8割近く席が埋まっていました。同じ、映画愛で行くことになった「アイアム、ノット、ユアニグロ」のテアトル梅田の5~6人とは比べ物にならない、「大入り」だったのです。
映画の全体の印象は、映画愛の引用した文章を裏切らない内容だったように思えました。「…そのメッセージを共有できるような映画でした」は、この映画の意味・内容を共有して作り上げた人たちの今、現在の韓国社会と韓国の人たちを、藤原帰一は「まぶしく」見ているのだと思うし、そのことにも少なからず共感しました。
映画は、1980年代の、チョン・ドゥファン軍事独裁政権の1987年の民主化闘争で、拷問死したパク・ジョンチョル(ソウル大学生。実在の人物、他も実在の人物であり、映画は実際に起こった歴史であり事実を元に作られている)の、その事実の隠蔽工作(死因を隠すために急ぎ火葬する)を、担当検事が拒否するところから始まります。悪をあばくはずの検事が、その役割を果たさない場合がありますが、たった30年前の全斗煥軍事独裁政権の韓国社会は、検事(察)だけでなく、警察、官僚、マスコミなどが、多くその強権体制の中で本来の役割を果たしていませんでした(果たせなくなっていた!)。
で、この事件で、火葬の許可証に署名を迫られることになったチェ検事はそれを拒否し、司法解剖を命じます。軍事独裁体制の強制力が、社会の隅々まで徹底している当時の韓国社会で「上」の決定は絶対でした。チェ検事は、それを拒否し「法」にもとづいて、司法解剖を命じます。社会の大勢が、強権のもとに埋没してしまっている時に、「法」の公正な執行を譲らない人がいたのです。チェ検事です。この人の映画の中での描き方は、なかなか魅力的です。力ずくで迫る権力に、たった一人の力で押し返すのは、土台無理があります。上司からは「命がおしかったら『上』の指示に従え」と迫られたりもしています。チェ検事は拒みます。強気ではあるのですが、用意周到でかつ柔軟でもあるのです。なんせそんな人ではあるのですが計算もするという具合なのです。まあ、したたかなのです。
上司がそうであったように、検察機構もその全体が、チョン・ドゥファン軍事独裁政権によって、がんじがらめになっていました。芯においてゆずらないものがあって、したたかで柔軟であれば、全てが無力ではない、そんな生き方もあり得ることを、映画「1987、ある闘いの真実」は、たとえばこのチェ検事のような人物によって描くのです。それは、30年前のその時に終わったこととしてではなく、30年後の「今」につながり届く出来事として描きます。「映画愛」はそれらのことを、「…そのメッセージを共有できる韓国社会がまぶしく見えてくる映画でした」と書きます。
そんな「まぶしく見える社会」の国に対して、まぶしくない社会にどっぷりつかっている国のことを指摘します。「かつての暗い時代を忘れてはいけない」のに、忘れてしまっている国、日本です。藤原帰一が映画愛で指摘する「まぶしく見えてくる」ものを、失うないし放棄する結果になっています。
東電福島は、原子力発電所の取り返しのつかない事故になってしまいました。完全に閉じ込めるはずの放射性物質を環境中に大量に放出することになりました。人間が作り出しておきながら、処理不能の毒・放射性物質の放出です。この取り返しのつかない事故を受け、新たに設けられた原子力規制委員会は、一旦は停止になったその他の原子力発電所の稼働に新たな条件を付けることになりました。東電福島などでは不備なままで、事故や事故対応が間に合わなかった設備や事故対応の方策や施設です。おおむね、以下のような諸点です。
①、原子力発電所から30キロメートル圏の市町村の避難計画の策定。
②、一旦事故が発生した場合に高圧になる容器からの排出設備の改善。排出(ベント)手段の明確化、日常的訓練及び排出の際の放射性物質のフィルターによる除去。
③、地震などの自然災害の発生が考えられる地質調査などの徹底、また津波などの対策としての堤防のかさ上げなど。
