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小さな手大きな手

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2018年10月04週
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(前週よりのつづき)
 そして、避難指示解除、帰還の条件を満たす放射線量に戻す為に実施されることになったのが、避難区域に降り注いだ放射性物質の「除染」です。降り注いだ放射性物質を事故前の数値である1m㏜/年以下にすることが、避難解除、帰還の本来の条件でした。3兆円を超えると言われる費用を使って、まず避難解除準備区域の除染が実施されました。しかし、降り注いだとは言え、見ることや触ることはもちろん、味も臭いもない放射性物質は「除染」したとしても、その目的を達成しにくいのは上記の性質によっています。根本的にとらえにくい物質なのです。住宅地などでの除染は、住宅の屋根、壁などを手作業で拭き取ります。そして、森林に関しては、住宅地から20メートルの範囲に限定されていました。その20メートルから一歩踏み出したその場の放射線はぐんと上がってしまいます。2018年6月の飯舘村は、2017年3月末に避難が解除され、2018年4月から元の中学校の敷地で、幼・小・中が戻って授業が再開されています。戻るにあたって、校地は徹底的に削り、徹底的に除染されましたから、敷地内の放射線量は、おおむね、0.05~0.07μ㏜/hとなっています。しかし、敷地から一歩外にでた森林の放射線量は、1.5~1.7μ㏜/hが平均になっています。敷地外の森林の除染はそもそも現実的に難しい為、放射性物質が降り注いだままの汚染状態が続くことになっています。その放射性物質は、敷地内と敷地外という「線」だけの境界線を、自由に行ったり来たりします。子どもたちがそこに戻る限り、そして限られた時間とは言え、そこで過ごす限り被曝はまぬがれないのです。更に、現在、飯舘村の学校に戻っている子どもたちも、生活の場はすべて村の外です。
 現在も、全町避難が続く事故の原発が立地する大熊町や双葉町には、降り注いだ放射性物質を削り取ったりした汚染土壌などを運び込む、中間貯蔵施設が建設されることになり、その場所の確保、汚染土壌などの搬入が始まっています。「環境省は5日、東京電力福島第一原発事故に伴う県内の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)の用地交渉で、9月末時点で予定面積の64.8%に当たる約1037ヘクタールを確保したと発表した」(10月6日、福島民報)。この工事中の中間貯蔵施にはすでに汚染土などの搬入が始まっています。「中間貯蔵施設(双葉町、大熊町)への累計搬入量が10日までに140万立方メートルに達した。現時点で搬入対象としている廃棄物量約1400万立方メートルの10%に当たる」「施設への除染廃棄物の搬入は2015年3月に始まり2017年度までの3年間で約75万立方メートルを搬入した。2018年度は約180万立方メートルを運ぶ予定。帰還困難区域への特定復興再生拠点整備で発生する除染廃棄物は現在の搬入量の推計には含まれておらず、廃棄物の総量は今後も増える見通し(10月13日、福島民報)。その除染廃棄物が運び込まれている中間貯蔵施設、事故の原発が立地している大熊町の避難解除が検討され始めています。「東京電力福島第一原発事故に伴う大熊町の居住制限、避難解除準備の両区域について来春の避難解除を目指す町は、両区域の除染の検証結果や11月に県内で開く町政懇談会などの意見を踏まえ、具体的な解除時期を検討する」(9月22日、福島民報)。言われている大熊町の場合の「除染の検証結果」は、除染することによって、放射線量がどんな数値まで下がったか、などの検証・検討なのでしょうが、忘れてはならないのは、広く福島県などで、降り注いで危険だから除染した汚染土などが、大熊町に建設される中間貯蔵施設運び込まれていることです。すでにその量が140万トン、総量は現時点の推計で1400万トンと言われています。その毒が危険だから除染され、最終処分がその方法も場所も決まらないまま、中間貯蔵施設の場所になった大熊町は、前掲の事故の緊急事態が続く東電福島が立地しています。もしそこが避難解除になったとして、そこを人の生活する場所、町として選んでいいのだろうか。

