日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2018年12月02週
height=1
 前者の「規則」のことで、聞こえてくるところによれば、半端ではない規則の世界が学校にはあるようです。聞こえてくるところによれば、規則の一つとして、「黙食」というのがあるのだそうです。そう、給食の時に、おしゃべりをしないで食べることが要求される規則が「黙食」なのだそうです。こんなことが話題になった時、確か禅の修行ではそういうのがあるぞと紹介した人がいました。自ら選んで、「その道」を究めようとする時、「食べる」ことも含めすべてはその道に到達する歩みの中にあるとすれば、食べる時はペチャクチャしゃべっていい、ということにはなりません。「黙食」でいいのです。しかし、学校はそのすべてにおいて、子どもたちが道を究める修行の場ではないのはもちろんのことです。この世に生きて、いっぱいの可能性を秘め、いっぱいの体験、中には失敗を繰り返しながら、自己形成を遂げて行く、そんな歩みを仲間と一緒に始める場所が学校であるとすれば、それが修行などではないのはもちろんです。では、何故「黙食」なのか。別に聞こえてくるところによれば、K県では給食の時間は10分と限られているのだそうです。そのいずれも、子どもたちにとっての食べることの意味を取り違えているように聞こえます。人間の歴史で、食べるということは、空腹を満たし生命をつなぐことであるのはもちろんですが、いつの頃からか、加熱調理すること(煮る、焼く)、調理の方法によって多様な食べ方、食材の範囲を広げ、食べることに無限ともいえる味覚の世界としてつなぎ、広げてきました。食文化です。今、それぞれの国、地域でその食文化の伝統を受け継ぎ、今もその世界をつながり広がっています。日本の学校の給食は、制限はあるものの、そんな食文化の影響なしには成り立たないはずです。そして、食文化のもう一つの大きな柱が人間が集まって食べる、会食です。見つめ合い、言葉を交わし合って、食べる時、もう一つの食文化の花が咲くのです。学校の給食が、そうした食文化の大きな流れの中にあるとすれば、「黙食」も「制限時間10分」もあり得ないはずです。しかし、「黙食」も「制限時間10分」も、聞こえてくるところによれば、事実らしいです。
で、文部科学省が公表している「問題行動・不登校調査」及び「重大事態」や、それを新聞が報道しかつ記事として評論するところには、問題行動(いわゆるいじめ)が、「過去最多41万件」となる理由や原因について言及する文言は見つかりません。どんな行動・事態であっても、それを完全に理路整然と突きとめることは必ずしも可能ではないとしても、それらしい理由や原因が見つからない訳ではありません。いわゆる「いじめ」、子どもたちの世界で、仲間のうちの誰かを、時には「重大事態」に到らしめることがあり得るとすれば、たとえば思い付きそうなのは、人間である限り、たとえ子どもであっても、言葉で了解し、言葉で解決、解消する関係が築けていないかも知れないことだったりします。たとえば「学校が解決済みとした後のアンケートに、同級生は『相談しても解決しない』『かえっていじめがひどくなる』ことを理由に、実態が書いていなかった」は、言葉で了解し、言葉で解決することが難しい現実が、学校現場にはあるらしいことを読み取ることができます。言葉を聞き、言葉で語ることで、言葉というものの力や魅力を修得しているはずの、子どもたちが「相談しても解決しない」「かえっていじめがひどくなる」と、言葉で伝えることを少なからず断念しているとすれば、そこにも、問題行動や「重大事態」の理由や原因があるかも知れないと考えてもよさそうなものです。
 言葉は時には深く他者の存在を傷つけます。決定的にではなく、傷つけられることがあるとしても、言葉の何よりの力は人と人をつなぐことです。言葉で学び、言葉で教え、人は人として育ちます。もし子どもたちの世界で、言葉で傷つける言葉で傷つけられることがあるとすれば、その言葉に耳を傾け、聞くに値する、伝えるに値する言葉で、子どもたちが自らの力で修正する機会を作ることが、周辺にいる大人の役割のはずです。そんな言葉の世界が、もし学校のような世界で生まれるとすれば、たとえば食事の時間だったりするはずです。食べる量の多い少ない、好き嫌いはあるとしても、それもすべてその時の言葉の交わし合いの中で、思わず、新しい展開が起こらないとは限りません。だったらその時間のその場所で、お互いが顔も合わせずに「黙々」ではないように思えます。その場の規則が「黙食」などと言うことではあり得ないのはもちろんです。

               黙って 食べなさい
               黙って 座りなさい
               黙って 歩きなさい
               黙って 立ちなさい
               黙って 走りなさい
               黙って 見なさい
               黙って 読みなさい
               黙って 書きなさい
               黙って 洗いなさい
               黙って 脱ぎなさい
               黙って 数えなさい
               黙って 祈りなさい
               黙って 立ち去りなさい
               黙って 死になさい
               世界は 君のものでない
               世界が 君のものなら
               黙っていては いけない
               世界は 君のものだ
height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.