こんなようなことを条件にしましたが、東電福島の事故を受け、いくつかの原発の再稼働の停止処分を求める裁判が提起されました。福井地裁、大津地裁の裁判官は、この提訴を認め稼働停止の判断・判決をしました。理由はとても明解でした。たとえば、避難計画を周辺市町村にそれを義務付けましたが、東電福島の事故がそうであったように、現実的に不可能なことは明らかだからです。およそ10万人単位の多様な条件をかかえた人たちの移動をすみやかに実施することも、避難先を求めることも容易ではないからです。事故になった場合の放射能のプルームが、その時の自然条件によってどこに向かって流れるか予測が不可能だとすれば、避難「計画」など、もし立てたとしても「絵に描いた餅」になってしまいます。また、放射性物質の排出(ベント)も「事故になってしまった時」にいくばくかの処理をするとしても、それを「予測」しなければならないとすれば、施設そのものが稼働の条件を満たしていないことになります。こうしたことをもとに、福井地裁、大津地裁の裁判官が判決文に書きました。稼働停止です。司法・裁判などの全体に、強い統制が働いている(中でも裁判官などの人事)状況で、たとえば、原子力発電所の稼働などの場合は、国・電力会社の電力供給が安全より優先され、判決内容にもそんな意味での自己規制が働いてきました。しかし、福井地裁、大津地裁の裁判官は、原子力発電所の稼働停止を命じました。状況から言えば「なんだかまぶしく見えてくる」判決ではあったのです。この判決は、名古屋高裁でくつがえされてしまいます。たとえば、こんな一連の経緯は、そこに働いた力、立ち向かったであろう人たち、あるいは敗れた人たちの「真実」を描けば、もう一つの日本版「1987、ある闘いの真実」になり得るはずです。しかし、今、日本ではそんな意味での、まぶしく見える事は起こりそうにありません。まったく逆で、政治(立法・行政)、司法そして官僚も横並びに権力側に寄り添い「まぶしく見え」たりしないし、映画「1987、ある闘いの真実」も誕生しそうにありません。
映画「1987、ある闘いの真実」の、最初の引き金を引くのが、チェ検事です。証拠隠滅の為すみやかに「火葬」を迫られますが、ひるまずに「検事」の仕事を全うします。で、事が始まります。
沖縄で、辺野古新米軍基地建設の埋め立て工事が進められています。沖縄県は、前知事の承認を取り消しました。理由は、埋め立てがそこの海の自然、生態系を壊してしまうからでした。この事実は、埋め立て、埋め立て反対を問わず認める、辺野古・大浦湾の自然・生態系の事実でした。もし、そのことの賛否をめぐって、裁判で争われることがあるとすれば、それが「真実・事実」をめぐって争われるのであれば、勝負は決まっていました。しかし、実際に争われたこの裁判では「真実・事実」は、国・沖縄県、司法(検察、裁判官)も認めながら、国の安全保障上新たな米軍基地が沖縄に必要であるということで、取り消しが取り消されてしまいました。まぶしく見えるようなことは起こらなかったのです。起こせなかった訳ではありません。担当検事が、検事として、チェ検事がそれをゆずらなかったように「法に基づいて」本来の役割・仕事をしたとすれば、簡単には取り消しの取り消しにはならなかったはずです。「なんだかまぶしく見える」ことは起こらなかったのです。
映画「1987、ある闘いの真実」については、別に紹介されていましたが、そんなものかで済ませていました。藤原帰一の映画愛の「1987、ある闘いの真実」の紹介、中でも「かつての暗い時代を忘れてはいけない。この時代を忘れてはいけない。この時代を克服したから今の民主政治があるんだ。そのメッセージを共有できる韓国社会が、なんだかまぶしく見えてくるような映画でした」が、久しぶりにシネマート心斎橋に足を運ばせる力になりました。
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