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2018年10月01週
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 沖縄知事選の結果の情報は、開票が始まってすぐ、「玉城デニー・当選」が現地から届いていました。沖縄のメディアなどが得ていたいわゆる「出口調査」からの判断だったらしいのですが、「まだ解らない」というただし書きがついていました。全国放送が、「当確」を言うまで、多くの沖縄の人たちも「まだ解らない」と思っていたことを、当選が決まってからの電話の会話などで解りました。接戦で、決まるのは深夜、ないし夜中過ぎになると考えていた沖縄の人たちもいました。玉城デニーを支援するかなり多くの人たちが、当選は難しいとさえ考えていたのです。25日の辺野古のキャンプシュワブゲート前でも、集まった人たちの中には負ける可能性を口にする人たちも少なからずいました。
 2月の名護市長選挙では、基地の辺野古移設を反対する現職の稲嶺進市長が完敗していました。ほんの少しだけ、稲嶺進の選挙リーフレットの配布を手伝いましたが、いわゆる選挙戦の状況から、稲嶺支持の人たちも少なからず難しいと判断していました。アベ政治のてこ入れが並ではなかったからです。人口が5万人くらいの、沖縄県の北の市の選挙に、2つの政党と、政権党の幹部がのべつ大衆に顔を出していきました。ただ顔を出していた訳ではありません。業界、諸団体を集めて、何がしかの具体的な約束をし、大小の組織の票集めを求め、かつ確約させる為に、繰り返し名護入りをしていたのです。結果、失政があった訳でもなく、交付金などの締め付けがあったにもかかわらず、市財政をより健全化させてきた現職が負けることになりました。それは、投票日前から決っていたと言われています。名護市長選挙では、期日前投票がほぼ半数に達していました。期日前に、業界、諸団体に政権党が具体的な見返りを約束して、大小の組織の票集めを求めかつ確約している証しが、期日前投票だったと言われています。その締め付けが功を奏し、多くの投票先が事前に決まってしまっていたのです。
 沖縄県知事選では、政権党のこの方針はさらに徹底されることになります。政権党の関係者などの沖縄入りは一地方自治体の知事の選挙なのに、尋常ではありませんでした。「自民党の二階俊博幹事長は地方選の応援としては異例の5度目の沖縄入り」「二階派の議員や秘書も交代で沖縄に常駐しており、同派議員は『知事選に勝って幹事長続投だ』と力を入れ」「岸田文雄政調会長も3度目の沖縄入り。26日にかけ、沖縄担当相時代に培った人脈を活用し、企業や団体を回る」「竹下派を率いる竹下亘総務会長は総裁選のほとんどの期間を沖縄に滞在した」(9月26日、朝日新聞)。「菅義偉官房長官が9月に3回沖縄に入るなど」(10月1日、毎日新聞)小泉進次郎議員なども、再三再四沖縄入りをしています。いずれも、ただ顔を出したわけではありません。たとえば岸田文雄政調会長が「沖縄担当相時代に培った人脈を活用し、企業や団体を回る」ように、それぞれが「人脈を活用し、企業や団体」を回り、その場合も、必ず、政権党が持っている国の省庁、官僚組織にもつながる具体的な施策、即ち「資金・資金源」についての約束・確約をちらつかせることをおろそかにはしなかったはずです。そして、そのことが投票行動に具体的かつ確実につながることとして、期日前投票がうながされることになりました。前回知事選が20%弱だった期日前投票が、今回は35%を超えることになっていました。「それにしても、異様な選挙戦だった。台風の直撃もあって、期日前投票が有権者35%を超えたのも異例だが、佐喜真陣営は米軍基地の辺野古移設という最大の争点を隠蔽。カネと物量で圧倒し、業界団体に『期日前実績調査票』を提出させた」(木)10月1日、日刊ゲンダイ)。その一つ一つが、具体的な内容まで明らかになるということはもちろんありませんが、これらの人たちが繰り返し沖縄を訪れたのは事実であり、広く沖縄社会の隅々まで巨大な力の働きかけがあることを、例えば、玉城デニー候補を応援する人たちは感じていました。9月24日~26日に訪れた沖縄でも、それらしい様子を感じとることができたように思えます。何かが力ずくで、沖縄に襲いかかっている、そんな印象を強く持ちました。沖縄には2つの地方新聞があって、それぞれに地方の沖縄、沖縄の歴史状況、米軍基地をかかえる沖縄の特殊な状況を、その沖縄の立場で鋭くえぐってきました。辺野古新米軍基地の現場にも、両紙とも必ず毎日記者を配置し、紙面にはその情報がほぼ毎日掲載されています。そんな沖縄の地元紙を「つぶしてしまえ」とほえていたのが人気作家百田尚樹です。9月25日の夕方の沖縄県庁前には、「琉球新報をつぶせ」「沖縄タイムスをつぶせ」と大きく赤いステッカーをはった車がとまり「若者」が大型マイクで呼びかけていました。今、頭ごなしに、新聞・メディアを名指しで攻撃したりするのは、「ヘイト・スピーチ」であり、そんなことに積極的であるのは、いわゆる本土の決して素性を明かすことのない団体です。いずれにしても、新聞記者はもちろん、誰であっても尊重されるはずの、その人の意思を、一切聞こうとはしないで「つぶせ」はよくないのです。