3、「言葉で表せないご迷惑をおかけしています」「しかし、責任はありません」(10月16日、東電刑事裁判、東京電力元副社長・武藤被告の被告人証言)。
 東電福島の重大事故は、それが重大事故であるにもかかわらず、「想定外」を理由に刑事責任を問われることがありませんでした。福島県三春町の武藤類子さんたちが呼びかけ10000人を超える人たちが集まって告発しましたが検察は退けました。その後、検察審査会に審査を申し立てましたが、審査会の「起訴相当」とする議決も、検察は受けませんでした。そして、再審査も「起訴相当」としたことで、やっと起訴が決まり、現在選任された弁護士を検事とする、東電刑事裁判が始まっています。3の表題になっているのは、10月16日から始まった被告人質問での武藤被告の発言です。これまでも、被告となっている3人を含め原子力発電所の稼働にあたり、15メートルを超える津波は「想定外」であるとして、責任を認めてきませんでした。検察が事件とすることを敢えてしなかったのも、東電の「想定外」を追認するものでした。しかし、検察審査会の「常識」はそれを許しませんでした。それは、単なる常識ではなく、この事故、事件が明らかに東電の過失によるものであることを、審査会に提出された資料を常識的に読むことによって得られた結論でした。その意味で、検察に提出された資料から判断すれば、東電の刑事責任は免れないはずなのに、あえて見逃した、ないし非常識だったのです。一般的にはあり得ない頻度で進められる裁判(10月は7回)は、原告の中心になっている福島の人たち、検事役の弁護士にとって大きな負担となりますが、ひるむことなく取り組まれています。そして、検察が、本来の司法の常識から東電の責任は明らかであるにもかかわらず回避したことの「正体」、東電の責任逃れの事実が次々と明らかになっています。更に、そこには、電力会社とエネルギー政策をその思惑のまま進めてきた行政の姿も明らかになっています。

①、地震・津波の専門家は福島の太平洋側に、巨大津波が発生し得ることを過去の歴史的資料に基づいて指摘し、東電も国も事前に承知していた。
②、東電内部で、その指摘に基づいて、堤防のかさ上げが検討され、実施の為の費用なども試算されていた。
③、堤防のかさ上げが、そこまで検討・実施されようとしていたのに、その実施を先送りないし不必要としたのが東電刑事裁判の3人の被告など東電の上層部でした。

 こうした一連の事実を明らかにした一人が、第11,12回公判の島崎邦彦証人、「日本地震学会会長、地震予知連絡会長、地震調査推進本部地震調査委員会委員、同長期評価部会部会長、中央防災会議専門委員、原子力規制委員会委員長代理などを歴任」です。島崎邦彦証言は、ほぼ同じ内容で雑誌「世界」(2018年10月号、岩波書店)に掲載されています。この証言・文書は冒頭「3.11の津波被害によってあれほど多くの人が亡くなり、更に原発事故まで発生した最大の要因は、『備えていなかった』からにほかなりません」で始まり、「とにかく、1万8千有余の人が亡くなり、重大な原発事故が起こったという事実は、とてつもなく重いことです」「中央防災会議が人を殺したということを、たくさんの人に知ってもらいたい」で閉じられます。これらのことを、証人の自らのことにしているのは、肩書が語る、これらのことに関与し得る、しかも具体的な見解を述べてきた人だからです。
 「備えていなかった」について、それがまったく不可能ではなかったのは、兵庫県南部大地震の後に設けられた、地震本部、中でも証人が代表であった長期評価部会は「活断層の地震は1000年以上の長い間隔で起こりますが、海溝型は数十年、数百年と比較的短い単位で起こる」、更に長期評価部会は、2002年7月10日に「この地域(東日本大震災が起きた三陸沖)で、海溝型地震が起きた場合、日本海溝の周辺ではとてつもない津波地震が発生する(発生確率は30年で20%、Mは8.2)とする調査結果」を発表していました。この公表が遅れ、発表にあたって「確率や予想には誤差を含み、利用にあたってはその点を留意する必要がある」と敢えて表紙に書かれていました。それを指示した、あるいは指示したと考えられるのが「当時の内閣府の、中央防災会議」であるのは、それ以外考えられないからです。同じころに電力事業関係者も多く加わっていた土木学会・原子力土木委員会の出していた「津波評価技術」は、三陸沖から房総半島の海溝型地震は起きないことが前掲、指摘していました。要するに、東電福島は地震及び津波発生の地域に入らないことにしてしまいました。備えなくてよい「備えていなかった」そして「1万8千あまりの人が亡くなり、重大な原発事故が起こる」という結果になった。というのが、島崎邦彦証人の証言です。
 こうしたことが、専門家であり直接の担当責任者であった人の証言であるにもかかわらず、「想定外」を主張し続け「ご迷惑をおかけした」としか武藤被告は言いませんでした。一方、広瀬直己現副会長は、ニューヨークの、ジャパン・ソサイエティで講演し、「われわれは多くの失敗をして、多くを学んだ」と講演していますが、事故後の事故対応に限定し、事故を起こしてしまったことについては、「失敗」としか言われないし、当然何一つ学んでいません。事故対応についても「政府幹部が対応に介入するなどして現場が『無秩序になった』と述懐」しています。そうじゃなくって、起こしてしまった重大事故が、事故対応をあらゆる意味で難しくし、一電力会社の力量を超えより大きな、しかしそれも間に合わない事態になってしまった、そことの根本を学ぶべきなのです。それは、事故を「想定外」とすることでないのはもちろんです。








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