辺野古の新米軍基地建設現場では、工事車両が止まっている為、参加した人が自己紹介したりするための集会が開かれています。車両が止まっているのは、翁長雄志沖縄県知事が7月26日埋め立て承認撤回したこと、その翁長雄志知事が8月8日に亡くなり、国が知事選終了まで(9月30日)工事を中断しているからです。その知事選挙が沖縄では争われています。
9月24日(月)に沖縄に着いた午後、長堂登志子さんの紹介で、宜野湾市で開かれた「日本会議」についての勉強会に参加しました。何故、宜野湾で「日本会議」なのかは、知事選に立候補している佐喜眞 淳(さきま あつし)前宜野湾市長が、「日本会議」のメンバーであることを市民に知ってもらいたいという意味でだったと思います。日本会議のことは、少しは知っていましたが、勉強会でその成り立ちや、どんな役割をしてきたのか、現在のメンバーなどのこと、詳しく知ることになりました。例えば、「日の丸、君が代」を今のように、学校現在などでほぼ強制させるようにしてきたり、「道徳教育」を学校の教科にしてしまう働きを、政治家、文部省など陰になり日向になり後押ししてきたのも「日本会議」です。
24日夕方には、読谷村に移動し、富樫 守さんの案内で、知事選の玉城(たまき)デニー候補を支援する音楽イベントに参加しました。沖縄の島のことや、島唄を歌う人たちが代わる代わる登場する音楽イベントでは、子どもたちも音楽に合わせて踊ったりするのですが、パーランクを叩いて踊る体の動きは、それは見事でした。
25日は、午前中、辺野古の座り込みの現場の集会に参加した後、予定を変更し、那覇に宿を移して、知事選の玉城デニー候補の市民グループの人たちのリーフレット配りを手伝いました。いくつかのリーフレットの中から、玉城デニー候補と、翁長樹子(おながみきこ)さんの分を紹介します。いずれのリーフレットも、選挙応援で街頭で配布する時、誇りを持って手渡せる内容であるように思えました。(いずれも発行は市民グループ “ひやみかち・うまんちゅの会”です)。合わせて、翁長雄志知事が亡くなった翌日に、安室奈美恵さんが、自分の公式サイトに発した追悼コメントを紹介します。
「……今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志この先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」。
安室奈美恵
DRAMATIC ドラマティック(波乱万丈な)
―父親は、沖縄駐留の米軍人だった、ということしか分からない。
物心つく前に、父親の写真や手紙は全て母親が処分していた。父親のことを根堀り葉掘り尋ねたこともあったが、母親は「もう全部忘れた」としか答えてくれなかった。
母親が住み込みで働いていたため、1歳のとき、近隣の知人宅に預けられた。育ての母を「おっかあ」、実母を「アンマー」と呼んで育った玉城氏は、「この2人の母がいて、今の僕がある」と感謝を惜しまない。
(OKIRON「戦後沖縄」ともに体現―翁長後継・玉城デニー氏の覚悟 より)
DEMOCRACY デモクラシー(民主主義)
「Dという文字で私がいちばん重く考えているのはデモクラシーですね。21世紀はデモクラシーの時代なんだということを胸に掲げて、誇り高く選挙戦を取り組んでいきたいと思います」
DISCUSSION ディスカッション(議論)
「わたしたちは排除や分断という言葉は持ちません。どのような方であれ、沖縄が平和で誇りある豊かな島になってほしい。その思いや願いを持っている方であれば、ぜひ私たちとともに、沖縄つくりに加わっていただきたい」
「政治こそ弱い立場の人に向き合うもの。そしていま生活で苦しんでいる方々、学生さんであっても、本当に勉強したいのに、勉強する時間を削られてアルバイトをしなければならない。アルバイト現場では、あなたがいないとこの仕事が進まないと言われ、やむなく残業せざるをえない。一人一人の思いが必ず県政に反映される、そういう一歩一歩を刻んでいきたいと思います」
DIVERSITY ダイバーシティ(多様な)
「おっかあ(母)が、教えてくれた言葉の中で、一番大切にしているのは、『とぅーぬいーびや、いーぬたきーやねぇらん(十本の指は同じ丈のものはない)』。人間の指は十本の指があるとしてもどれひとつ同じ長さではない。同じ太さではない。それは沖縄の社会、つまりみんなが多様な生活をしているんだよと」
