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小さな手大きな手

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2018年12月03週
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 その日、12月5日(水)のにしきたの川“津門川(西宮市、阪急西宮北口駅 北西地方を北から南へ流れる二級河川)”が濁って、川魚たちが大量に死んでしまう出来事との付き合いは、午前7時15分ごろから始まりました。
 その日、早くに出勤した人(西宮公同幼稚園)が、「津門川が濁って、魚が死んでいます!」と知らせてくれました。幼稚園、教会前に出てみると、川の濁りは尋常ではありませんでした。津門川は、時に白濁することがありましたが、比較的短時間で元に近い状態に戻るのが普通でした。澄んだそこそこの量の水が洗い流してしまうそんな川だからです。
 12月5日(水)の白濁は、川全体がドロッとした感じで、その時点で鯉が浮かんでいて、更にバシャッと飛び上がったり、白濁した水の中を疾走して力尽きるという具合の鯉もいました。津門川の阪急神戸線に近い橋、南昭和橋の下流域は流れが少し緩やかになり、魚道にもなっている堰堤まで流れてきた鯉は、その一つの上をのたうつ様にして、血(だと思う…)を流して苦しんでいました。
 これらのことを目撃して、津門川を白濁させた「原因」を探し始めることになり、自転車で津門川を遡り、R171号線を超え、阪急今津線・門戸厄神駅のあたりでは、川の水はほとんど濁っていませんでした。駅周辺をぐるぐる回ってみましたが、それらしい濁った水路は見つかりませんでした。門戸厄神駅に戻り、西宮市立甲東小学校付近から流れてきた津門川に合流する(その“源流”が、三洋新幹線の地下水が流入する“清流”)を、まさかと思いながら遡ってみると、川底が白く見える場所がいくつか見つかりましたが、水はきれいに見えました。それでも遡って甲東小学校の通学路で、子どもたちを誘導している人たちに、川の水の濁りのことを聞いたり、小学校の校門付近で同じく誘導している警察官にも聞いてみましたが、川の濁りのことには気が付いていないようでした。更に、山陽新幹線の方に近づいてみると、地下水が幅50cmくらいの水路を、滔々と流れ落ちて広い水路と合流する道路(神戸女学院大学、門戸厄神と甲東園をつなぐ)あたりで、甲東園方面から流れてくる水路が、水量が少ないものの明らかに津門川と同じ状況で白濁していました。その先の水路は、覆われてしまって確認できませんでしたが、そこを走っているのは、山陽新幹線でした。そのころには、そこに西宮市、西宮警察、そのあと兵庫県の人たちが集まり、一緒に“出所”を捜しましたが、その先が山陽新幹線である以上のことは確認できませんでした。
 自転車で走り回りながら、幼稚園、教会事務所と連絡を取り、西宮市、兵庫県(いずれも就業時間前で連絡が取れず)、保健所、新聞社などのメディア関係などに通報してもらう一方、山本義和先生(元神戸女学院大学 名誉教授、武庫川流域圏ネットワーク代表)にも連絡してもらい、山本先生とは、門戸で合流しました。その後、山本先生とは、津門川に降り、どこまで魚たちの被害が及んでいるか確認することになりました。そこを立ち去るにあたり西宮市、兵庫県の職員には、死んでしまった魚の取り扱いを速やかに行うように申し入れをしました。
 津門川を下り、国道2号線を超えるあたりまで、山本先生に同行し、そのあたりでは川に沈んで動かない鯉を数匹確認しました。山本先生と別れ、国道43号線を超え南に向かい今津港近くでたくさんのボラとたくさんの鯉が一緒に泳いでいるあたりでは、沈んでいる数匹の鯉のあたりを、ボラや鯉が泳いでいるのを確認し、昼12時30分過ぎに西宮北口の事務所に戻りました。
 毎月、第一日曜の午後、地域の人たちが津門川に降りて川掃除をするようになって、20年を超えます。川掃除をしているとき、通りがかりの人が「ご苦労さん」と声をかけてくれたり、川掃除がささやかであっても、人のつながりを作り出す働きであることが、20年を超えるこの活動の原動力になってきたように思います。12月は2日に20人くらいの人たちが集まってきて川掃除を行い、終わった後の交流会には、5、6歳の子どもたちから80歳を超えるおじいちゃんが残って盛り上がっていました。交流会のメニューは、コンビニのおにぎりと、カップ麺です。
 この出来事、事件は、新聞、テレビなどで報道されることになりましたが、詳しくは確認していません。ただ、西宮、西宮北口で住み始めて50年近く、いつも近くに津門川が流れていました。汚れ切った津門川も見てきました。1995年の兵庫県南部大地震の時には、津門川の水をくみ上げて、断水している家庭に届け、お手洗いで流すのに使ってもらったりしました。川掃除が始まって20年余り、津門川石垣の雑草たち、津門川の川魚たちとの付き合いも大切にしてきました。物言わぬ生きものたちですが、津門川とそこで生命の営みを繰り返し広げる生きものたちとは、言葉にならない言葉を交わしあう、欠く事の出来ない仲間であることを心に刻んできたと思います。
 川魚たちが、どんな言葉を交わし合って川で生活をしているかは、わかりませんし、知ることはできません。しかし、必ず2、3匹から5、6匹で群れていたり、春には川の浅い上流域まできて追っかけ合ったり、山手幹線のあたりで産卵していたりするのを目撃すると、この川魚たちはお互いを仲間として確め合い共同・共生していることを強く感じさせられてきました。
 そんな川魚たちの生命が、あの断末魔の叫び(だと思う)を残し、のたうち回って
奪われてしまったことが残念でなりません。
 久しぶりに、本当に久しぶりに「沈黙の春」(著:レイチェルカーソン、訳:青樹簗一/新潮社)を見つけ出してきて読んでいます。「明日のための寓話」「死の霊薬」「死の川」などをひらい読みしています。「川岸には死んだ魚、死にかけの魚が打ち上げられた。まだ年のいかぬおびただしいサケもいた。カワマスも死んだ。森の小道も行けば、鳥の死骸がころがっていた。川からは生命という生命は姿を消した」。
 12月7日、幼稚園の子どもたちと一緒に津門川に沿って歩いて、門戸厄神駅の近くで川底から白い沈殿物をすくい上げている人たちに出会いました。津門川に汚染物を流したJR西日本とD工業の人たちです。
 たくさんの川魚たちの命が奪われた津門川は「清流」です。12月7日、鯉がのたうちながら死んで流れていった堰堤の下の清流では下流域から登ってきたと思われる鯉と小魚たちが群れて泳いでいました。

(次週につづく)
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