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小さな手大きな手

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2006年01月01週
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 ウソは嫌いです。などと言いながら、よくウソをつきます。最近のウソは、「・・・“持ち”がいいからモチと呼ぶようになった!・・・というのはウソ」で、すぐにバラしてしまうウソを時々ついています。“持ち”がいいからモチは、もちろんウソです。モチは決して持ちがよくなくって、ごはん程度の持ちでカビてしまいます。で、モチ/餅なのですが、糯米(もちごめ)を、“つないだものにして”(加工して)食べるところから、そのように呼ぶようになったようです(これは、全くのウソではありません)。
 言うところの“改革”で、改革は少しは進んでいるのだと思います。で、何よりもウソっぽいのは、この国の改革を叫ばざるをえないくらい無残な状況に追い込んだ人たち、あるいはそのシステムが、改革を口にすることで、チャッカリ生き延びていることです。完全武装の兵士を、万全の警備体勢の基地を作って送り込んでおいて、“安全”だと言い続けるのもウソです。いろいろウソがあって、いろいろウソのバレた一年が終わり、新しい一年が始まります。
 枇杷の花が咲き始めています。毎年、初冬の頃に枇杷の花が咲き始めるのに気が付いて、不思議に思っています。どうして、こんな寒い初冬の頃に花を咲かせるのだろうと。で、咲いた枇杷の花は、5弁の花びらの一枚一枚内側に“綿毛”がついているし、そもそも咲き始める前の房が綿毛でしっかり包まれている様子は、寒さから守っているように見えます。その為のうす茶色のガクで、枇杷の白い花は目立たなくなっています。そうして、初冬に咲く枇杷の花が守られている様子、このあたりだと5月中旬に黄色の実を結ぶ様子にはウソがありません。
 ウソは全くいけない訳ではありません。人の営みの一つとしてウソがあって、そのことの結果の修復に、おびただしいエネルギーを注ぎ込むようにして、人はたぶん生きてきました。だからと言って、幼い子どもたちにウソを注ぎ込んでいいはずはありません。子どもたちが育つのは、語れる限りを語り伝え、受けとめられる限りを受けとめることからしか、あり得ないのですから。
  
朝は 必ずやってくることを
言葉は 届かない時もあることを
喜びは 分かちあうものであることを
憤りは 自分にも向けられるべきことを
子どもたちを 偽ってはならない

かたつむりは 道を急がないことを
暗闇は もう一つの光であることを
確信は 誰のものでもないことを
悲しみは 引き受けるしかないことを
子どもたちを 偽ってはならない

桜は 春にしか咲かないことを
眠りが 明日の力になることを
痛みは 耐えるしかないことを
絶望が 虚妄であることを
子どもたちを 偽ってはならない

雲は つかまえられるかも知れないことを
心は 誰にでもあることを
信頼は 時が育てることを
夢は 忘れてはならないことを
子どもたちを 偽ってはならない

“・・あなたの隣人について、偽証してはならない”
(出エジプト記20章16節)

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