 玉城デニー「当確」を、いち早く沖縄から伝えてきたのは、うるま市の外間永二さんです。「全国放送はまだだからなあー」「でも知らせておく」と。そして、24日~26日、集会や街頭でも少しずつ一緒だった、那覇市の長堂登志子さん、読谷村の富樫守さんとも、玉城デニーの「当確」を電話のやりとりで喜び合うことになりました。そんなやりとりの電話で富樫守さんは「沖縄・沖縄の人たちがお金に負けなかったのがうれしい」と、うれしい声でおっしゃっていました。
 沖縄県知事選挙は、「名護市辺野古の新基地建設阻止」を鮮明にする玉城デニー候補が大差(約8万票)で破って知事に選ばれました。沖縄は、最低賃金や貧困、子どもの貧困率は都道府県の中で最も高い状態が続いていますから、それらが知事の課題であるのはもちろんです。しかし、更に突出しているのが、沖縄が戦場になって以来の占領にともなう基地問題です。他のどの都道府県よりも深刻なのは、米軍基地の占める比重が圧倒的に大きいこと、その位置付けがあまりにも不平等な「日米地位協定」を基にしている為、そのことが米軍によってたびたび引き起こされる犯罪にもなっている事実です。にもかかわらず、その基地負担を更に大きくすることが目に見えているのが、建設が強行されている、辺野古新米軍基地です。8月8日に亡くなった、翁長雄志知事は、「日本の防衛に基地をたくさん(沖縄)に置くのではなく、平和の緩衝地帯として沖縄がこれから役割を果たす。沖縄がアジアと日本の架け橋となることを夢見ながらやっているところであります」と述べ、7月27日に、辺野古・大浦湾の「埋め立ての承認を撤回」し、10日後の8月8日に亡くなりました。その意思をつぎ「新基地阻止」を前面に闘って知事選に勝利したのが、玉城デニー候補です。「埋め立ての承認撤回」は、本来の主旨から言えば、むしろ遅すぎるしかつ妥当な判断でした。沖縄県による埋め立て承認の撤回は「公有水面埋め立て法」の「正当な手続き」でした。公有水面埋め立て法が、何よりもその法の課題である、埋め立て海域の自然、希少サンゴ、ジュゴンのえさ場を奪ってしまうことを、あらゆる海洋調査の結果が明らかにしているからです。選挙後の記者会見で玉城デニー候補も、その点に言及しています。「県の埋め立て承認の撤回は、公有水面埋め立て法の正当な手続きによる判断。それを守れないのは、民主主義国家、統治国家ではないということを訴えていく」(10月1日、沖縄タイムス)。言及している公有水面埋め立て法は、他の場合の裁判などでは、自然保護を守る当然の前提する判決が出ています。しかし、沖縄に関する限り例外で、工事の方が優先されるし、優先されてきました。統治国家の法が、沖縄と沖縄の人たちの場合は、いともたやすくないがしろにさえてしまいます。辺野古新米軍基地建設阻止を公約にして当選した玉城デニー候補を待ち受けているのは、にもかかわらず工事を強行するアベ政治です。それは、今までの沖縄の人たちの現実でした。たとえ強いられた現実がそうであったとしても、ただ従順に受け入れるのではなく、自分の公約を自分で裏切ることもなく立ち続けて亡くなったのが翁長雄志知事でした。「ぼくは裏切る前に自分が死にますよ。それぐらいの気持ちを言わないと沖縄の政治はできないです(2014年11月)。更に、夢と理想も忘れない人でした。「一方で、依然として世界では、地球戦争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積みしています。世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め協力して取り組んでいかなければなりません(2018年6月23日「慰霊の日」平和宣言)。にもかかわらず、その翁長雄志知事が1か月半あまりして亡くなった後の知事選挙で、そのすべてをぶち壊しつぶしてしまう「総力戦」で、沖縄の知事選に襲いかかったのが、日本のアベ政治です。たぶん、政権政党のアベ政治も、日本国も同じ姿勢で、知事選後の沖縄の玉城デニー知事に有無を言わせず襲いかかり、力ずくで屈服させようとします。その意味で、玉城デニー新知事の沖縄の闘いは生やさしくはないのです。
 そこにもし、希望と言い得る何かがあるとしたら、次のように石牟礼道子がつむいでいる言葉であるように思えます。

 今、患者さんたちが超えられつつある非常に崇高な、自分たちの生命と日々の内面の凄絶な闘いの中で得られつつある人間への愛と言いますか、慈悲のような眼差し。人類に希望はないとは申せ、そういうのはたぶんわたくしたちの中にはやはり、そこを突破してこそ得られる希望というのがある予感もするんです。そういう時間をかけて、それがどういう豊かな内面の世界であったかというのをわたくしは詳しく点検したい、思い出したいと思うんです。
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