(前週よりつづき)
「自然との関わり・生命の尊重」:辺野古新米軍基地反対を沖縄の人たちの多数の「民意」として示した、その大きな要因は、島の人たちが生きて、生かされて尊重してきた自然との関わりです。海に囲まれた沖縄の人たちにとっての自然は、ただ海としてだけでなく、海と川と山をつなぐ循環する生態系そのものであり、その真只中で生きてきました。そこで出会う生命の営みは、人間としての島の人たちの生命の糧にもなり、それは島の人たちの言葉になり歌になり踊りになり、芸術になってきました。埋め立てられている辺野古・大浦湾の「自然との関わり、生命の尊重」が、上記の沖縄の人たちの言葉になり、歌になり、踊りになり、それは今も変わらない島の人たちの心でもあります。辺野古新米軍基地建設反対で示した「民意」を踏みにじる時、アベ首相の説く「自然との関わり、生命の尊重」を自ら踏みにじっていることになります。
「言葉による伝え合い」:人間を人間たらしめている、何よりも大切なのは言葉です。その言葉は音声言語であると同時に、やわらかな身振り、手振りでも言語として全く同等であることがやっと認められ始めています。そのことが意味するのは、言葉は、記号ではなく、その人間が生きて、生きた人間とその生きた人間を生かす環境の中で、何よりもその内面において育つものであることです。「言葉による伝え合い」は、そこにある他者・自然に対する関心の深まりによって、最も必要な内実としての伝え合いの機会を与えられているのです。たとえば生まれる赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で、言葉の始まりの一歩を歩み始めると言われます。聞こえないと思われる言葉であっても、その言葉が内実を持って語りかけられる時、その言葉は赤ちゃんを人間として育てる力になっているのです。沖縄の「民意」を玉城知事は言葉で伝えようとしましたが、アベ首相には聞いてもらえませんでした。言葉はその人に届けられましたが、アベ首相は伝えられた言葉を聞き流しました。「言葉による伝えあい」によって、始まるはずの言葉本来の豊かな意味を認めようとはしなかったのです。
「豊かな感性と表現」:「感性」は、そこで出会い起こっていることに心が動かされ、共感し共生することを喜ぶ人間の中に呼び覚まされる生きた人間の基本です。その感性は、人間が人間として人間の中で生きて、心をゆさぶられる時に、即ち人間を取り囲む環境によって人間の心の中に育まれます。ちょっとでも油断すると、感性は本来の輝き働きを失うことになります。その人の感性を更に豊かにするのは感性を持って生きる人間との出会いです。感性は特別に豊かである必要はありませんが、たとえ小さくてもそれが生き、人間の中で生き続けるには、自分も生きる社会の中で生きている生き物である事実に自覚的であることは不可欠です。命は失われることがあります。失われた命を取り戻すことはできません。しかし、失われた命も人間の心の中で生き続けることは可能です。そして、命が尊いのであるなら、そうでなくてはならないのです。沖縄の人たちは、県民投票で辺野古新米軍基地反対の「民意」を多数で示しました。引き込まれ無残にもすべてが奪われた沖縄の戦争に2度と巻き込まれてはならないという強い思いが「民意」の底にあります。それは島の人たちの問題に止まらず、「米軍基地」が果たす、世界の戦争の現場がそこにつながることを同じように島の人たちは恐れます。そうして世界を見つめる感性には、アベ首相の「戦争のできる国」はどんな意味でも受け入れ難いのです。
3月3日~5日の辺野古ゲート前の座り込みに参加しました。4日は、座り込みの有志によって準備された「ゲート前でサンシンの日」と同時進行でした。サンシンの演奏があり、この日に合わせて集められた「琉歌(8、8、8、6)」がのぼりになり、サンシン奏者、新里紹栄さんが、即興で歌いました。座り込み(およそ200人)は、続いていました。路上で、琉球舞踊を踊り、いくつかの空手の演武もありました。座り込みは続いていました。午後1時前「ゲート前でサンシンの日」が続くその真只中に、辺野古・大浦湾に新しく護岸を作る資材を積んだ工事車両が到着し、ごぼう抜きが始まってしまいました。4月3日「サンシンの日」は沖縄の人たちにとって、特別な意味があります。悲惨な戦争がおびただしい島の人たちの命を奪って終わった後、島の人たちは捕虜になって収容されました。その収容所で、島の人たちは歌と踊り忘れませんでした。収容所では入所困難だったサンシンを身近な素材で作りました。配給の缶詰と木材で、弦はパラシュートの紐で手作りの「カンカラ サンシン」です。沖縄で生きる人たちの命の文化、命そのものがサンシンなのです。それが3月4日「サンシンの日」であり、命の文化を生きる有志によって準備されたのが「ゲート前でサンシンの日」だったのです。そんな日もなんのその辺野古新米軍基地建設は強行されました。更に、辺野古新米軍基地建設の本体である「K8護岸」が、3月4日から始まってしまいました。そこは「潮の流れが変わり、北側のサンゴの致死率が高まる」とされる、海底や周辺にはサンゴ群の生息している海域です。以下「ゲート前でサンシンの日」に、のぼりに書かれ、歌われた琉歌の一部です。
サンゴ清ら海ぬ 幻のザンヤ
平和なる島ぬ 象徴(しるし)さらみ
(宜野湾市 石川元平)
我(わ)した辺野古崎 宝海埋みてぃ
国ぬ舵取やーや 真肝有(まじむあ)がや
(読谷村 長嶺八重子)
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