ドリアン助川が、放射能線量計を持ち、自転車で芭蕉の奥の細道をたどった時、秋田県象潟は0.09~0.14マイクロシーベルト、県境を超えた山形の酒田は0.09マイクロシーベルトでした。この自転車の旅の東京浅草は0.09マイクロシーベルト、日光は0.14マイクロシーベルトでした。旅が福島県郡山に入ると、0.52マイクロシーベルト、福島市内では1.48マイクロシーベルトです。ドリアン助川のこの自転車の旅とその記録「線量計と奥の細道」(幻戯書房)は、東電福島の重大事故とその意味をなかったことにする「記憶殺し」を、事実で反論する試みの一つです。
①、東電福島の放射能事故は、どんな境界もそれを無にしてしまう。超えてしまう。
②、放射能事故は消滅させることは不可能であること。
たとえば、東電福島の事故は「想定外」であったということで、当事者の責任は一切問われることがありませんでした。唯一、検察審査会の2度の議決を経て、起訴された東電の3人の裁判が現在東京地裁で争われています。その場合の「争点」の核心は、事故は予測(想定)できた(にもかかわらず対策が取られなかった)、想定できなかった(従って責任は問われない)です。あることの「想定」が可能なのは、あるいは可能であるとする場合の根拠の一つは、過去の事実、事例ということになっていて、それが東電刑事裁判で争われています。東電福島の事故は、東北宮城沖の地震で発生した津波が、東電福島に達し、海水面から約8.5メートルの敷地内に侵入したことで、原子力発電所の生命線である、すべての電源が喪失したことで起こりました。8.5メートル以上の津波が発生することを想定していなかったのです。そして、想定していないことが起こったことを理由に、事故の責任を一切認めず、事件として追及されること(刑事事件)も、自ら責任を認めるということもしませんでした。
しかし、この場合の「想定」が少なからず、恣意的、要するに意識的に操作されたものであることが明らかになりつつあります。東電刑事裁判、第11、12回公判、証人尋問、島崎邦彦さん(地震本部の専門家委員、地震・津波の専門家)の証言の要約は以下のようになっています。「福島沖の津波地震は十分に注意すべき確率だった」「内閣府の中央防災会議で福島沖の津波地震が想定から外された。首都直下地震は想定したのに福島沖を外したのは、原子力に関係した配慮ではないか。首都直下地震と同じように扱えば原発事故は防げた」「長期評価の第2版が2011年3月9日に公表予定だったが、地震本部事務局に『電力会社や自治体に事前説明した』と言われ、了承してしまった。延期せず公表していれば助かった命もあったのではと自分を責めた」(「福島原発刑事裁判の意味」武藤類子、2018、10、世界)。ここで報告されている、福島刑事裁判、第11、12回の島崎邦彦さんの証言は、同じ「世界」10月号のインタビューで、ほぼ同じ内容で語られています。
「3.11の津波被害によってあれほど多くの人がなくなり、更に原発事故までが発生した最大の要因は『備えていなかった』からにほかなりません。それでは、なぜ『備えていなかった』のか。その最大の原因は、国の防災の中枢である中央防災会議などの関係機関が、地震や津波の予測という、本来は科学的検討によって議論されるべきテーマを、別の何らかの理由によって歪めた点に求められるべきだと思います。電力会社をはじめ、あの規模の津波の発生は『想定外』であったとする結論があります。しかし、実際には、『想定外』ではなく『想定しないようにした』のであり、不作為ではなく作為によって、想定しないことを選択したのです。すなわち、東北の太平洋沿岸に、過去、どのような規模の地震や津波が襲ってきたかという検討にあたって、科学的見地からは支持することのできない結論や言い回しへと誘導する動きがありました」(証言、「歪められた地震予測」3.11の犠牲をもたらした構造)。
「世界」には、島崎邦彦さんのことも紹介されています。「しまざき・くにひこ:東京大学名誉教授。1946年生まれ。日本地震学会会長。地震予知連会長。地震調査研究推進本部地震調査委員会委員。同長期評価部会長、中央防災会議専門委員。原子力規制委員会委員長代理などを歴任」。
こうして言われる「…実際には『想定外』ではなく、『想定しないようにした』」とされる「想定」の、もともとの意味は「…仮に、こういう状況・条件であると、決めること」(新明解国語辞典)ですから、「仮」のこととして言われているにすぎません。本来人間的な営みである限り、確実も確定も絶対もあり得ないと理解する結果、確実、確定、絶対ではなく「想定」としたのですから、想定外の意味は「…仮に、こういう状況・条件であると、決めにくいこと」となるはずです。
こうして問題になって重大事故になってしまったのは原子力発電所です。原子力発電所の事故の何よりもそしてやっかいなのは、閉じ込めるはずの放射性物質が閉じ込められなくなることです。一旦、環境中に放出された放射性物質は、どんな意味でも処理不能です。処理不能な放射性物質が一旦環境中に放出されると、それを拒む境界はありません。「線量計と奥の細道」は、言わばそれを実証した記録です。確かに秋田県象潟は0.09~0.14マイクロシーベルト、山形県酒田は0.09マイクロシーベルトと、低い値です。低い値ですが、そこまで到達していたのは確かなのです。「想定」する必要があったのは、そんなものを扱うことの意味だったはずです。どんなに微量であっても残り続けて、消滅もできない物質なのです。何よりも想定しなくてはならないのは、その事実であるとすれば、選択肢はそんなにはありません。扱わないことです。しかし、扱ってしまいました。さらに重大事故になってしまいました。修復しようのない、取り返しの付かない事故です。
なのに、その現場は、取り返しのつく事故を装い、事故対策とされています。「第一原発、滞留水減へ新システム、東電建屋内で冷却水循環」という「新システム」は、何一つ新システムであり得ないのは、くみ上げた滞留水は、放射性物質除去が条件・前提で注水に使うことになるからです。除去された放射性物質は、処理不能のまま環境中に残ります。どんな新システムも、環境中に放出された放射性物質の毒を除去することはできません。
「想定外」とする重大事故が、東電福島で起こってしまいました。今、そのことを理由に、一切の事故責任を取らない人たちに、責任を取ることを求めないアベ政治が、責任者たちを野放しにしています。検察審査会という市民の力によって、責任者を裁く裁判が始まり「被告」とされた人たちは重ねて「想定外」を理由に責任逃れを繰り返しています。しかし、重大事故になったのに言われる「想定外」は、原子力発電所の重大事故は、想定することが難しいのがそもそもの始まりです。原子力発電所の重大事故は、それを想定したとしても事故対策のすべてが難しくすることも、解っていました。事故が想定外だったのではなく、事故対策の想定が不可能であった原子力発電所で本来は「想定内」であるはずの事故になったのが、東電福島の今も続く事故の始まりだったのです。
[バックナンバーを表示する]