「例えば国籍が違っても、男性みたいに見えるけど、実は心のなかは女性の方であっても、その人がその人として、触れ合ったときに、その人らしさをお互いが分かち合い、感じあえることができれば、みんなにとって沖縄という場所は輝ける場所になると思う」
DREAM ドリーム(沖縄の夢)
「誇りある豊かさを沖縄は目指す。そこは右も左も関係ないんですよ。お互いが尊敬しあって、お互いが信頼しあって、お互いの立場から求めていく方向はひとつです。イデオロギーよりアイデンティティ。イデオロギーとイデオロギーの間には、見えない壁があります。でもアイデンティティというものは、根っこに流れているもの、だからどこにも壁がない。みんなアイデンティティで繋がっている。親戚みたいなもの、兄弟みたいなものなんです」
玉城デニー
泣かずにしゃべれる自信がありません。
翁長雄志の家内の樹子(みきこ)でございます。本当にたくさんの方に支えていただいて必死に頑張ったんですけど、8月8日に急逝いたしました。ひと月半になります。
正直、翁長が亡くなった、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物を畳んでいるときだとか、ご飯を出しているときに突然、「あっそうだパパ」っで顔をあげちゃうんですよね。
そしたら遺影の翁長がいつも笑っているの。「ばかだなぁ君は」って言って。翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。笑い声がもう一度、聞きたい。でもかなわないから。
この選挙は正直言って翁長がいつも言っていたように、みんな同じウチナーンチュだから、みんな一生懸命考えてみんなが出した結論はもうそのことなんだということで、私は今回、本当は静かに皆さん県民の一人ひとりの方が出す結論を待とうと思っていました。
県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手に譲れない
ところが、日本政府の方のなさることが、あまりにひどいから、たった140万の沖縄県民に、オールジャパンと称して政府の権力を全て行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですか、これは。こんなふうに出てくるというのは正直、とても躊躇しました。
でももう、何だか翁長が「もうしょうがないな、みんなで頑張らないといけないから君も一緒になって頑張って」と言ってくれたような気がして、今日はこの場に立っております。
この沖縄は翁長が心の底から愛して、140万県民を本当に命がけで守ろうとした沖縄です。県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手の方に悪いけど、申し訳ないけど、私は譲りたくありません。
ウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも必ず勝利をかちとろう
いまデニーさんの話を聞いて、よかった、うちの人の心をデニーさんが継いでくれるんだと思ったら涙がとまりません。残り1週間です。簡単には勝てない、それでも簡単には負けない。
翁長がずっと言っていた私たちウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも、必ず勝利を勝ち取りましょう。
みなさん。頑張りましょうね。ぬちかじり。むちかじりですよ。頑張りましょうね。
よろしくお願いします。
翁長樹子
沖縄県の知事選挙の投開票は、9月30日です。一地方自治体の選挙にもかかわらず、アベ政治は、党幹事長、政調会長、派幹部などが、沖縄に足を運び、沖縄の人たちにとって生活そのものである米軍基地、辺野古米軍基地建設問題を一切語らず「生活が優先」を標榜する候補のてこ入れをしています。てこ入れの手段でありエサは、権力の握る金と人脈です。2年前の参議院選挙では、辺野古新米軍基地に反対する候補を10万票差で選んだ沖縄の人たちを踏みにじり、アベ政治はもう一つの新しい米軍基地、高江のヘリパッド工事を強行しました。
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