(12月30日「小さな手大きな手」の続き)
その同じ国道2車線のうち1車線が、12月17日には583台の大型ダンプカーの車列で塞がれてしまいました。何の為のダンプカーの車列か。沖縄の島の人たちの宝である、海・辺野古、海の生き物たちの楽園、大浦湾を埋め立てる為の土砂を運ぶ車列です。で、いったい何が作られようとしているのか。沖縄の島の人たちが共有し、決して譲渡さないのは、「平和」への「願い」です。島の人たちの4人に1人の命が奪われた、沖縄の島を戦場にして戦われた沖縄戦は、「平和」への「願い」を、島の人たちの心に刻み、共有されてきました。73年経った今もです。73年経った、今年の6月23日の慰霊の日に、祖父母から語り伝えられてきた戦争の悲惨と平和への願いを、島の中学生が書いて朗読しました(注②)。6月23日に、人間の心の言葉で戦争の悲惨「平和」への「願い」を平和宣言とした翁長雄志知事は(注③)、およそ20日の8月8日に亡くなりました。その宣言の心を島の人たちに託し、日本・ヤマトの人たちの心に届いて欲しいと願って、道半ばにして倒れてしまいました。
その翁長雄志前知事はを島の人たちは「魂の政治家」と呼んできました。人間の喜びや悲しみに耳を傾け、それを心に刻んでそれを自ら生きて、人間の言葉として語る政治家だったからです。翁長雄志残知事にとって政治は、何よりも人間として生きた、人間の魂に裏打ちされた言葉でした。沖縄でも、いくつも地方自治体が「振興策」と言う名のもとの国からの補助金を示されて、「平和」の「願い」を取り下げ、米軍基地更に最近では自衛隊の基地を受けいれてきました。8月8日に亡くなる前の7月27日、翁長雄志前知事は、辺野古新米軍基地建設の為の前知事の埋め立て承認を撤回します。そして語りかけました。「沖縄はアジアとの架け橋として飛び立とうとするまでになりました。その時代に‟振興策をもらって基地を受けいれる”ということが続いていいのでしょうか」。金で魂は売らなかったのです。
12月19日は、浦添市にある琉球セメント本社前に集まることが呼びかけられています。島の人たちの宝である自然、本部半島の山を削って砕石を運び出すこと、少なからず安和の海を埋め立てることを、言わば島の人たちが黙認してきたのは、島の振興の為であって米軍基地を作る為ではない、なのに、まさしく「魂を売る」に等しい琉球セメントが、まずは「対話」を求めて集まることになっています。島の人たちが島で育ってきた企業・人を「裏切り者」と呼ぶのは、とても悲しいことですから、そうなってほしくはない「対話」を求めて集まります。
・注② 中学生、相良倫子さん(湊川中学3年生)は、平和の詩「生きる」の一節は、こんな言葉で書かれていました。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
・注③ 翁長雄志知事の「平和宣言」には、「平和」という言葉が繰り返されます。
私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています。
昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の、米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きがはじまっています。
平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。(中略)民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、(中略)全く容認できるものではありません。『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する『沖縄のこころ』を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる『平和で誇りある豊かな沖縄』を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
[バックナンバーを表示する]