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2019年01月04週
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(前週よりの続き)
 こんな具合に、帰還困難区域に、特区亭復興再生拠点を指定し、徹底除染を実施した上で、避難解除にする方針とその実施が大熊、双葉、浪江、葛尾、飯舘の町村で着々と進められており、その為の国の2019年度の予算は総額867億円です。
 当然こんなことを実施するためには、そこに立ち入る場合の規制緩和が必要で、更にその場合の「被ばく線量推計」も必要で、その占領推計が、11月29日の新聞記事の政府発表です。しかし、この線量推計は、あくまでも推計で、実際にそこで生活、勤務することが「可能」であることを示す、その為の推計である以上の根拠はありません。「会合で・・は『(推計値は)無用な被曝を避けるための数字でしかない。住民が数値目標に振り回されないようにしてほしい』と注文した」(11月29日、福島民報。
 「避難指示先行解除/大野病院敷地も検討/大熊町、県に早期再開要望」「大熊の大野駅周辺/整備に2億6千7百万円/復興庁は13日、福島再生加速化交付金として264億6千3百万円を配分すると発表した。大熊町のJR大野駅周辺の整備に向け、新規で2億6千7百万円が計上された」「2020年春/双葉町役場の一部機能再開/双葉駅隣接施設で/住民手続きを想定/2017年9月に帰還困難区域の一部が特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定された。町は2020年春に双葉行周辺などの避難指示を先行解除し、2022年春に復興拠点全域の解除を目指している。町は2020年春の先行解除に合わせて、復興拠点への立ち入り要件を緩和する方針を示している」(12月14日、福島民報)。
 「大熊の特定復興再生拠点/町が施設配置案。…特定復興拠点となっているJR大野駅周辺に整備する産業交流施設や賃貸住宅などの配置案をまとめた」(12月29日、福島民報)。
 こうして多額の国の予算を投じて(と言っても復興特会という名の特別税に特別予算)着々と進められる「特定復興再生拠点区域」は、要するに「拠点」ですから、帰還困難区域が「一部分」まあ「離れ小島」ということになります。確かに、この小島は徹底除染されることになっています。しかし周囲は、帰還困難区域のままですから、そこからの放射性物質の影響を避けることはできません。海の中の「離れ小島」だったら、周囲を泳ぎ回ったり、船を出して漁をするなどのこともできます。しかし、この場合の「離れ小島」・復興拠点はそこから踏み出して、海ではありませんが、森林の自然の恵み、山菜、きのこなどの採集は、それを食べると内部被曝になり、そもそも大きな被曝の危険を冒すことになります。拠点が、その本来の意味である、そこを手がかりにして活動領域を一歩ずつ広げるという意味での拠点では、決してまったくありえないのは明らかです。
 にもかかわらず、復興拠点です。「復興」は、失われたものを取り戻す希望の言葉です。「拠点」は、その場合の一歩をきざむやはり希望の言葉です。その「復興拠点」が設けられる5つの町村は、東北の大地震、大津波、そして東電福島の事故からやがて8年を迎えるにあたり、1つの村(飯舘村)をのぞき、全住民が避難しています。高い放射線量による被曝の恐れがあり、住民が戻れない町村です。避難が「解除」された飯舘村にしても、学校が再開され一部の子どもたちが戻っていますが、学校敷地から一歩踏み出した森林・里山は「15ミリシーベルト」の世界です。子どもたちを、決して戻らせてはならない場所です。
 にもかかわらず、除染がそうであったように、多額の費用を投入して復興拠点の整備が急がれるのは、東電福島の重大原子力事故後が、着々と元に戻りつつあることを内外に印象付ける為の演出です。その一つが廃炉資料館だったりしますし、拠点であるにも関わらず、広がりようのない復興拠点だったりします。
 完全に閉じ込めることが条件で稼働を許された原子力発電所で、それが閉じ込められなくなった東電福島の重大事故は、どんな意味でも、どんな言葉で言い表したとしてもそれが取り返しようのない事実であるのにかわりはありません。環境中に放出された放射性物質は、それを放出させた人間の手では、処理も消去も不可能なのですから。
 壊れた原子炉を冷やす為に注入する冷却水が大量の汚染水となって流れ出し、それが「処理」されて、それでも残ってしまう大量のトリチウムを、薄めて海洋に放出する計画が、最終段階で一旦は取り止めになっています。その他の放射性物質も残っていることが「発覚」してしまったからです。(こうほう、№426の福島民報参照)。にもかかわらず、いまだに、トリチウムの海洋放出を前提に議論が続けられています。
 何よも前提にしなくてはならないのは、処理不能なものを放出してしまった単純な事実、拠点たり得ない単純な事実です。たとえそれが不可能であっても、それを引き起こしたのが、人間という生きものが駆使した、そして誇るべき知恵であるとすれば、そのすべての責任を人間が引き受けるしかないのです。
 東電福島の事故で、いくつかの町村は人間が住めないし、住んではいけない場所になったのです。そして、忘れてはならないのは、そんな町村と遠く離れていたとしても(たとえば西宮も)誰も「地続き」であることから逃れられないことです。同じように、処理不能の放射性物質は、どんなに増え続けたとしても、それをそれとして溜め続けるよりないのです。人間は人間のやってしまった事実をどうであれ人間の責任によって背負うのはすべての生きものに対する人間のエチケットなのですから。

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