1960年代の中頃に、日韓条約を協議・締結することの反対運動をしていた、一番の理由は、それが朝鮮半島の南半分、韓国とだけの平和条約であることでした。朝鮮半島で南北が交戦状態の「休戦」の時に、南とだけ平和条約を締結することは南北分断の固定化を認めかつ永続化することであり、日本の統治下に置き植民地支配していた日本のどんな意味でもなすべきではないということで、歴史の学習を繰り返し神戸で反対のデモ行進をするなどの行動もしていました。(注)。しかし、朝鮮半島の南半分、韓国との平和条約が締結され、日本は韓国そして米国と組んで、朝鮮半島の北、いわゆる北朝鮮と敵対する国になってきました。
韓国最高裁が10月30日に、日本企業に対し元徴用工への賠償を命じた判決は、1965年の日韓条約締結に処理済みとなった「損害賠償請求権」を、ぶり返すことにもなり、今後の日韓関係に大きな影響を与えると考えられています。
「韓国の元徴用工」「判決の骨子」は新聞によれば、以下のようになっています。
「韓国の元徴用工:戦時中に朝鮮半島から日本の工場や炭鉱などに労働者として動員された人たち。動員は、企業による募集や国民徴用令の適用などを通じて行われた。当時の公文書や証言から、ときに威嚇や物理的な暴力を伴ったことがわかっている。元徴用工への補償は、日韓両政府とも1965年の日韓請求権協定で解決したとの立場だが、不満を持った元徴用工らが日韓で日本企業などを相手に訴訟を起こし、争ってきた。韓国政府が認定した元徴用工は約22万6千人」
「判決の骨子:・被告(新日鉄住金)の上告を棄却し、原告(元徴用工ら)に1億ウオンずつの慰謝料支払いを命じた控訴審判決は確定する。・原告の損害賠償請求権は、強制動員被害者(元徴用工)の日本企業に対する慰謝料請求権。原告の請求権は、日韓請求権協定の運用対象外」(10月31日、朝日新聞)。
この判決について日本政府は「あり得ない判断だ」(安倍晋三首相)、「日韓関係の基礎が崩れ去る事態になりかねない」(外務省幹部)と、厳しくかつ否定しています(前同、朝日新聞)。
1965年の、日韓条約締結の時、学生たちがこの条約に反対し、日韓・朝鮮半島の歴史の学習を深めようとしていたのは、条約が南半分の締結であるのと、日本と朝鮮半島の歴史、植民地支配についての理解、共通認識がまったく欠けていることへの強い違和感であったように思います。中でも、条約の相手国である韓国の大統領は軍が政権を握っていた軍人でもあり、かつて日本軍の将校でもあった人物が、そのままの軍を権力を基盤に軍事独裁政権の大統領になった朴正煕(パクチョンヒ)でした。
今回の判決は、手元には「骨子」しかありませんから、日本側が理解している「日韓請求権協定で個人請求権は消滅した」に対しそれは「植民地時代の強制動員そのものを違法とみなしている韓国の立法の核心的価値と衝突する」「当時の労働実態は『不法な植民地支配と侵略戦争と結びついた反人道的な不法行為』」と、日本側の理解に根底から疑問を投げかけています。こうした疑問に一切耳を傾けることなく、一蹴しているのが、安倍首相の「あり得ない判断だ」だったりします。今回の韓国最高裁の判決は、13人による合7人の多数の判断とのことです。裁判長は、もちろん法に基づいて判決文を書きますが、必ずその時代の社会的な政治的価値観を反映しないではおきません。7対6が、それらのことを物語っています。しかし、判決が「当時の労働実態は『不法な植民地支配と侵略戦争と結びついた反人道的な不法行為』」したのは、原告となった人たちの人間としての叫びに耳を傾けた結果であるのは間違いありません。ですから、安倍首相は「あり得ない判断だ」と言う前に「判断」の中味である判決文に、目を凝らし耳を傾けるぐらいのことはあって、そんなに間違いではないはずです。しかし、しませんでした。
2,3年前「大飯原発3,4号機運転差止め請求事件判決」で、裁判官は「生存を基礎とする人格権が公法・私法を問わずすべての法分野において最高の価値を持つ」として、大飯原発3,4号機の運転の差し止を命じました。「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであり、その総体が人格権であるということができる。人格権は、憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基盤とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてこれを超える価値を見出すことはできない」(大飯判決要旨)。今回の韓国最高裁の多数が、かつての日韓請求権協定に立たず、徴用工事件を人道的な不法行為とする立った立ち位置に立ってこの件をとらえた、とすれば大飯判決の裁判官の理解した人格権と限りなく類似しているように思えます。しかし、安倍首は「あり得ない判断だ」と一蹴します。
大飯の判決は「個人の生命、身体、精神および生活」を基本にし、憲法13条、「我が国の法制下において超える価値はない」とし、判決文が書かれました。韓国の憲法は手元にありませんが、徴用が行われた時代を「植民地時代」とし、かつそれを「韓国の憲法の核心的価値」としているのですから、今回の最高裁の判決がそれをもとにしているとすれば、当時の徴用工の労働実態を「半自動的な不法行為」としてもあり得ることです。
しかし、日本の裁判は必ずしも大飯の判決の判断のようではなかったりします。
その最もたるものの一つが、沖縄辺野古新米軍基地をめぐる、国と沖縄県の争いをめぐる裁判であり判決です。現在は、仲井真弘多知事時代に知事選の公約を反故にして新基地の埋め立てを承認した、翁長雄志知事が亡くなる約半月前に撤回した、そのことをめぐって争い、国は撤回を無効にして工事を再開しようとしています。先ごろの知事選で、新米軍基地の反対を公約とした、玉城デニー候補が圧倒的多数の沖縄の人たちの支持を得たにもかかわらず、埋め立て承認の取り消しをめぐる裁判で、国が勝っていたからです。それも、実質審理を一切避ける裁判で、国が勝利していたからで、今回の撤回の場合でも、取り消しの場合と同じ手法で国はのぞんでおり、既に撤回に対し国が不服を申し立てし国がそれを認めるという、承認取り消しの時と同じ状況・流れになっています。取り消しの時の「国の不服申し立て国が認める」は「不服申し立て」の制度としての意味をゆがめる、ないし乱暴であるとの批判があったにもかかわらずです。この場合、沖縄県の対抗手段は、取り消しの時と同じ、「国地方係争処理委員会の審査申し立て」と、その却下、そして「不作為の違法確
認訴訟」となるのでしょうが、この過程でも、裁判所は、事柄を「個人の生命、身体、精神および生活」にすえることはしませんでしたし、今回も同じ手法を前提にしていますが、知事選における国側の凡例的背北をなかったかのように、停止していた工事を再開し、本格的な埋め立て、土砂の搬入を始めます。もちろん、その場合、座り込む以外にどんな手立ても持たない沖縄の人たちを有無を言わせず暴力的に排除します。この場合の「暴力的」について少なからず確認する必要があります。
座り込んでいる人たちは、座り込む以外どんな手立てもありませんから、少々多くても排除は時間の問題です。しかし、「暴力的」なのは、排除した人たちを車道側に設置したフェンスと、その両端に配置した機動隊員によって、閉じ込めてしまうことです。その時の「フェンス」は、当初は約1メートル、現在は約2メートルの高さで、超えようとすると規制されますし、ゆすったりすると公務の妨害ないし、器物の破損とされたりしかねません。本来は、道路上そんなものが設置されることはあり得ませんが、「警備」の であれば許されるのです。そのようにして、座り込んで排除された人たちは工事車両などが出入りする時、その中に閉じ込められることになります。「暴力的」なのです。
翁長雄志元知事によって、埋め立て承認が撤回された辺野古新米軍基地建設工事は、防衛局による「撤回の効力の一時停止申し立て」を国土交通省が「効力の一時停止を決定」したため、いとも簡単に埋め立て工事は再開されることになります。
そのように、沖縄の人たちも圧倒的暴力で「暴力的」に襲い掛かる国と真正面から向かい合って、決してひるむことなく、いわば闘いに倒れたのが、翁長雄志元沖縄県知事です。その場合の、翁長雄志元沖縄県知事の立つ位置、闘いの根底にあったのが、沖縄で生きて、生き方の中心にすえられた沖縄の人間としての人格権は、沖縄と沖縄の人たちに止まらず、生きるもののすべてに視野を広げ、かつ心を受け止める、開かれた普遍的な人権です。このことは亡くなった後、沖縄の2つの新聞社によってまとめられた「言葉」や「発言録」によって、残されることになりました。
(注)この時の学習は井上 清さん(京都大学、日本歴史)和田 洋さん(同志社大学、政治思想)鶴見俊輔さん(同志社大学、社会思想)などが協力してくださいました。学習会の後、その都度、神戸に出掛けて抗議のデモ行進も計画されていましたが、鶴見俊輔さんはデモ行進も一緒に歩いて、最後まで見守ってくださいました。
(次週に続く)
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